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第4話:【強制送還と肉体の初進化】

迷宮最下層は、一瞬にして死の静寂に包まれた。 泥だらけのローブを纏った女魔法使いは、ただ口を半開きにして立ち尽くしていた。 目の前に広がる光景を、言葉という既存の枠組みで捉えることは不可能だった。


つい数瞬前まで自分たちを食い殺そうと四方から群がっていた数千の魔物。それが、高橋翔太が放った正体不明の重圧によって、文字通り石床に塗り潰されていた。 王女たちが伝説の英雄を呼び出そうとして現れたのは、醜いデブの中年男だった。しかし、その男が放った一撃は、伝説の魔法を遥かに凌駕する暴力的なまでの質量を持っていた。


「あ……、あ……」


女魔法使いは、震える指先を高橋の方へ向けた。 何かを叫ぼうとしたのか、あるいは助けを呼ぼうとしたのか、彼女自身にも分からなかった。ただ、極限の驚愕が喉をせき止め、意味のある音を出すことを拒絶させた。


その視線の先で、数百の魔物を一瞬で無力化した巨漢――高橋翔太が、突然糸の切れた人形のように崩れ落ちた。 120キロの巨体が石床に叩きつけられる鈍い音が響く。だが、彼はぴくりとも動かない。 意識がこの世界から消失したことを、その抜け殻のような肉体が物語っていた。


警告:急激なレベル上昇を検知。 レベル1からレベル4へ到達。 短時間での過剰な身体強化により、現実世界との同期負荷が許容値を超過。 強制シャットダウンおよび意識の再送還を実行する。


高橋の脳内に響く無機質な通知は、女魔法使いには聞こえない。彼女はただ、圧倒的な力を示した直後に気絶した「謎の男」の傍らで、狂乱の余韻に震えることしかできなかった。


――次に高橋翔太が意識を取り戻したのは、鼻を突く強烈な異臭の中だった。


そこは、見慣れたアパートの、シミのついた天井の下だった。 窓の外からは冬の濁った朝日が差し込み、埃が光の粒となって舞っている。 高橋は自分がベッドの上で、ずぶ濡れだったワイシャツを真っ黒に汚して倒れていることに気づいた。


「……夢、じゃ、ない……」


身体を起こそうとした高橋は、即座に異変を察知した。 身体が、恐ろしく軽い。 これまでの人生で常に背負っていた、泥のように重い倦怠感や膝の痛みが霧散していた。 それどころか、視界が以前より鮮明になり、遠くの壁に貼られたカレンダーの文字がくっきりと読み取れた。


「なんだ、この汚れは……。臭すぎる」


ベッドのシーツは、どす黒い粘着質な液体で広範囲に汚染されていた。 自分の腕を見ると、毛穴から染み出した老廃物が膜となって肌を覆っている。 異世界でレベルが4まで上がった際、肉体の再構築に必要なエネルギーを得るため、不要な脂肪と毒素が魔力の奔流によって強制的に排出された結果だった。


高橋はふらつく足取りで洗面所へ向かった。 シャワーを浴び、こびりついた「過去の自分」を洗い流してから、彼は恐る恐る姿見の前に立った。


「……これが、俺か?」


鏡の中にいたのは、昨日までの自分とは明らかに違う、不気味なほどの変貌を遂げた男だった。


洗面台の下から古い体重計を引き出し、その上に乗る。 表示された数値は、112キロだった。 一晩で8キロの減少。数字そのものも異常だが、見た目の変化はそれ以上に劇的だった。 パンパンに張っていた顔の肉が削ぎ落とされ、厚い脂肪に埋もれていた鼻筋が鋭い稜線を描いている。 どんよりと濁っていた瞳には、異世界で魔物を屠った時と同じ、冷徹なまでの光が宿っていた。


鏡の中の男は、依然として肥満体の範疇にいた。 だが、その立ち姿には、かつての卑屈な事務員の面影はどこにもなかった。 レベルが4まで上がったことで、肉体の基礎強度が根本から作り替えられていた。


その時、静かな部屋に不快な電子音が鳴り響いた。 床に転がっていたスマホの画面が明滅し、昨日自分を地獄に突き落とした男の名前が表示された。


【田中(営業部)】


高橋は無機質な瞳でその画面を見つめた。 かつての彼なら、心臓を激しく脈打たせながら、謝罪の言葉を準備して電話を取っていただろう。 だが今の彼は、ただ冷ややかに、その震える機械を眺めていた。


右手の指先がわずかに動く。 その瞬間、高橋の周囲の空気が、異世界での重力魔法を彷彿とさせるように、一瞬だけ重く沈み込んだ。

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