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第49話:【聖女の貌と、這い寄る無色】

── 焚き火の傍らで

騎士団との死闘が終わり、亡命キャンプには重苦しい静寂が戻っていた。負傷した獣人たち、そして翔太が「生かした」ことで皮肉にも命を繋いだ人間の騎士たち。リーズは、その境界線を歩くように、一人一人の傷に手を当て、慈愛の光を注ぎ続けていた。


ようやく一息ついた彼女の隣に、翔太は静かに腰を下ろした。


「……なぁ、リーズ。一つ聞いていいか」


「はい、何でしょうか。翔太さん」


「なんであいつら……自分を殺そうとした連中まで助けるんだ。獣人たちは不満げだし、人間たちはお前を呪ってる。効率で言えば、放っておくのが一番正解なはずだ」


リーズは少しだけ困ったように微笑み、自分の白く汚れた掌を見つめた。


「……多分、私は『正解』を選びたいわけじゃないんです。ただ、誰かが憎しみの火の中に一人で取り残されるのが、たまらなく嫌なだけ。……だって、最後の一瞬まで誰かに手を握ってもらえなかったら、その人の魂はどこへ帰ればいいのか分からなくなってしまうから」


あまりにもリーズらしい、自己犠牲を通り越した「無垢な」理由。翔太は、その答えをどこかで分かっていたような、不思議な納得感と共に吐息を漏らした。


「……ハハ、やっぱりお前はバカだな。……でも、そういうところが一番かなわない」


翔太は少し間を置いて、ずっと胸の奥に仕舞っていた疑問を口にした。


「……一つ、ずっと気になってたことがある。みんなお前を『聖女』って呼ぶけど……リーズ、お前の『正体』って、本当は何なんだ?」


リーズは動きを止めた。夜風に揺れる彼女の髪が、一瞬だけ月光を弾いて、この世のものとは思えない神々しい輝きを放つ。彼女はゆっくりと口を開き、静かに、だが確かな言葉を紡ぎ始めた。


「私は────」


── 這い寄る混沌

場面は一転し、キャンプの最外縁。 光の届かない深い森の境界線に、エイベルは一人で立っていた。


そこには風もなく、虫の音さえもしない。 ただ、「粘つくような何か」が空気を支配していた。


「…………」


エイベルがゆっくりと地面を見つめる。 彼の足元にあるはずの影は、月の位置を無視して、まるで意思を持つアメーバのようにドロリと長く伸びていた。影は平面であることを拒むように、木の幹を這い上がり、空間の捩れに合わせて奇妙な角度で屈曲していく。


ズルリ……、ズルリ……。


何かが這いずる音が聞こえる。 それは足音ではなく、濡れた内臓が地面を擦るような、生理的な嫌悪感を呼び起こす音だった。 エイベルの周囲の木々が、あり得ない方向に捻じ曲がり、幹には「瞬きをしない無数の目」のような節が浮かび上がる。


「観測は順調です。質量、倫理、そして……あの『器』の中身」


エイベルの口から漏れたのは、人間の声帯では再現不可能な、幾重にも重なった不協和音だった。 彼は虚空に向かって細長い指を伸ばす。その指先が触れた空間が、まるで割れた鏡のようにヒビ割れ、そこから形容しがたい原色の闇が溢れ出した。


不穏。 それは、これから起こるであろう悲劇の予兆などという生易しいものではない。 この世界そのものが、巨大な「何か」の胃袋の中で消化されるのを待っているだけだという、根源的な絶望の気配。


エイベルは、翔太とリーズがいるキャンプの方角を振り返り、三日月のような、歪な笑みを浮かべた。 その背後で、キャンプの焚き火が一瞬だけ紫色に爆ぜ、すぐに消えた。

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