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第60話:【漏れ出す深淵と、見えざる足音】

── 静寂と当番

思い出話に花を咲かせた獣人たちが深い眠りについた後、俺はリーズと焚き火を囲んで静かに語らった。彼女の穏やかな声に救われ、張り詰めていた心がわずかに解ける。だが、交代の時間は残酷にやってきた。


監視のペア。俺と一緒に焚き火の番をすることになったのは、あのエイベルだった。


パチパチと薪が爆ぜる音だけが響く中、俺は意を決して、リスクを承知で彼に問いかけた。


「……エイベル。一つ、教えてくれ。この道中に、強力な幻覚作用を持つキノコや植物はなかったか? 実はさっきから、俺の目に映る光景がどうもおかしいんだ。……みんなの顔が、不自然に歪んで見える」


自分の精神が限界だと思いたくない。その一心で放った問いだったが、エイベルは焚き火の光をその濁った瞳に反射させながら、さらりと答えた。


「いいえ。そんなキノコはこの道中には存在しませんよ。……原因は、僕にあります」


── 漏れ出す「正気」の侵食

エイベルは自らの細い指先を見つめながら、他人事のように言葉を継いだ。


「私という存在は、もともと生物の正気を奪う性質を持っています。この肉体を乗っ取った後も、完全に封じ込めることはできていない。微量ながらも『深淵』が漏れ出しているんです。……だから、今のあなたは正しい。みんなの精神も、認識も、少しずつ私によって狂わされ始めているんです」


俺の背中に冷たい汗が流れる。俺が見ていた不自然な笑顔は、俺の疲れではなく、隣に座るこの怪物の「汚染」の結果だったのだ。


「不思議ですね。あなたは影についても気づいていました。……でも、他の誰も、その異常について言及しようとしなかった。気づいていながら、気づかない振りをしている。それこそが、侵食が始まっている証拠ですよ」


影。あの、不自然に捻じ曲がり、触手のように蠢いていた影のことか。 俺ははっとして、エイベルに聞き返そうとした。


「……待て。敵は、その『影』を使うのか?」


だが、その問いが形になる瞬間、再びあの音が響き渡った。


── 第三者の気配

「ギャァァァァァァァァァァッ!!!」


夜の静寂を切り裂く、数千人の絶叫──。 クータが言っていた「鳴きキノコ」の爆音だ。俺は即座に立ち上がり、Lv. 20の反射神経でキャンプ全体を見渡した。


「リーズ! 全員起きろ!」


飛び起きた獣人たちの数を数える。……全員いる。誰も欠けていない。 俺は隣に立つエイベルに、喉を鳴らしながら問いかけた。


「……エイベル。誰かが踏んだわけじゃないんだな? 魔獣か何かが、森の中で偶然踏んでしまったんじゃないのか」


「……あり得ませんね」


エイベルは冷徹な知識を元に、即座にそれを否定した。


「鳴きキノコは非常に敏感ですが、魔獣は本能的にその場所を避けます。そして、この音の反響……。これは事故で踏んだ音ではなく、誰かが意図的に鳴らした、あるいは執拗に踏み荒らした音です」


俺たちの背筋に戦慄が走る。 キャンプのメンバーは全員ここにいる。そして、周囲に魔獣の気配はない。


「……俺たちの知らない『第三者』が、あの暗闇の中にいる」

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