第38話:【閉ざされた門と、二度寝の誘惑】
── 深淵への再挑戦
自室のベッドの上。翔太は意識を極限まで集中させていた。 異世界への帰還。その条件である「睡眠」を、単なる休息ではなく「転移の儀式」として捉え、彼は心の中で強くリーズの名を唱える。
(……来い。あの感覚、あの空気の重み……。戻らせてくれ、リーズの元へ!)
Lv. 20の肉体が、静かに熱を帯びる。かつての「デブ」だった頃の悪夢を上書きするように、今の自分なら彼女を確実に救い出せるという確信を胸に、彼は意識の深淵へとダイブした。
……。 ……。
数時間後。
「……まぶし」
カーテンの隙間から差し込む、残酷なほどに明るい朝の光。 目を開けた翔太の視界に飛び込んできたのは、ひび割れた天井と、昨日脱ぎ捨てたはずの「ストレッチ素材のセットアップ」だった。
「……また、ダメだったか」
がっくりと肩を落とす。異世界は依然として、彼を拒絶し続けていた。かつてあれほど帰りたかった「現実」が、今はリーズという心残りのせいで、重い鎖のように翔太を縛り付けている。
── モーニング・パニック
絶望の二度寝を決め込もうとした翔太のスマートフォンが、けたたましく震えた。
陽葵:『おはよ! 昨日言ってた「普通の服」だけど、やっぱりもう一着くらい予備があった方がいいわよね? 今日も付き合ってあげてもいいわよ(笑)』
翔太は目をごしごしと擦り、画面を見つめる。 昨日、あんなに「狭い」「苦しい」という思いを(勘違いだが)させてしまったのに、今日も誘ってくれる。
(陽葵のやつ……。俺みたいな無職の面倒を見るのが、よっぽど不憫なんだな。幼馴染の義務感とはいえ、本当にいい奴だ……)
翔太は申し訳なさ半分、そして一人でリーズのことを考え続ける孤独に耐えかねた寂しさ半分で、返信を打った。
『助かる。昨日の服、着る時にまたボタン飛ばしそうだしな。今日もよろしく頼む』
── 日常の破壊者(物理)
待ち合わせの準備をしようと立ち上がった時、Lv. 20の弊害が再び翔太を襲う。
「……あ」
歯を磨こうと洗面台の蛇口を軽く回したつもりが、「ゴリッ」という嫌な感触と共に、プラスチックのレバーが飴細工のようにへし折れた。
「……またか。力が、制御しきれてない」
もはや、この安アパートの設備では彼の「質量」に耐えられないのだ。昨日買ったばかりのシャツを、今度は「絶対に破かない」という決死の集中力で袖に通す。 鏡の中には、フサフサの黒髪に、筋密度の高すぎる上半身を無理やり布に閉じ込めた「歩く兵器」のような男が立っていた。
── カフェの密談:恋愛頭脳戦(翔太不在)
駅前のカフェで合流した二人。陽葵は、昨日よりも少し気合の入ったワンピース姿で現れた。 対面するテーブル席。翔太が座るだけで、カフェチェアが「ミシミシ」と悲鳴を上げる。
「あの、翔太。あんた、今日もなんだか……一段とデカくなってない?」
陽葵は、テーブルの下で自分の膝を強く押さえていた。 目の前に座る男から放たれる、圧倒的なオスの覇気。昨日、試着室で触れたあの「熱さ」が、コーヒーの湯気と共に記憶を呼び覚まし、彼女の理性を激しく揺さぶる。
(陽葵の脳内モノローグ) ちょっと待って。これ、二日連続のデートよね? 昨日の今日で、向こうから「助かる」なんて……。これってもう、あたし無しじゃ生きていけないって告白と同義じゃない!?
「ああ、そうかもな。筋トレ、ちょっとやりすぎたかもしれない」
翔太は申し訳なさそうに、ストローを指先で弄ぶ。その指先だけでも、陽葵の腕より太いのではないかと思えるほど逞しい。
「……まあ、いいわよ。今日は服だけじゃなくて、あんたの「これから」についても考えないとね。退職金があるからって、ずっと引きこもってちゃダメだし」
「そうだな……。リーズ……じゃなくて、やりたいこともあるし、しっかりしないとな」
「……りーず?」
陽葵の瞳が、一瞬だけ鋭くなる。聞き慣れない女性のような響き。 しかし、翔太はすぐに「あ、いや、理数系の……勉強とかさ!」と、苦しい言い訳で誤魔化し、慌ててアイスコーヒーを飲み干した。
── 忍び寄る「日常」の限界
カフェを出て歩き出す二人。 道ゆく女性たちが、まるで映画スターを見るような目で翔太を振り返り、男性たちがその圧倒的なガタイに無意識に道を譲る。
翔太はまだ気づいていない。 異世界への門が閉じているのは、彼の肉体が現実世界の「質量」に適合しきれていないためか。 あるいは、帰還を許さないのか。
二人の距離は、昨日よりも確実に数センチ、縮まっていた。




