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第52話:【無貌の犠牲と、重力の消失】

── 眠れぬ夜の果て

夜通し、俺は天幕の入り口を凝視し続けていた。 Lv. 20 の感覚を研ぎ澄ませ、ネズミの足音一つ逃さないつもりで闇を監視していたはずだった。俺の隣では、リーズが不安げに眉を寄せながら、それでも疲労に勝てず小さな寝息を立てていた。


(……誰も通っていない。外からも、中からもだ)


だが、朝の光が霧を突き抜けて差し込んだ瞬間、再びあの「乾いた悲鳴」が静寂を切り裂いた。


俺はリーズを起こさないよう、弾かれるように外へ飛び出した。 冷たい空気の中に、昨夜の焚き火が爆ぜた時と同じ、鼻を突くような「焦げたオゾン」の臭いが混ざっている。


── 滑らかな絶望

人だかりができていたのは、食料を運ぶ馬車のすぐ側だった。 地面に転がっていたのは、昨夜までリーズを熱心に擁護していた、人間の避難民の女性だった。


だが、その遺体を目にした瞬間、俺の胃の底からせり上がるような不快感が込み上げた。


「……なんだ、これは」


彼女には、顔がなかった。 切り取られたのではない。目も、鼻も、口も、最初から存在しなかったかのように、**「滑らかな皮膚」**が顔全体を覆っていた。まるで、剥きたての卵の殻のように。


「ひ、ひぃ……! 顔が、顔が消えてる……!」 「昨夜、彼女は言っていたわ。『聖女様のために、今夜は私が見張りをする』って……!」


周囲の避難民たちが、腰を抜かして後ずさる。 獣人たちは、抜いた剣を誰に向ければいいのか分からず、ただ殺気立った目で互いを牽制し合っていた。


── 綻びゆく言葉

「翔太さん……? 何があったんですか……?」


目を覚ましたリーズが、天幕から顔を出した。 彼女が死体を見た瞬間、周囲の空気が一段と冷え込む。


「近づくなッ!」


一人の獣人が、槍の先をリーズに向けた。


「あんたが昨日、あの子に『お礼を言いたいから、夜にまた会いましょう』って言ったのを俺は聞いたぞ! それでこれか!? 顔を奪って、声を奪って……これがあんたの言う救済かよ!」


「え……? 私は、そんなこと……」


リーズが震えながら首を振る。 だが、そのやり取りを見守る者たちの瞳には、もはや「話を聞く」という意志は残っていなかった。


「……やめろと言っている。彼女は一晩中、俺と一緒にいた」


俺が前に出ると、虎人の戦士が吐き捨てるように言った。


「なら、あんたが共犯か? あるいは、あんたも『それ』なのか? 考えてみればおかしいんだ。急に現れて、俺たちの常識じゃ測れないようなデタラメな力を振るう。……あんた、本当に『人間』なのか?」


── 泥濘の中の傍観者

「みなさん、どうか落ち着いて……。高橋さんは、きっと私たちを守ろうとしてくれているんです……」


エイベルが、泣きそうな顔で群衆を宥めようと手を広げた。 だが、彼が動くたびに、地面に落ちている「証拠」を避けるような、不自然に計算された足運びに、俺の視線が釘付けになる。


エイベルが、俺と目が合うと、悲しげに首を振った。


「高橋さん……。実は私、昨夜見てしまったんです。……あなたの天幕から、**『長い影のような何か』**が這い出して、彼女のところへ行くのを」


「……何だと?」


「嘘じゃないんです! でも、信じたくなくて……。あれは、あなたの魔力の一部だったんですよね? 彼女を、守ろうとしたんですよね?」


エイベルの言葉は、一見すれば俺を庇っている。 だが、その内容は「俺の力が彼女を殺した」という結論を、逃れようのない事実として周囲に植え付けていた。


俺は拳を強く握りしめた。 Lv. 20 の筋力。この手でエイベルの首を掴み、その正体を暴き立てたい。 だが、今の俺にそれを実行するだけの「確信」がない。 エイベルが嘘をついているのか。あるいは、俺自身が無意識のうちに、異世界の毒に侵されて「何か」を放ってしまったのか。


(……見えない。何も見えない)


足元から、キャンプ全体が「底なしの沼」に沈んでいくような錯覚。 誰が敵で、何が真実か。 俺が信じられるのは、震えながら俺の服を掴むリーズの指先の冷たさだけだった。


「……移動を続けるぞ。ここにいたら、全員おかしくなる」


俺の言葉に、誰も従わなかった。 ただ、冷たい風が、顔のない死体の周りを虚しく吹き抜けていくだけだった。

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