第17話:【捕食者の眼光と、崩れる虚勢】
現実世界のアパートの廊下。 狭い空間に、暴力的なまでの圧迫感が充満していた。かつての「獲物」をいたぶるためにやってきた木戸たちは、今や自分たちが檻の中に閉じ込められた小動物であるかのような錯覚に陥っていた。
「な、なんだよ……その目は。脅してるつもりかよ、デブのくせに……!」
木戸が震える声を絞り出し、取り巻きたちの前で面目を保とうと右手を振り上げた。かつて何度も翔太を地面に這いつくばらせた、屈辱の拳。 だが、その拳が翔太の顔に届くことはなかった。
「……遅いな」
翔太が、ただ静かに木戸の手首を掴んだ。 その瞬間、木戸の表情が絶望に染まる。掴まれた箇所から、骨が軋む「ミシミシ」という鈍い音が響いたからだ。翔太は力を入れているつもりすらなかった。ただ、動かないように固定しただけで、強化された握力は鋼鉄の万力のごとき圧力を発揮していた。
「あ、あが……ッ! は、離せ、折れる! 手が折れる!!」
木戸が悲鳴を上げ、その場に膝をつく。かつての「王」が、無様に床に這いつくばる。その光景を、背後で見守っていた陽葵は、胸が高鳴るのを止められなかった。
(すごい……。木戸たちが、手も足も出ない……)
陽葵は知っていた。翔太は本質的に優しい人間だ。だからこそ、今の彼が放つ「冷徹なまでの強さ」が、彼女の目には眩しいほどに凛々しく映った。自分を、そして自分の居場所を脅かす存在を、圧倒的な力で排斥するその姿。 彼女の頬は赤く染まり、その瞳は、もはや恐怖に怯える幼馴染を見るものではなくなっていた。
「木戸。二度と俺の前に現れるな。……次はないぞ」
翔太が手を離すと、木戸たちは脱兎のごとく階段を駆け下りていった。捨て台詞を吐く余裕すら、彼らには残されていなかった。
一方、その頃──異世界の巨木の洞。
「……あ、つっ……」
眠っている翔太の身体を抱きかかえていたリーズが、思わず手を離した。 翔太の肉体から、陽炎のような熱気が立ち昇っていたからだ。現実世界で木戸の手首を掴んだ瞬間、彼の心拍数は跳ね上がり、休眠状態のはずの異世界の肉体にも、激しいエネルギーが逆流していた。
[現実世界での敵対行動を検知。] [一時的な神経励起により、筋密度が定着を開始します。]
「高橋さん……? 何が起きているの……?」
リーズは、苦しげに顔を歪める翔太の額を、濡らした布でそっと拭った。 彼の肌は、まるで火にかけた鉄板のように熱い。 リーズは直感していた。彼は今、目に見えない別の戦場で、自分たちのために何かを終わらせようとしているのだと。
「……頑張って、高橋さん。私は、ここにいますから」
リーズは、再びその熱い身体を抱きしめた。 熱さで腕が火傷しそうになっても、彼女は離さなかった。 家系からも、国からも「欠陥品」として捨てられた自分。 そんな自分を、泥の中から掬い上げてくれた。 この熱さは、彼が生きている証であり、自分を守ってくれている「盾」の熱さそのものだった。
やがて、翔太の呼吸が安定し、異常な熱気が引いていく。 それと同時に、現実世界で木戸を追い払った翔太の意識が、再びこちらの世界へと沈み込み始めていた。
「……ん」
翔太の瞼が動く。 リーズの膝の上で、彼はゆっくりと目を開けた。そこには、不安と安堵が入り混じった瞳で自分を見つめる、銀髪の魔導師の姿があった。
「高橋さん……! 気がつきましたか?」
「……リーズか。悪い、また長く寝てたみたいだな」
翔太が起き上がると、木の洞の中に、以前よりもさらに重厚な気配が満ちた。 現実世界で「過去」との決別を一つ終えたことで、彼の魂はより強固になり、それがこの世界の肉体にも反映されていた。
二人の距離は、狭い木の洞の中で、以前よりもずっと近くなっていた。 それは言葉による約束ではない。 互いの「痛み」と「熱」を共有した者だけが辿り着ける、静かなる誓いだった。




