第64話:【魔女の守人と、虎の猛攻】
── 紅色の審判
ニノは表情一つ変えず、淡々と、そして慈悲のない口調で告げた。 兵士たちが息を呑む。目の前の光景──自分たちが誇る精鋭たちが、このか細い子供一人に文字通り「全滅」させられたという現実に、思考が追いついていない。
「……ふざけるなッ! 殺せ、一斉に突けぇ!!」
指揮官の悲鳴に近い怒号。生き残った兵士たちが一斉に槍を突き出す。しかし、ニノが指を微かに動かしただけで、紅色の魔力の塊が鋼鉄の波を真っ向から押し返した。凄まじい衝撃音が響き、兵士たちの腕の骨、そして肋骨が一本残らず砕け折れる。
「……お、お前……魔女か……? 貴様は魔女の差し金か……!?」
最後に残った一人の兵士が、恐怖のあまり失禁し、震える声で問いかけた。 そこで、ニノは初めて嗤った。 その微笑みは、キャンプで見せていたあの不自然な作り笑いではない。数千年の深淵を湛えた、純粋なる破壊者のそれだった。
「……僕は、男ですよ」
「ありえない……化け……がはっ!」
ニノの呟きと共に、天から紅色の巨大な魔力の重圧が降り注いだ。兵士の存在そのものが、断末魔を上げる暇もなく平坦な肉塊へと変えられる。 ニノは血の海と化した石畳を一切汚すことなく歩み、女獣人の亡骸の前で静かに膝をついた。彼は、歌い終えて眠る彼女の閉じた瞼を、そっと細い指で撫でる。
「……安らかに。僕は 魔女の守人 。あなたの繋いだその命、責任を持って僕が運びましょう」
── 数時間前:虎の嗅覚
時計の針を、ヴォルガの軍勢がニノの手によって半壊させられる数時間前まで巻き戻す。
キャンプが急襲され、炎に包まれたその瞬間、誰よりも早く一目散に戦場を離脱した影があった。亡命軍の軍事的な柱であった虎人のリーダーだ。
「……やはり、完全に取り囲まれていたか」
彼は疾走しながらも、周囲の木々の不自然な揺れや、闇に溶け込む鋼鉄の擦れる音を敏感に察知していた。仲間を見捨てたのではない。老練な戦士としての本能が、この場でまともに受けて立てば一秒と持たずに磨り潰されると断じていたのだ。
虎人は足を止めず、腰に下げた巨大な剛剣の柄を握りしめる。
「葬儀部隊……。ヴォルガの残忍な連中をここまで引き寄せていたとはな」
彼は闇の中で、軍勢の配置を「音」と「気配」だけで立体的に把握していく。正面は厚く、左右も隙がない。だが、長年の戦場経験が、わずかな空白地帯──配置が最も疎かになっている一点を嗅ぎつけていた。
── 強行突破
「そこだッ!!」
虎人は進行方向を急転回させると、潜伏していたヴォルガ兵の目の前に躍り出た。突然の出現に、兵士たちが槍を構えるよりも早く、彼の剣が閃く。
「どけぇッ! 雑魚どもが!!」
重厚な剣鳴が響き、迎撃しようとした数人の兵士が、甲冑ごと一太刀で両断される。獣人特有の瞬発力と、一切の迷いがない洗練された剣技。彼は数の暴力で包囲を完成させる前に、最も抵抗の少ない「点」を食い破り、無理やり風穴を開けた。
「ガアアアアアッ!!」
咆哮と共に放たれた剣圧が、銀灰色の隊列を突き飛ばす。 葬儀部隊の兵士たちが体勢を立て直す頃には、虎人はすでに森の深淵へと消えていた。
彼一人では軍勢を止めることはできない。だが、彼はこの地獄から真っ先に抜け出し、どこへ向かおうとしているのか。その眼光は、遥か先にあるウル・ズールの巨大な壁、その「裏側」を見据えていた。




