表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

44/70

第44話:【目覚めの産声と、一週間の空白】

── 境界を越える意識

現実世界の朝。窓から差し込む柔らかな光と、隣で眠る陽葵の微かな寝息。彼女の温もりと、肌から漂う甘く優しい石鹸の香りに包まれ、翔太は深い微睡まどろみの中にいた。昨夜の騒動、そして一線を越えかけた熱情の余韻が、彼を安らぎの深淵へと誘っていた。


(……ずっと、こうしていたいな……)


そう願った瞬間、意識の端が鋭く、冷たく引き裂かれた。 安アパートのひび割れた天井が、万華鏡のように歪み始める。陽葵の香りは唐突に、鼻を突くような鉄錆の臭いと、野性味溢れる獣の匂い、そして何かが焦げたような煙の臭いへと塗り替えられていった。


(……あ。これ、戻るんだな……)


抗いようのない重力が魂の根元を掴み、底なしの奈落へと引きずり込んでいく。愛しい日常が遠ざかり、代わりに「戦場」の重圧が全身を圧迫した。次に目を開けた時、そこはもう、六畳間の布団の上ではなかった。


── 異形の包囲網

「……う、……あ……」


喉が焼けるように熱い。肺に吸い込む空気は重く、湿っている。翔太は鉛のように重い瞼を、震わせながら押し上げた。


視界に飛び込んできたのは、王城の高く聳え立つ石造りの天井ではなかった。煤け、汚れ、所々に継ぎ接ぎのある巨大な天幕テントの天井。横たわっているのは豪華な寝台ではなく、硬い地面の上に敷かれた薄い毛布の上だった。


「ッ! 目を覚ましたぞ!」 「おい、英雄様が起きた! 早く虎人(リーダー)を、いや聖女様を呼んでこい!」


野太く、地響きのような声が鼓膜を震わせる。翔太は反射的に身を隠そうと腕を動かしたが、全身を襲う凄まじい倦怠感と、節々の鋭い痛みに息が止まった。


焦点の定まらない視界。そこには、筋骨隆々の「人間」ではない者たちがいた。 虎の頭を持ち、鋭い眼光を放つ大男。灰色の毛並みに狼の耳を立てた精悍な戦士。そして、鋭い鉤爪を持ち、周囲を警戒するように羽を休める鷲人。


「……獣人……? なんで……」


現実世界の常識が残る脳が、拒絶反応のようにパニックを引き起こす。かつての「デブで無力だった頃」の彼なら、この光景だけで恐怖のあまり失神していただろう。だが、今の彼の肉体はLv. 20 。

主の意識とは無関係に、生存本能が自動的に発動する。彼の毛穴から漏れ出した圧倒的な覇気が、一瞬にして天幕内の空気を凍らせた。

「ひっ……!」


周囲を囲んでいた獣人たちが、本能的な恐怖に顔を歪め、一斉に後退りする。弱者が強者に相対した時の、根源的な拒絶反応。翔太がただ目覚めただけで、その場は静まり返った。


── 聖女の涙と、断絶された時間

「翔太さん……っ! 翔太さん!!」


天幕の入り口を乱暴に跳ね除け、一人の少女が飛び込んできた。 かつては神々しい白さを誇っていた聖女の法衣は、泥と血に汚れ、裾はボロボロに裂けている。だが、その琥珀色の瞳に宿る澄んだ光だけは、翔太が命を懸けて守り抜いたあの日のままだった。


「……リーズ……。無事、だったんだな……」


枯れた声で名を呼ぶ。その瞬間、リーズの表情が崩れた。


「……っ、うわぁぁぁん!!」


彼女は翔太の胸に顔を埋め、幼子のように声を上げて泣きじゃくった。 その手は小刻みに震え、翔太のシャツを強く、二度と離さないという意志を込めて握りしめている。その涙は、再会の喜びだけでなく、底知れぬ恐怖から解放された安堵の混ざったものだった。


「ひどいです……! あの時から、丸一週間も……! 呼吸も脈も止まって、お身体もまるでお亡くなりになったみたいに冷たくなって……。私、もう二度と、翔太さんとお話しできないのかと思って……!」


「……一週間? 俺が?」


翔太は驚愕した。現実世界では、陽葵と過ごしたわずか二日ほどの間だったはずだ。二つの世界の時間軸が決定的に狂い始めているのか。


「はい……。あの王城の爆発の後、翔太さんは真っ黒な紋様に全身を包まれて倒れたんです。あの『影の牙』の猛毒と、放たれたあまりに強大な魔力に、お身体が耐えきれず仮死状態になっていたんだって……。獣人の皆さんがいなければ、私たちはあそこで力尽きていました」


リーズは、翔太の大きな手を両手で包み込み、自分の頬に押し当てた。その肌の温もりを確かめるように、彼女は何度も何度も、翔太の名を呟きながら涙を零し続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