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仮面に問う  作者:
6/7

第六章「仮面に問う」

 仮面は、問いかけていた。

 その深い目の穴から、何も語らぬまま、ただ静かに、舞台の空気を吸っていた。


 それを囲むように、三人の男たちが立っていた。


 


 「……この面を持ち続ける限り、わたしは……父の影を演じているのかもしれません」


 世阿弥の言葉は、宙に浮いたように軽かった。

 だが、その背後には長く伸びる影が見えた。


 


 「それは、悪いことじゃない」


 シェイクスピアが、そっと言う。


 「誰もが、何かの影を生きている。親の影、社会の影、自分の理想という影。

 だが君は、その影に“形”を与えてきた。演じることで、語ることで」


 


 世阿弥は小さく首を振った。


 「……演じるほどに、“わたし”は薄れていくのです。

 時々、面の下にいるのが自分なのか、父なのか、もうわからなくなって……

 それでも手放せずにいる。この面だけが、わたしの“演者としての証”だから」


 


 「君が面をつけている限り、“誰か”であり続ける」


 オスカーが鏡の前で静かに言った。


 「だが、それを外すという選択肢もある。

 演じることから降りるのではない。“次の誰かに演じてもらう”ことだ」


 


 世阿弥が振り返る。オスカーの視線は、仮面を見てはいなかった。

 彼は鏡に映る自分をじっと見つめていた。


 


 「私は、美にすがった。仮面を磨き、衣装を整え、毒のある言葉をまとうことで、自分を守ってきた。

 だが、その美はいつも、他者の視線を前提にしていた。

 ……いま、観客のいないこの劇場で、私はこう思う。

 “見られること”に意味を託しすぎてはいけない。託すこと自体が、演者の終幕なのだ」


 


 世阿弥は、仮面を見つめた。


 それは、彼が一度も舞台の上で手放したことのないものだった。

 父の代から受け継がれ、自分を演者として支え、何度も救ってくれた——

 だからこそ、手放すことは裏切りのように思えた。


 


 だがいま、はじめて思った。


 この面を守ることは、自分が“問い続ける者”であり続けるということだ。

 けれども、問いは、いつか“渡す”必要があるのではないか。


 


 「……この面は、わたしにとって、ひとつの問いでした」


 そう呟いたとき、彼の声音には、迷いがなかった。


 「“演じるとは何か?” “人の真はどこにあるのか?”——

 それを抱えて生きてきました。

 けれど、それを抱えたままでは……“答えを探す者”で終わってしまう。

 ……いま、わたしは、“問う者”として、この面を……誰かに渡したい」


 


 シェイクスピアは、ゆっくりと頷いた。


 「君の問いは、きっと誰かに届く。

 芝居というものは、言葉ではなく、場と物によって残るんだ。

 ——その面が、君の最後の台詞になるのかもしれないね」


 


 オスカーも、珍しくうなずいた。


 「“美しい沈黙”というのは、ある。

 この面を置くことで、君は——“演じること”から最も遠く、そして最も近いところに立つのだろう」


 


 世阿弥は、ゆっくりと面を布で包み、

 舞台の中央に、まるで祭壇に捧げるように、それを置いた。


 


 誰にも見られない。

 誰の拍手もない。


 だが、それは**“確かな幕引き”**だった。

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