第2話:【奈落の生け贄と覚醒】
冷たい石床の感触と、鼻を突く血生臭い獣の咆哮。 意識が浮上した高橋翔太の視界に飛び込んできたのは、狂乱する数千の魔物の群れと、それを取り囲む四人の男女でした。
「な……んだよ、これ……」
「なによこれ! 説明しなさい! 禁術のスクロールまで使ったのよ!? なぜ伝説の調停者ではなく、こんな汚らわしい豚が現れるの!?」
頭上から響くのは、鈴を転がすような、しかし猛毒を含んだ傲慢な声。白銀の軽鎧を纏った少女が、絶望に顔を歪ませる高橋をゴミのように見下ろしていました。
「殿下、落ち着いてください。……しかし、鑑定の結果は魔力ゼロ。ただの動く脂身です」
重厚な鎧の大男が剣を構えながら吐き捨てます。その隣で、美形の剣士が迫りくる魔物の爪を弾き飛ばしながら、冷酷な提案を口にしました。
「姫様、包囲網が縮まっています。このままでは全滅だ。……幸い、デブの肉は魔物の足止めにはなる。それに、魔力が尽きかけているその役立たずも置いていきましょう」
剣士の視線が、端の方で震えながら杖を握りしめる、泥だらけの女魔法使いに注がれました。
「えっ……? あ、あの、騎士様……?」
「名案ね」
少女の唇が、美しくも残酷な形に吊り上がりました。
「貴女、その豚と一緒にここで魔物を引きつけなさい。それが、この国に仕える魔法使いとしての最後の務めよ」
「そんなっ!? 置いていかないでください! お願い……!」
女魔法使いが涙を流して縋ろうとしましたが、大男が高橋の襟首と彼女の腕を掴み、猛り狂う魔物の群れの方へと力任せに投げ飛ばしました。
「死んで役に立て、このゴミ共が!」
四人は高橋たちを盾にするようにして、瞬く間に迷宮の奥へと逃げ去っていきました。 後に残されたのは、泣き崩れる少女と、120kgの肉体を引きずりながら這いつくばる高橋。そして、食欲に目を血走らせた魔物たちの群れだけでした。
現実世界で会社を追放され、異世界でも「生け贄」として捨てられる。 高橋の瞳から光が消え、底冷えするような怒りが限界を突破したその瞬間、脳内で凄まじい電子音が爆発しました。
【――警告:宿主の生存本能および不当な棄却を検知】 【条件達成:固有スキル『我慢の対価』および『忍耐者の玉座』を完全起動します】
「……ふざけるな」
低く、地を這うような声。 落下してきた魔物の爪が高橋の首筋に届く直前、網膜に冷徹なブルーのウィンドウが浮かび上がりました。
【10年間のサービス残業、パワハラ、容姿への侮蔑……全ての負債を魔力に変換】 【権限獲得:重力魔法『支配者の引力』】
ドォォォォォン!!
轟音と共に猛烈な土煙が舞い上がる。 隣で死を覚悟して目を瞑っていた女魔法使いが、恐る恐る目を開けた。 そこには、信じられない光景が広がっていた。
自分たちを包囲していた魔物の群れが、まるで巨大なプレス機にかけられたかのように、地面にへばりついていた。高橋の周囲数十メートル、その範囲にいた数百の魔物たちが、身動き一つできずに石床に押し潰されている。
女魔法使いの目には、高橋が数千の軍勢を一瞬で壊滅させたかのように見えた。 だが、実際の高橋の力はまだそこまで完成されていない。発動したのは重力魔法の極一部。殺しきれたのは直近の数体であり、残りはただ、あまりの重圧に意識を失い、動けなくなっているに過ぎなかった。
それでも、その光景は圧倒的だった。 高橋がゆっくりと立ち上がる。その全身からは、醜い脂肪が魔力の燃料として猛烈な勢いで燃焼し、青白い蒸気が立ち上っていた。
「……あいつら、絶対に許さない」
【レベルアップを検知。第一次・肉体再構築を実行】 【現実世界への身体同期を開始します】
同時刻。現実世界のボロアパート。
ベッドで眠り続ける高橋翔太の肉体が、蒸気を発するほどの熱を帯びていました。 毛穴からどす黒い老廃物が大量に噴き出し、見るも無惨だった120kgの体躯が、内側から激しく鳴動しながらその形を変え始めた。




