第55話:【不協和な微笑と、洗礼の水辺】
俺は、リーズの背中を支えながら、遠くで静かに微笑むエイベルを見た。 彼の口角が、相変わらず不自然に、左右対称の完璧な角度で整っている。
(……おかしい)
違和感は、そこから感染するように広がった。 俺を元気づけようと見上げてくるニノの口元。泣き止んで鼻を啜るクータの小さな唇。 それら全てが、エイベルと全く同じ、定規で測ったような不自然な角度で吊り上がって見えた。
いや、それだけじゃない。 さっきまで殺気立っていたはずの虎人のリーダーも、槍を収めた鷲人も。 まるで全員が「和解」という名の仮面を一斉に被ったかのように、その口角が、相変わらず不自然に整っている。
「……翔太さん? 顔色が悪いですよ、大丈夫ですか?」
心配そうにこちらを覗き込んでくるリーズ。 その愛らしい、守るべき彼女の口元までもが──俺の目には、頬の筋肉を無視して無理やり釣り上げられた「異物」のように映った。
(……俺の精神が、いよいよやられてるのか)
極限のストレス。毎晩消える仲間。正体不明の影。 Lv. 20 という強大な肉体を持っていても、脳みそはただの「無職のデブ」だった頃の人間と変わらない。 このままでは、内側から崩壊する。 リーズを一人にするのは、今の状況では悪手中の悪手だと分かっている。だが、今のままでは彼女の顔を直視することさえできなくなりそうだった。
「……悪い。少し、頭を冷やしてくる」
「えっ? でも、翔太さん……!」
「すぐ戻る。……沢の音が聞こえるんだ。顔を洗って、リセットしたい」
俺はリーズの手を離し、クータが帰ってきた方角──水の音が響く森の奥へと足を踏み出した。
── 沢の静寂
木々が不自然に捻じれ、影が足元にまとわりつくような感覚を振り払い、俺は沢に辿り着いた。 そこは、クータが花を摘んできたと言っていた通りの場所だった。 透き通った水が岩を噛み、周囲にはあの青い花がひっそりと群生している。
「ふぅ……」
俺は膝をつき、両手で冷たい水を掬い上げた。 その冷気が掌を刺し、麻痺しそうになっていた思考を現実へと引き戻す。
(落ち着け。みんなが同じ顔に見えるなんて、あり得ない。投影だ。俺の恐怖が、周囲を塗り替えて見せているだけなんだ……)
何度も自分に言い聞かせ、俺は冷水を顔に叩きつけた。 何度も。皮膚が痛むほどに。
水飛沫が上がり、滴り落ちる雫が水面に波紋を広げる。 俺は濡れた顔を拭い、深く息を吐きながら、水面に映る自分の顔を見つめた。
「…………っ!」
水鏡に映った自分の顔。 そこには、自分でも見たことのない、完璧な左右対称の笑みを浮かべる俺がいた。 口角が、相変わらず不自然に整っている。
俺は笑っていない。 表情筋を緩めているはずなのに、水面の中の「俺」は、三日月のような角度で、爛々と輝く瞳で俺を見返していた。
背後で、枯れ葉を踏む音がした。
「……冷たいお水、気持ちいいですか? 翔太さん」
いつの間にか、すぐ後ろにエイベルが立っていた。




