第六章「仮面に問う」
仮面は、問いかけていた。
その深い目の穴から、何も語らぬまま、ただ静かに、舞台の空気を吸っていた。
それを囲むように、三人の男たちが立っていた。
「……この面を持ち続ける限り、わたしは……父の影を演じているのかもしれません」
世阿弥の言葉は、宙に浮いたように軽かった。
だが、その背後には長く伸びる影が見えた。
「それは、悪いことじゃない」
シェイクスピアが、そっと言う。
「誰もが、何かの影を生きている。親の影、社会の影、自分の理想という影。
だが君は、その影に“形”を与えてきた。演じることで、語ることで」
世阿弥は小さく首を振った。
「……演じるほどに、“わたし”は薄れていくのです。
時々、面の下にいるのが自分なのか、父なのか、もうわからなくなって……
それでも手放せずにいる。この面だけが、わたしの“演者としての証”だから」
「君が面をつけている限り、“誰か”であり続ける」
オスカーが鏡の前で静かに言った。
「だが、それを外すという選択肢もある。
演じることから降りるのではない。“次の誰かに演じてもらう”ことだ」
世阿弥が振り返る。オスカーの視線は、仮面を見てはいなかった。
彼は鏡に映る自分をじっと見つめていた。
「私は、美にすがった。仮面を磨き、衣装を整え、毒のある言葉をまとうことで、自分を守ってきた。
だが、その美はいつも、他者の視線を前提にしていた。
……いま、観客のいないこの劇場で、私はこう思う。
“見られること”に意味を託しすぎてはいけない。託すこと自体が、演者の終幕なのだ」
世阿弥は、仮面を見つめた。
それは、彼が一度も舞台の上で手放したことのないものだった。
父の代から受け継がれ、自分を演者として支え、何度も救ってくれた——
だからこそ、手放すことは裏切りのように思えた。
だがいま、はじめて思った。
この面を守ることは、自分が“問い続ける者”であり続けるということだ。
けれども、問いは、いつか“渡す”必要があるのではないか。
「……この面は、わたしにとって、ひとつの問いでした」
そう呟いたとき、彼の声音には、迷いがなかった。
「“演じるとは何か?” “人の真はどこにあるのか?”——
それを抱えて生きてきました。
けれど、それを抱えたままでは……“答えを探す者”で終わってしまう。
……いま、わたしは、“問う者”として、この面を……誰かに渡したい」
シェイクスピアは、ゆっくりと頷いた。
「君の問いは、きっと誰かに届く。
芝居というものは、言葉ではなく、場と物によって残るんだ。
——その面が、君の最後の台詞になるのかもしれないね」
オスカーも、珍しくうなずいた。
「“美しい沈黙”というのは、ある。
この面を置くことで、君は——“演じること”から最も遠く、そして最も近いところに立つのだろう」
世阿弥は、ゆっくりと面を布で包み、
舞台の中央に、まるで祭壇に捧げるように、それを置いた。
誰にも見られない。
誰の拍手もない。
だが、それは**“確かな幕引き”**だった。