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ウィンド・マスターズ 異色の風使いたち  作者: 駿河晴星
第六章 守る意志

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第六章 守る意志(三)

 森の静寂を破り、弦音つるおとが鋭く響いた。


 放たれた矢は、乱立する木々の間を飛ぶ。横に伸びた枝葉の真下を通り、まっすぐ。矢先が空気を切り裂き、後に続く矢柄のための通り道を作った。


 矢は、体長二メートルはある、ナナホシテントウを巨大化したような魔物に飛んでいく。魔物の頭部と前翅の隙間に鉄製のやじりが刺さった瞬間、矢羽から大量の水が噴き出した。水が魔物の体をすっぽりと覆う。魔物は水の中でじたばたともがき、そして、あっけなく窒息死した。


「すごいね、舞弥」


 魔物の近くで息を潜めていた咲羅は、木の影から顔を覗かせた。数十メートル先には、残心の姿勢を崩さぬ舞弥がいる。咲羅に気がついた舞弥は弓を下ろし、昨夜の雨で湿った腐植土を踏みしめながら、咲羅の方へ歩いてきた。


「後藤家十八番の技ですの。練習した甲斐がありましたわ」


 後藤家は、弓の名手をあまた輩出している名家であり、風原の里に道場を構えているという。中でも舞弥の祖父である後藤弥助(やすけ)は有名人らしい。外界とは関わりを持っていないため称号は得ていないものの、最高位である範士級、いや、それ以上の腕前ともいわれているそうだ。


 舞弥も幼いころから鍛練を続けていたらしく、すでに人並み以上の力量を持っていた。


「弓があれば、舞弥は最強だね」


「そう、ですわね。……弓さえあれば」


 褒めたつもりの咲羅の横で、舞弥は肩を落とす。


 咲羅はしまった、と思った。舞弥の落胆した姿はここ三週間で幾度となく目にしてきたものである。舞弥は初任務のことがすっかりトラウマになっているのだ。


 どうしたら励ませるか、咲羅が思案していたその時――。


「とったどー‼︎」


 槍先に真っ白なウサギが突き刺した夕希が駆けてきた。


 夕希の登場に、舞弥はゆっくりと顔を上げた。


「なぜ一人、狩猟をしているんですの」


「え? 何言ってんだよ、こいつも魔物だって」


「そんな普通サイズの魔物がいるわけ――」


 舞弥の言葉尻が消える。ウサギが土に変わり、地面に落ちたからだ。


「ほらな、魔物だっただろう」


 夕希が指差す地面には、小さく盛られた土が一つ。左に顔を向けると、先ほどまでナナホシテントウの魔物がいた箇所にも土の山ができており、舞弥の放った矢がその山に突き刺さっていた。





 今は水曜日の午後。実技特訓の授業中だった。


 舞弥や夕希が倒した魔物は、教師陣が作り出した紛い物だ。土の才|《土人形》と水の才|《使役》を混合した《式神》を使って擬似的な命を与えている。必要以上に生徒を襲うことのない安全な魔物もどきだった。


 この日は実践的な訓練がおこなわれていた。生徒たちの様子は《遠視》を使用した教師陣によって常に監視されており、成績に反映されるらしい。


 舞弥と夕希は二体ずつ魔物もどきを倒しているが、咲羅は未だ零体。焦りが募っていた。


「あら、あれは直隆先生かしら」


 咲羅は舞弥の目線を追った。木々の間に小さな影が見える。


「先生たちって《遠視》で監視してるんじゃなかったっけ」


「《結界》の見回りかしら」


「直隆先生って結界師なんだっけ」


「ええ。優秀な結界師であった先代学園長の持之さんに憧れて《結界》を極めたそうですわ。直接のお弟子さんではなかったようですが」


「へえ」


 あの堅物な直隆にも憧れの人がいたのだと、咲羅は意外に思った。学園長室で見た先代学園長の写真。やさしそうな笑顔を思い出す。四年前に亡くなってしまったらしいが、どんな人だったのだろう。


 故人に思いを馳せる咲羅の横で、夕希が爛々と目を輝かせていた。


「もしかして、秘密の対人訓練か?」


 今にも槍を掲げて走り出しそうである。


 そんな夕希の行動を阻むかのように、授業終了のサイレンが鳴り響いた。


「あー終わっちまった。ま、いっか。今日の飯、なんだろうな」


 切り替えが早いのが夕希の長所だった。





 夜になり、咲羅は木刀を持って自室を出た。


 高等部・大学部生用の寮に門限はない。任務や研究で帰りが遅くなる生徒も少なくないからだ。学園の外へ出ることは許されていないが、敷地内であれば、誰にも干渉されず行動することができた。


 一階に降りると、リビングルームにクラスメイトたちの姿があった。その中には蘭や亮もいた。


 蘭は咲羅と目が合いそうになると背中を向けた。


 咲羅の個人能力が風であると分かった日から、蘭たちが咲羅に嫌がらせをすることはなくなった。《治療》ができる風人の地位はずいぶんと高いらしい。かといって外界育ちの咲羅を急に好きになることも難しいようで、蘭たちは徹底的に咲羅を避けていた。


