第50話:【凍りついた夜明けと、不信の種】
── 灰色の朝
昨夜のリーズとの静かな語らい、そして闇に蠢いた不穏な気配。それらを飲み込んだまま、亡命キャンプに重苦しい朝が訪れた。
霧が立ち込める森の空気は、吸い込むだけで肺が凍りつきそうなほど冷たい。翔太は浅い眠りから目を覚まし、反射的に傍らのリーズの無事を確認した。彼女はまだ眠りの中にいたが、その表情はどこか何かに怯えているようにも見えた。
その静寂を、一筋の悲鳴が切り裂いた。
「……何事だ!?」
翔太が天幕を飛び出すと、そこには獣人たちが一箇所に集まり、異様な殺気を放ちながら地面の一点を見つめていた。
── 歪な死体
輪の中心に転がっていたのは、一人の狼人の戦士だった。 彼は昨日、人間の教団騎士を治療しようとしたリーズを突き飛ばし、激しい怒りを露わにしていた男だ。その後、彼は乱戦で負傷し、最終的にはリーズの魔法によって命を繋ぎ止めていた。
だが、今の彼に「命」の欠片もない。
「……っ、これは……」
翔太が絶句したのは、その死に様だった。 外傷は一つもない。だが、その身体はまるで内側から全ての質量を吸い取られたかのように萎み、皮膚は陶器のように白く変色していた。瞳は大きく見開かれ、そこには恐怖というよりも、理解不能な「何か」を見た絶望が張り付いている。
「おい……これ、どういうことだ」
一人の虎人が、震える指先で死体を指差した。その視線は、翔太を通り越し、天幕から出てきたばかりのリーズへと向けられた。
「聖女様……あんた、昨夜こいつを治したよな? 治して、それから……何をしたんだ!?」
── 崩れる信頼
「えっ……私……?」
リーズが顔を蒼白にして立ち尽くす。 彼女の献身的な治療によって救われたはずの同胞が、翌朝には「異様な死体」に変わっている。獣人たちの中に、抑え込んでいた不信感が一気に噴出した。
「おかしいと思ってたんだ! 人間も獣も分け隔てなく救うなんて、そんなの神の御業じゃない、呪いだ!」 「こいつは、あんたのやり方に一番反対してた! だから消したのか!? 聖女の皮を被って、裏でこんな……っ!」
「違います! 私はそんなこと……!」
リーズの悲痛な叫びも、疑心暗鬼に陥った彼らには届かない。 昨日まで自分たちを救ってくれる「希望」だった存在が、今や「正体不明の恐怖」へと変貌していた。
「……やめろ。リーズがそんなことするわけないだろ」
翔太が Lv. 20 の威圧感を放ち、獣人たちの前に立ちはだかる。 一瞬だけ場が静まり返るが、かつてのような「英雄への畏敬」はない。そこにあるのは、化け物(翔太)と呪い(リーズ)に支配されていることへの、どす黒い反発心だった。
── 紛れ込む混沌の影
ギスギスとした空気が充満する中、翔太はふと背後に視線を感じた。 馬車の影から、エイベルが静かにこちらを見ている。
彼は他の避難民たちと同じように、怯えた表情を浮かべて死体を眺めていた。だが、その手元……昨日彼がなぞっていた奇妙な石の破片が、ほんの一瞬だけ鈍い紫色に明滅し、死体の色と同調したのを翔太は見逃さなかった。
「…………」
エイベルと目が合う。 彼はすぐに顔を伏せ、「怖いですね……」と小さく呟いて、怯える子供を抱き寄せた。その動作は完璧な「善良な市民」そのものだった。
だが、翔太の直感が警鐘を鳴らし続ける。 目の前の死体は、物理的な攻撃によるものではない。ましてやリーズの魔法のせいでもない。 このキャンプの中に、「質量」では決して防げない何かが這い寄っている。
「……移動の準備をしろ。ここに長居は無用だ」
翔太の声は空虚に響いた。 仲間だと思っていた者たちの瞳に宿る、リーズへの拒絶。 そして、無害を装いながら深淵を覗かせるエイベル。 亡命の旅路は、かつてないほど「冷たくて粘つくような」地獄へと足を踏み入れようとしていた。




