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ウィンド・マスターズ 異色の風使いたち  作者: 駿河晴星
第七章 特訓

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第七章 特訓(一)

「ほら、気を抜くんじゃないよ!」


 祥子が握る躑躅つつじ色のゴム棒が、咲羅の鼻のわずか一センチ先を通過した。


 風圧を浴びた咲羅は短く息を吸った。大きく心臓が跳ね、頭の血管が収縮する。後方へ下がろうと板張りの床を強く蹴ると、靴裏の滑り止めが耳障りな音を立てた。


「そりゃあ、悪手だねえ」


 祥子の赤い唇が横に長くなる。美麗な顔が急接近し、振り上げられたゴム棒が咲羅の顔に影を落とした。


 咲羅は咄嗟に腕を交差させ、顔面への直撃を防ごうとした。


 しかし、祥子が狙っていたのは咲羅自身ではなかった。


 乾いた音がして、右手首がじんと痛む。受けた衝撃で、咲羅は握っていた打刀・春風はるかぜを落とした。第六訓練場に響き渡った金属音は、咲羅の敗北の余韻だった。


「まだまだだねえ」


 祥子は長さ一メートルほどのゴム棒を肩に担いだ。彼女の後ろの壁には、過去の名剣士たちの顔写真が並んでいる。咲羅は、ひやりとした視線が肌に突き刺さるのを感じた。もちろん彼らの顔は動いていない。だが、まるで「その程度か」とでも言いたげに、冷たくこちらを見下ろしているようだった。


「でも――」


 ぬるい風が床から吹き上がる。祥子が起こした風によって、咲羅の手の中に刀の柄が収まった。


「目を瞑らなくなったのは上出来だよ」


 祥子と出会ってから約一ヶ月。この間、マンツーマンで修行をつけてもらった咲羅は木刀を卒業し、真剣を使った対人訓練に臨んでいた。最初は人に武器を向けることに躊躇したが、祥子が常に《結界》を身にまとっていると知り、次第に本気で向かっていけるようになった。


 しかし、本気で向かったところで、自分の攻撃が祥子に届くことはない。祥子の《結界》を一ミリたりとも揺らせないことが、咲羅はたまらなく悔しかった。


「なんだい。そのしけた顔は?」


「わたし、強くなれてるんでしょうか」


 咲羅は切っ先を下げ、俯いた。


「夕希や舞弥は実技特訓のたびに倒す魔物もどきの数が増えてるし、難しい任務にも挑戦していってます。でも、わたしは昨日も討伐に失敗して、助けてもらって……」


「あんたネガティブだねえ」


 ストレートな言葉が咲羅の胸に刺さる。祥子が投げてきたタオルで汗をぬぐいながら、師匠の言葉を待った。


「失敗なんてして当たり前じゃないか。あたしなんか、ほら。あんたと出会った時なんて最悪だっただろう?」


 空から吐瀉物が降ってきたことを思い出し、咲羅は口元を緩めた。あんな衝撃的な出来事はなかなか忘れられない。


「こちとらあんたの倍近く生きてるんだからね。あんなのかわいく思えるほどのことをたくさんやらかしてきてるのよ。それでも楽しく生きてるんだからね。若いもんがウジウジしてるんじゃないの」


「はい……」


 咲羅は返事をしながらも、納得はしていなかった。悩まないように、焦らないようにと意識しても周りとの差は開くばかりで、うまく感情のコントロールができなかった。


 月日が経つのを待つしかないのだろうか。激しい焦燥感に苛まれた咲羅は、顔にタオルを押し付けた。


 祥子の声がまた響いた。


「といっても、あんたくらいの年は色んなことに悩むわよねえ」


 水筒の蓋を閉める音。


「そうね……」


 祥子の舌が濡れた唇をなぞった。


「他人と比べて不安になった時は、過去の自分と比べなさい」


「過去の自分と? どういうことですか?」


「例えば……ほら、あんたが風原に来たのはいつだっけ?」


「えっと、三月です」


「そう、三月。じゃあ、二月の自分と比べてみなさい。風人のことなんか何も知らない時よね。その時から、才は何個習得した?」


 納刀し、咲羅は指折り数える。


「それぞれ精霊の声が聞こえるようになったのと、第二段階の才で十個。……あ、でも風の精霊の声はもともと聞こえてたから九個か。それに、土の才の第三段階|《変化》も入れて十個ですね」


「どうよ。あんた、三ヶ月で十個も新しいことができるようになってるのよ。すごくない?」


「すごいです……」


 咲羅は自分の成長に素直に驚いた。これまで気づかなかった自分の変化に、胸が熱くなる。


 祥子の眉が自慢げに上がった。


「他人と比べて卑屈になる必要はないの。一つでも新しいことができるようになったり、できていたことがもっと上手にできるようになったら、自分を褒めるようにしなさい。自尊心を自分で育てるの。ありすぎてもダメだけど、咲羅の場合は『自分のこと褒めすぎ?』って疑うくらいがちょうどいいわ」


 今度こそ納得した咲羅は、力強く「はい」と返事をした。


 その声に、鉄製の扉が開く音が重なった。入り口に顔を向けると、影が二つ。


「あれ、まだ使ってました?」


 手前にいた男は、そう言いながらも訓練場の中に入ってくる。白い光の中から現れたのは、委員長の亮だった。彼の後ろからは、低い位置で滅紫けしむらさき色の髪を一括りにした、花色の目の男がゆったりと歩いてきている。


「亮に、成季なりきか。久しぶりだね。もう終わるよ」


 祥子が男らに声をかける。


「委員長も特訓?」


 動きやすいジャージ姿の亮を見て、咲羅は尋ねる。亮は打刀を一本、もう一人の男は脇差を二本、腰に差していた。


「うん。あ、この人、僕のパートナーの土守つちもり成季。大学部生だから会ったことないよね」


 パートナーとは、任務を常にともに行う約束をした二人組のことらしい。学年問わず選べるから、年上と組んでいる人も多い。同学年の生徒を覚えるのにも苦労している咲羅にとって、大学部生はまさに未知の存在だった。


「初めまして、冴田咲羅です」


 咲羅がお辞儀をすると、成季は緩慢な動きで近づいてきて、ぶらりと手を前に差し出した。


「はじめまして」


 意外だと思った。頭を軽く下げるだけのあいさつで済ましそうな雰囲気だったのに、思いのほか礼儀正しい人のようである。「よろしくお願いします」と伝える咲羅に、成季は小さく頷き返す。そっと手を離す仕草に、気だるげな表情からは想像できない繊細さがあった。


「はいはい。あいさつも済んだなら、咲羅は研究室に戻るよ」


 祥子が二回手を打つ。いつの間にか床の清掃を終え、入り口の方に移動している。


 咲羅は慌てて祥子を追いかけながら、亮に向かって手を振った。


「またね、委員長。特訓頑張って」


「うん、咲羅もね」


 亮も咲羅に手を振った。その横で立っていた成季は、手を振りはしなかったものの、じっと咲羅を正視していた。

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