第七章「終幕なき演目」
夜明けが、舞台の隙間から差し込んでいた。
雨はすでにやみ、雲の切れ間から細く伸びた光が、舞台の床を撫でていく。
その光の中に、一つの布が置かれていた。
中には、世阿弥が静かに包んだ“面”がある。
三人は言葉を交わさない。
語るべきことは、もうすでに語られていた。
シェイクスピアは帽子を胸に抱き、客席を見つめる。
オスカーは背筋を伸ばし、鏡の前から一歩も動かない。
世阿弥は、舞台中央の布に祈るように頭を垂れた。
「……問いは、受け渡されたのだな」
シェイクスピアが、低く、舞台の空気に溶けるように言った。
「面は仮面であり、面は問い。
君がそれを置いたことで、この劇場には“続きを求める空白”が生まれた。
そして空白こそが——演劇のはじまりだ」
「終わらせないために、終える」
オスカーの声は穏やかだった。
「仮面を持ち帰っていたなら、これは“個人の記憶”で終わっただろう。
だがそれを置いていくことで、これは“誰かの物語”になった。
いつか、誰かがこの仮面を手にし、また新しい“問い”を演じる」
世阿弥は、何も言わなかった。
ただ一度、深く息を吸い、目を閉じた。
その呼吸は、あの初舞台のときと同じだった。
胸の奥が震え、体の外に“誰か”が宿るような、あの気配。
だが今日は、その“誰か”に、場所を明け渡した。
自分ではない誰か——まだ見ぬ誰かに。
三人は、静かに舞台を後にする。
誰が先に歩き出したかは、わからない。
振り返る者もいなかった。
廃劇場には、ただ、包まれた仮面だけが残された。
雨に濡れず、月に照らされることもなく、
ただ静かに、日の光を受けていた。
風が吹く。
破れた緞帳が、さわ、と揺れた。
床が、わずかにきしんだ。
そして——
足音が、客席の奥から響いた。
きぃ、きぃ、と木の板を踏む音。
それは、観客席の最後列から始まり、
ゆっくりと前方へと歩を進める。
誰の姿も見えない。
けれど、確かに“誰か”が、そこにいた。
舞台の縁に、一つの手が現れる。
その手が、ゆっくりと仮面の包みをほどく。
そして——
仮面を、拾い上げた。
顔は見えない。
声も、ない。
ただ、その手だけが、仮面をしっかりと握りしめていた。
劇場は、再び静寂に戻る。
だが、何かが確かに始まっていた。
それは——
終幕なき演目。
いま、仮面は新たな顔を探している。