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恋愛小説短編集

塾で隣の席になった子とのやり取り。

 塾で席替えをした。


 塾内では先日行われた全国統一模試の結果を基に、成績順に席の入れ替えを行ったのではないかという噂も流れている。

 そして俺の席は最前列になった。

 先ほどの噂が真実だとしたら、それなりに成績を伸ばしている証拠でもある。


 しかし、問題はそこではなく――


「あ、あわわわわ……」


 隣の席の子が筆入れの中身を机の上にまき散らした。

 いくつかの筆記用具は地面に落ち、乾いた音を上げる。


家元(いえもと)さん、とりあえず落ち着きなよ。拾うの手伝うから」


「は、はい」


 二人して散乱した筆記用具を回収していく。

 その間他の塾生達は見向きもせず、ノートやテキストを眺めたりしていた。

 皆人のことを気にしている余裕がないのだろう。一方で、成績を伸ばすために塾に通っているのだから、模範的な塾生は彼らの方ではないかと思う自分もいる。

 筆記用具は無事に回収出来た。


 黒板側の引き戸が引かれ、講師が入って来たと同時に教室内の空気が一変した。



鷹巣(たかす)くん。あの、さっきはありがとうございました」


「……何かしたっけ? 俺」


 いつも通り授業を受けていただけだ。

 特別なことはしてないと思う。


「したよ。落ちたペンを回収するの、手伝ってくれました」


「ああ、なるほど。どういたしまして」


 大して労力を使っていない事柄なだけに、彼女に感謝されたという事実が俺の心の奥底にある何かを刺激する。

 単に感謝されて嬉しかっただけだとは思うけど。


 ノートやテキスト、筆記用具を鞄に仕舞い終えたところで俺は椅子を引き、立ち上がろうとする。


「あっ、ちょっと待って! この後時間あります?」


「あるけど、時間かかるやつ?」


「かかるやつ、です」


 勉強面で悩みでも出たのだろうか。

 だとしたら相談相手は学校の教師や塾の講師が妥当なのだが。

 その前に、先ほどからちょっと気になっていたことがあったので指摘する。


「別に無理して敬語使わなくていいよ」


「……えっ? はい、じゃなくてうん。ありがとね」


 時折敬語が混じったり混じらなかったりしていたので、本当は敬語を使わずにフレンドリーに接したかったのだろうと感じたのだが、どうやらそれはハズレではなかったようだ。

 しかし相談内容がな。時間がかかるやつかぁ……。塾はもう閉まるし、無難にファミレスに誘って話を聞こう。


「家元さん、とりあえずそこのファミレスに行こう。話を聞くから」


「うん。鷹巣くんって不思議な人。多分、他の塾生だったら面倒ごとだーってなって断ってたよ?」


「一理ある」


「あっ、そういうこと言うんだ。酷いんだー」


 塾を出ると空には満天の星空。

 吹き付けてきた夜風に肌寒さを覚える。



 ファミレスにて注文した飲み物が届いた。

 お互いに同じ商品――紅茶を頼むという偶然の一致もあったが。


 家元がストローに口を付ける。

 グラス内で揺れ動く氷。カランと音が鳴る。

 これが相談事を開始する合図の音であることは、何となく察しがついた。


「本題から入ってもいい? その、鷹巣くんって西城大医学部目指すって噂、本当?」


「ああ、本当だけど」


 どこから出たんだ、そんな噂話。

 少なくとも俺は他の塾生にそのことを話した覚えがない。だとすると、情報の出どころは講師かその辺りと判断するのが妥当か。


「よ、良かったぁ……」


「あの、話が見えない」


 正直自己完結されても困る。

 しかし、相談事があるというのだから、話はまだ続くものと見ていいだろう。


「あっ、ごめんね? 私も同じ西城大医学部を目指そうかと思って。鷹巣くんと同じ医学科ね?」


「へぇ、初耳。何でまた医学部を目指そうだなんて思ったんだ?」


「先に鷹巣くんが医学部を目指してくれた理由を教えてくれたら言おうかな」


 同郷の知り合いが同じ大学に進学してくれれば、人間関係で苦労することは無いと踏んだのだろう。

 家元は案外寂しがり屋なのかもしれない。


「俺の進学理由ね……。亡くなった祖父が医師で、親やら親戚から無理矢理その想いを受け継げとかなんとか。そんな感じ。だから家元さんは見る目がある。俺が不思議な雰囲気を纏っているって感じたのは、他の塾生と違ってそこまで本気で勉強に取り組んでいないから」


