第70話:【獣の矜持、人の欺瞞】
── 断絶の肖像
外環大臣──その貌は、もはや「人」の理解を拒むほどに獣そのものだった。 60歳を超えた純血種。二足歩行する巨大な狼が、豪華な官服を裂かんばかりの筋肉を躍動させ、そこに立っている。対して、呼び出されたヴィンは、30代半ば。いわゆる「人間ブーム」の最中に生まれた世代であり、その姿は整った顔立ちに耳と尻尾があるだけの、極めて人間に近い「亜人」だ。
「……説明しろ、ヴィン」
大臣の声は、喉の奥から地響きのように重く響いた。 翔太は檻の中から、その圧倒的な存在感に息を呑む。
── 歪んだ「亡命」
「ヴィン。貴様は国内観光の案内を専門とする身でありながら、なぜ門の近くで越権行為に及び、あまつさえ『亡命』などという出鱈目な情報を流した。貴様の管轄ではないはずだぞ」
大臣の鋭い視線が、直属の部下であるヴィンを射抜く。ヴィンは表情を変えず、優雅に一礼した。
「大臣、私の行為はすべてウル・ズールの安全を最優先に考えた結果です。ヴォルガ軍が背後に迫る中、彼らを単なる滞在者として扱えば、我が国には彼らを保護する大義名分がございません。外交上の『亡命』というカードを切ることで、軍を動かす口実を作ったまでです」
「……貴様、嘘で塗り固めた救済に何の意味がある。貴様のやり方は、彼らの純粋な善意まで汚すものだ」
大臣は怒鳴るのではなく、静かに、そして悲痛そうにヴィンを諭した。
── 届かぬ「共鳴」
大臣は喉を微かに震わせた。 それは60歳以上の純血種にしか発せない「獣鳴共鳴」。超音波に近いその振動は、獣の血を引くヴィンの耳には明確な「意志」として届くが、人間である翔太たちには一切聞こえない。
(……何も聞こえない。でも、空気が震えてる気がする……)
大臣は「共鳴」を使い、ヴィンに直接問いかけていた。 『ヴィンよ。なぜお前はかつての誇りを捨てた。その端正な顔の裏で、何を隠している』
しかし、ヴィンの表情は凍りついたように動かない。 亜人として生まれ、人間に寄せる「人間ブーム」の中で育った彼にとって、この古き獣の意思伝達は、もはや疎ましいだけのノイズに等しかった。彼は大臣の慈愛に満ちた共鳴を無視し、あえて「人間の言葉」で返答した。
「……私は、新しい時代のウル・ズールのために動いているだけにございます」
大臣は寂しげに目を細めると、共鳴を止めて翔太たちに向き直った。
── 賢者の裁定
「……人間よ。驚かせてすまなかったな。そして……我が同胞を救うために命を懸けてくれたこと、この国の高官として礼を言う。お前たちの滞在については、私が責任を持って保障しよう」
大臣は、かつてリーズが受けた仕打ちや、翔太が抱えてきた「種族を裏切る」という覚悟の重さを、その眼差し一つで受け止めたかのようだった。
「ガイル、この者たちは賓客だ。拘置所ではなく、然るべき休息所を用意させろ。……ヴィン、案内しろ。それがお前の『専門業務』だろう。ただし──」
大臣の瞳が鋭く光る。
「──その前に、彼らの持ち物を全て洗い出せ。これは形式上の検閲だが、お前が犯した不始末への、私からの罰だ。一つでも不審なものを見逃せば、次は共鳴では済まさんぞ」
ヴィンの口角が、ほんのわずかに、不自然なほど左右対称に吊り上がった。
「御意、大臣……。……さあ、こちらへ。お客様」
格子が開く。自由への一歩のはずが、新たな罠の予感に翔太の背筋は凍りついた。




