第54話:【七日の猶予と、泥中の花】
── 絶望の算術
また一人、静かに「質量」が消えた。 夜明けと共に発見されたのは、最後尾で警戒に当たっていた腕利きの鷲人だった。その死体もまた、中身を全て吸い取られた抜け殻のように白く、地面にへばりついていた。
「……8、9、10――――」
虎人のリーダーが、震える声で生存者の数を数え上げる。
「おい、一人足りないぞ! クータはどうした!?」
一瞬、場に戦慄が走る。だが、森の奥から一人の幼い獣人の子供が、泥だらけの足取りでひょっこりと姿を現した。
「どこへ行っていたんだ、このバカ者が!」
親代わりの大人がクータを怒鳴りつけ、その肩を激しく揺さぶる。だが、そんな日常的な光景さえも、今のこの場所では狂気の色を帯びていた。
俺とリーズを意図的に除外したその点呼。かつては百人近くいた亡命軍は、今やたったの11人にまで激減していた。
「計算してみろ……毎晩、確実に誰かが消えている。このままのペースなら、あと七日も持たずに俺たちは全滅だ。ウル・ズールに着く前に、俺たちは全滅する」
虎人が、血走った目で俺とリーズを睨みつけた。
「もはやこれまでだ。……不吉な聖女と、それを見過ごす英雄。あんたたちを殺して、この『影』を止めなければ、俺たちに明日はない」
殺気が実体化し、物理的な圧力となって俺を襲う。 Lv. 20 の俺なら、この場にいる全員を数秒で無力化できるだろう。だが、恐怖に支配され、生きるために必死な彼らに、どうやって拳を振るえばいい?
(……本当に、ここで終わりなのか?)
俺の心に、冷たい諦念が染み込んでいく。
── 逆転の弁論
「待って! 殺すなんて間違ってるよ!」
沈黙を破ったのは、ニノだった。彼は俺たちの前に立ち、小さな身体を精一杯広げて獣人たちを遮った。
「僕、知ってるんだ。みんなが仲間たちの死を怖がってること。でも、お姉ちゃんは昨日も一昨日も、自分の寝る時間を削って、みんなの傷を治してたじゃないか! 奴隷だった時の僕を助けてくれたのは、お姉ちゃんみたいな優しい心だった。……冤罪で死んでいった僕の仲間たちみたいに、お姉ちゃんを死なせないで!」
ニノの叫びには、同情と、自らの痛みを伴う強烈な共感が宿っていた。獣人たちの矛先が、一瞬だけ揺らぐ。
そこへ、騒ぎを静観していたエイベルが、ゆっくりと歩み出た。
「……感情論だけでは、彼らは納得しないでしょう」
エイベルの声は驚くほど冷静で、論理的だった。
「仮に、ここで彼女たちを殺したとしましょう。ですが、もし『犯人』が別にいた場合、私たちは唯一の癒やし手と、最強の守護者を失った状態で、未知の影と戦わなければならなくなります。それは全滅の速度を早めるだけの、最も効率の悪い選択です。……今は、彼女たちの力を利用し、観察を続けるのが最善だと思いませんか?」
冷徹なまでの正論。エイベルの言葉は、強迫観念に駆られた彼らの脳に、冷や水を浴びせるように染み通った。
── 子供が見た真実
リーズは、震える声で隣の二人に問いかけた。
「……どうして、そこまでして私を信じてくれるの……?」
その問いに、俺は心の中で答えを用意していた。 (それは、君が誰よりも真っ直ぐで、自分を犠牲にしても他人を救おうとする姿を、俺がずっと見てきたからだ──)
だが、その言葉を口にする前に、森から帰ってきたばかりの子供、クータが歩み寄ってきた。大人の足元をすり抜け、クータはリーズの前に立つ。
「……お姉ちゃん、これ」
クータの手には、近くの沢で見つけてきたのであろう、青く透き通った美しい花で作られた不格好な「花冠」があった。
「おじちゃんたちは怒ってるけど、僕は知ってるよ。お姉ちゃん、僕が転んで膝を擦りむいた時、一番に駆けつけてくれた。獣人のおじちゃんたちが『人間を治すな』って怒ってた時も、お姉ちゃんは泣きながら僕を治してくれた。大人は難しいことばっかり言うけど……お姉ちゃん、ずっと優しかったもん」
クータは背伸びをして、リーズの頭に花冠を乗せた。
「綺麗な花、あそこの沢に咲いてたんだ。お姉ちゃんに似合うと思って」
子供の瞳には、大人たちが囚われている偏見も、恐怖による歪みもなかった。ただ「優しくされた」という純粋な事実だけが、そこにあった。
「……っ、ありがとう……。ありがとう、クータ……」
リーズが花冠を抑え、その場に泣き崩れる。 獣人たちの殺気は、子供がもたらした一輪の救いによって、行き場を失い霧散していった。
俺は、リーズの背中を支えながら、遠くで静かに微笑むエイベルを見た。 彼の口角が、相変わらず不自然に整っている。