 女子たちの後頭部を見て、咲羅はため息を吐いた。幼稚な彼女たちの行動に、もはや怒りはなく呆れるばかりである。できれば自分の実力で見返してやりたかったという気持ちもありはするが、避ける者をわざわざ追いかける義理も時間もない。


「咲羅」


 咲羅から目線を逸らす人が大半の中、亮が近づいてきた。


「委員長。みんなと話してたんじゃないの?」


「いいのいいの。適当に時間を潰してただけだから。修行?」


 亮は咲羅が持つ木刀を見ていた。


「うん」


「夕希と舞弥は?」


「あの二人は……」


 咲羅の視線が、リビングルームの壁にかかったアナログ時計に移る。午後十時七分だった。


「ああ。もう寝てるか」


 舞弥は早寝早起き、夕希は早寝遅起きだった。二人とも毎日十時には就寝している。咲羅も普段は同じくらいに床に就くのだが、この日は興奮して眠れそうになかった。実技特訓の授業で、自分だけ一体も倒せなかったことが悔しかったのだ。


「咲羅が誘ったら二人とも起きてきそうだけど」


「いや、申し訳ないから」


「そう。僕でよかったら、修行付き合おうか?」


「んー、一人で大丈夫」


 一瞬迷ったが断る。今は一人で自分と向き合いたかった。


「おっけー。学園内とはいえ、夜は気をつけなよ」


 リビングルームへ戻っていく亮に礼を告げ、咲羅は学生寮を後にした。





 その後、学生寮からほど近い森へ入った咲羅は、一心不乱に木刀を振っていた。


 《夜眼》を使っているから、視界は真昼のように明るい。そのはずなのに、初任務の無力感や実技の授業での挫折感を思い出すたび、眼球に墨汁が広がったような錯覚を覚える。


 余計なことは考えるな、と自分に言い聞かせ、雑念を払うように素振りを繰り返した。


 初任務の報酬として、咲羅は一本の打刀をもらった。桜色の柄糸が特徴的な、刀助が咲羅のために打った刀だった。軽量化のため、棒樋と呼ばれる溝を刀身に掻いてあるが、刀はおろか竹刀さえ握ったことがない咲羅に扱える代物ではなかった。


 約一キログラムの長物は持ち上げるだけでも一苦労で、咲羅はまず半分の重量の木刀で修行をはじめたのだ。それでも、咲羅にとっては木刀も十分重く、最初はすぐに筋肉痛になった。血豆もたくさんできた。


 しかし、毎日かかさず稽古をしたおかげか、素振りだけであれば百回でも苦じゃなくなってきた。でも、これで本当に強くなれているのかわからない。


 また、気が散りはじめた。


 風人たちは武器に炎や水などをまとわせ戦うことが多い。その方が、威力が何倍も上がるからだ。また、武器を扱いながら複数の才を操る。しかし、自分はまだ才も剣術もうまくできない……。


 初等部のころから習っている同級生たち。九年の差は大きい。焦ってもしかたがない、差は努力で埋めるしかないと分かっていても、ふとした瞬間に挫けそうになる。この差は一生埋まらないのではないか、という気がしてくる。


 修行をすればするほど、風牙が言っていたウィンド・マスターがいかに遠い存在かが分かってきた。


 急に疲れが襲ってきた。もう今日は寮に帰って休もうか。そう考えた時――。


「こらー! そこのあんた! 夜中に何してんのよ!」


 頭上から女性の声が降ってきた。


「え?」


 咲羅は目を丸くし、首の筋が痛くなるほど勢いよく顔を上げた。


 星が瞬く夜空に、女性が一人ふらふらと飛んでいた。三十歳前後に見える女性は白衣を着て、手には目と同じ深紫色のボストンバッグを持っている。白衣の下は白いブラウスと黒のタイトスカートで、躑躅つつじ色のゆるくウェーブがかった長髪が妖艶だった。


「そこのじょーし!」


 女はまた叫んだ。呂律が回っていない。


「こんな時間に出歩いてると……うっ、きもちわるっ」


 口元を押さえた女は俯くと、空で吐瀉した。


「うわっ!」


 咲羅は慌てて女から距離を取った。吐瀉物と酒の混ざった独特な匂いが鼻をつく。


「あーむり、まじむり」


 弱った蚊のように力なく飛んでいた女は、急に高度を落とした。若葉の生い茂った枝に何度もぶつかりながら降下し、けやきの幹を背もたれにして座りこむ。


「だ、大丈夫ですか⁉︎」


 咲羅は女に駆け寄った。


「えー?」


 女は顔を上げた。目がトロンとしている。


「あ、あんたぁ、初等部生がこんな夜中に出歩くんじゃないわよー」


 女の吐く息は酒臭い。


「……高等部生です」


「えー? あーそうなのー。そりゃあ、ごめんごめん」


 女は豪快に高笑いをする。


「あの、傷、治しましょうか?」


 咲羅は女の脚を指差した。長くきれいな脚には、たくさんの切り傷ができている。


「あーこれー?」


 女は頭が重たいのか、首を真横に倒し、自分の脚を見つめた。そして、「だいじょうぶー」と間延びした声で言いながら、両脚を手でさっと撫でた。


 傷がなくなっていた。


「え⁉︎」


 喫驚する咲羅をよそに、女は寝息を立てる。


 これが後に咲羅の師匠となる、持滝もちたき祥子しょうことの出会いであった。

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