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第51話:【見えない包囲網と、不信の天秤】

── いびつな行軍:感覚のオーバーロード

昨夜の不穏な空気、そして今朝の「干からびた死体」。 亡命キャンプを包む沈黙は、もはや単なる静寂ではなく、肌にまとわりつく粘り気を持った**「疑心」**へと変質していた。


(……うるさい。音が多すぎる)


翔太は、荷馬車の横を歩きながらこめかみを指で押さえた。 Lv. 20 に達した彼の五感は、数キロ先の木の葉が落ちる音さえ捉える。だが今、その鋭敏すぎる感覚が仇となっていた。


獣人たちの、低く、押し殺したような囁き声。


人間の避難民たちが、互いの持ち物を探り合う衣擦れの音。


誰かの、異様に速く、不規則な心音。


どれが「敵」のものか分からない。全員が怯え、全員が誰かを疑っている。この広大な平原にいるはずなのに、翔太はまるで四方を壁で囲まれた密室に閉じ込められたような、逃げ場のない閉塞感に苛まれていた。


── 盤上の沈黙:泥濘どろぬめの対話

昼食の配給時、決定的な亀裂が走った。 配られた硬いパンを前に、獣人たちのリーダー格である虎人の戦士が、翔太とリーズの前に立った。その手には、変死した狼人が大切にしていた「牙の首飾り」が握られていた。


「英雄様。……いや、高橋。これを見てくれ」


差し出された首飾り。その表面には、何かに焼かれたような、あるいは**「腐食した」**ような奇妙な跡がついていた。


「死んだガウルの遺品だ。……見張りの一人が言っていた。昨夜、君の天幕から白い光が漏れるのを見たとな。……聖女様、あんた、夜中に何をした?」


「……っ! 私は、翔太さんの怪我を少しだけ癒やして……それからはずっと寝ていました!」


リーズが必死に訴える。だが、虎人の瞳にあるのは確信に近い疑念だった。


「光が漏れた直後だ。ガウルが妙な声を上げて……それきりだった。……なあ、高橋。あんたは『人間』だ。夜目が利かないあんたが、隣で寝ている彼女の『本当の動き』をすべて把握できていると言い切れるのか?」


翔太は言葉に詰まった。 確かに、昨夜の自分は Lv. 20 の反動による深い眠りの中にいた。 (……リーズを疑いたくない。だが、俺が寝ている間に何が起きたか、物理的な証拠を持って証明することができない……!)


── 観察者の仮面:交錯する「誰か」

「あ、あの……みなさん、そんなに責めないでください……」


言い争いの輪の中に、エイベルがおずおずと割って入った。彼は怯えた手つきで、一通の汚れきった羊皮紙を差し出す。


「……これ、荷台の隅に落ちていました。ガウルの筆跡に似ていますが……」


そこには、震える文字でこう記されていた。 『影が笑っている。聖なる光の中に、影が潜んでいる。……次は、私が消される番だ』


「…………」


その場に凍りつくような沈黙が流れる。 エイベルは、翔太とリーズを庇うような素振りを見せながら、絶妙なタイミングで「疑念を深める断片」を投げ込んでいく。 彼は決してリーズを犯人だとは言わない。むしろ、熱心に彼女を弁護する。だが、その弁護の言葉一つ一つが、獣人たちの脳内で反転し、最悪の推論へと導く毒となっていた。


翔太は、集団の顔を一人ずつ見渡した。


怒りに震える獣人。


隅で震えながら、こっそりナイフを研いでいる人間。


献身的に振る舞いながら、時折、無機質な視線を死体に向けるエイベル。


(……この中に、犯人がいるのか? それとも、俺たちの知らない『何か』が混ざり込んでいるのか?)


確信が持てない。 Lv. 20 の力で誰かをねじ伏せることは容易だ。だが、もし間違った相手を叩けば、この集団は完全に崩壊する。それは、あちら側で微笑む「何か」にとって、最も望ましい結末に違いない。


── 思考の罠:出口なき迷宮

その夜。 翔太はリーズの手を握りしめたまま、眠らずに闇を凝視していた。 だが、どれだけ耳を澄ませても、聞こえてくるのは「正常な」夜の音だけだ。


不意に、翔太の視界の端で、キャンプの焚き火が一瞬だけ紫色に爆ぜた。


「……誰だッ!」


翔太が飛び出す。だが、そこには誰もいない。 ただ、地面にはガウルの死体にあったのと同じ、**「不自然に白く変色した土」**が、幾何学的な模様を描いて広がっていた。


それは、特定の誰かを指し示す証拠ではない。 むしろ、ここにいる全員が「加害者」であり「被害者」になり得るという、底知れぬ悪意の宣告だった。


(……クソッ。拳が、届かない……!)


岩をも砕く剛腕が、見えない「空気」を掴もうとして空を切る。 誰を信じ、誰を切り捨てるべきか。 翔太は人生で初めて、筋力では一歩も進めない、出口のない思考の迷宮に叩き落とされていた。

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