「でも結果は出してるよね」


「そこなんだよなぁ」


 なまじ成績がいいから困りものだ。

 これが落ちこぼれなら全てを投げ出して、自分で自分の志望大学を決めれただろうに。


「家元さんの志望動機は?」


「私? 同じような理由かな。両親が医師で、私もその道に進むしかないって状態で……。でも、ある時私は本当に人の命を救えるような人物になれるんだろうかって出来事があって、それで自信が無くなってきて――」


「それは大変だ。でも結果は出してる」


「オウム返ししないのっ!」


 空気が暗くなりかけていたので、若干茶化しながら返答する。

 彼女は影を落とした笑みを浮かべながら、再度紅茶を一口飲む。


「私、見ちゃったんだ」


「何を?」


「鷹巣くんが倒れた男性にAEDを使っているところ」


 ああ、そんなこともあったな。

 とりあえず周りの人に声をかけて救急に電話をかけてもらい、自分はAEDと心臓マッサージでその男性の心肺蘇生を試みた。

 結論としてはその男性は助かり、今では仕事に復帰しているとのこと。お見舞いに行った際にその男性と連絡先を交換し、後日彼が社会復帰した際に一報を貰った。


「だからかな、私は鷹巣くんに色んな感情を抱いている。嫉妬、尊敬、加えて自責の念。自分は嫌な女だなって思うことがある」


「なら逃げればいい。逃げれば少なくとも自分だけは助かる。俺が救命処置を施した結果あの男性は助かったけど、そうならなかった場合遺族から訴訟されるリスクもあった。だからあれは最適解ではなかった」


 家元はそんな俺の目をじっと見つめる。

 俺の内心を見透かしているかのよう。


「でも、鷹巣くんは同じ場面に出くわしたらその人を助けるんでしょう?」


「多分」


 曖昧な言葉で濁したが、それは助ける可能性が高いという意味を含んでいた。

 逃げ腰になっている自分がいて、なんだか恥ずかしい。顔が赤くなっていないといいが。


 一方で、そんな自分の感情を当の本人にきちんとぶつけられる彼女の言葉は弱音とは言い難い。

 本当に弱い人間なら、その弱さというものを他人にさらけ出すことなく隠しきるものだと思う。

 そんな彼女の強さが垣間見えて、それが何故か心地よかった。


「ねぇ。私も鷹巣くんみたいに誰かを助けられる人になれるかな? あの時は茫然としているだけで何も手伝えなかった私だけど」


「分からない。ただ、家元さんがそうなりたいっていうのは結構表に出てる。だから、大丈夫だよ」


 俺は言葉を続けようとした。

 しかし、その言葉は喉から出ることは無かった。


 彼女が大粒の涙を流していた。

 その涙が頬を伝って地面に落ちる。


「わ、わたっ……!」


「とりあえず落ち着こう。はい、涙を拭いて」


 彼女にハンカチを渡す。

 家元はそれで涙を拭い去り、一呼吸置く。


「……私、分からなかったの。医者になるって夢が本当に自分の夢かどうか。だから、人が倒れているのを見ても何もできなかった自分に失望した。自然と心肺蘇生をこなす鷹巣くんに苛立ちを覚えた。そんなしょうもない感情を抱く自分が嫌だった」


「それが普通なんじゃないか? 俺だってスポーツが出来る同級生を見るたびに嫉妬するぞ。とにかく、俺が家元さんからあまりよく思われてないってことは分かった。でも席が隣だから塾では普通に接してくれると助かる」


 目を付けられているからと言って、こっちも相手を避ける理由にはならないからな。

 出来れば普通に接することのできる仲になりたかったというのが本音だが。


 その時、彼女が目を見開く。

 疑念、落胆……そんな感情が彼女の潤う瞳を揺れ動かす。


「……はぁ、鷹巣くんは女心というものを勉強した方がいいと思うの」


「意味が分からない。じゃあ家元さんが教えてくれよ。幸い志望大学も一緒だし、下手したら長い付き合いになるだろうし」


 彼女はその言葉を聞いて、何度も両手の指を交差させる。


「私でいいの?」


「家元さんが良いんだよ。なんか大学からの異性との交流って怖いイメージがあるし」


「なんか、鷹巣くんって将来人たらしになりそう」


 俺はその言葉に苦笑する。

 一方で安心もした。会話の中で彼女の悩みというのは解決したことが読み取れたからだ。


「女たらしじゃないだけマシって思っとこう」


「その件は手遅れだから」


「……マジ?」


「マジ」


 心当たりがない言葉が俺の心に突き刺さる。

 俺が一体どこの誰に何をしたというんだ。

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― 新着の感想 ―
動機は明確にした方が結果に繋がりやすいよね。 まぁ、成績に関しては日本の教育方法だとやる気がなくても良い人が多いというか、本人の性格による部分が良し悪しを決めてる気がするからなんとも言えないけど。
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