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story:9

「げふっ!」


凜は大きなゲップをした。それは先刻の蕎麦屋で腹を満たしたことで起きた生理現象だろうか。連れとともに昼食を済ませた凜は、西部のショッピングモールの本館にあるメイン通りを練り歩く。視界いっぱいに広がる通路では奥側に設けられている大きな時計が来客を見下ろしており、両サイドには衣料品店などのテナントやインフォメーションといった窓口が入っている。


「蕎麦湯風味だね」


苦笑に尽きるが、美遥は凜のゲップの匂いを感じて冷静に呟いた。締めに飲んだ蕎麦湯の風味がそのまま上がってきたか。たまたまとはいえ下品な言動を取ってしまった凜は、ヘラヘラしながら自らの無礼を詫びる。


「あぁ、ごめんごめん」


聞かれていたのが美遥だけだったため、恥じらいはそこまで感じていない。店内に居る際に出なかったのが幸いか。胃酸が上がりかけているのを堪えて、凜はまた思い付いただけの中身のないことを言う。


「あれだね、誰かが私の噂をしてるんだろうね」


「なんで?」


「ほら、よく言うじゃん。自分の知らんところで誰かに噂されるとゲップが出るって」


「え? それってくしゃみじゃないん? 噂されてゲップが出るって聞いたことがないけどなぁ」


「そうとも言うね!」


「いや、そうとしか言わんでしょ」


「まーまー! 細かいことは気にしないの! うははははは!」


ノリボケとノリ突っ込みを交わし合いながら、凜と美遥は行く宛て無く歩みを進め続ける。会話の内容は汚げだが、内々で話しているだけなので気にしない。やがて二人は改装中の店舗が軒を連ねる通りを抜けて、白いフェンスに囲まれた工事中の棟まで伸びる連絡通路に出ると、凜は不意に振り返って同意を求める。


「なんか行くとこ少なくない?」


「分かる。改装してるとこばかりだからだろうね」


「だよねぇ、うーん……」


現に自分たちの居る西部のショッピングモールは、休日であるにも関わらず客足が少なく、娯楽的な要素も以前に比べて少なめだ。よって、各々が行く場所も限定されてくる。今月の下旬には改装及び工事も終わり、眼前に見える工事中の棟もとい新館がオープンする予定なので、かつての賑わいもじきに戻ってくるであろう。


たちまちは行けるところには行き尽くしたので、手持ち無沙汰になった凜は時間的な余裕も踏まえて美遥に誘い掛ける。


「カラオケ行かん?」


「カラオケ? いいね、ありだと思うよ?」


商業施設内にはないものの、近場にカラオケがあったはずだ。どれだけ唄えるかはともかく、楽しむ場所や語ったりするスペースとしては申し分無い。美遥は表情の乏しさを貫きながらも、期待を包含した声色で頷いた。


そして西部のショッピングモールから歩いて5分程のところにあったカラオケ店にて、凜と美遥は至る。最近流行りの曲がBGMとして流れているフロントで、店員に希望するコースを伝えたり割引が利くアプリを提示したりして手続きを済ます。


コースは、ドリンク飲み放題付きのフリータイムだ。料金はアプリでの割引の他にも学割が適応されるようだったのだが、生徒手帳を持ってきていなかったのでそれは利用出来なかった。少し悔やまれるところではあるが、カラオケに行く流れになったのは突発的だったので仕方が無い。


青を基調とした芸術的な模様があしらわれた壁面に、等間隔に並ぶドアが見える廊下を経由して、暗い個室に入る凜と美遥。まずは部屋の電気をつけて、それぞれ机の上に飲み物が入ったプラスチックのコップと小さなバインダーにはせられた伝票を置く。最初のドリンクは、凜がメロンソーダで美遥がオレンジジュースだ。


一旦席に座り荷物をまとめ、凜は事前に充電されていた二つのマイクを手元に持ってくる。抗菌用のビニールが被せられていたので外した。次いで、実際にマイクに向かって声を通し、音量を確認する。


「あー、あぁー」


適当に声を入れて調子を窺う。室内には程良く凜の声が反響した。しかし、わざとらしい笑みを称えた凜は、喉を引き絞って雑音を発する。


「キャあぁぁアぁァーっ!」


超音波が発生した。部屋の中に設けられていたスピーカーからは、ハウリングした際の聞き苦しい音が響いて各自の聴覚を刺激する。唄う曲を予約するための機器に触れていた美遥は背筋を震わせ、凜を睨み付けた。


「凜、うるさい」


「はい」


怒気を含んだ注意に、凜は口元を引きつらせて返事をする。悪ふざけが過ぎたのか、身を竦めて短く言った。本音を言えば、自分でも煩かったのだという。


気を取り直し、美遥は採点機能を入れてから唄う曲を予約する。イントロが流れ出す直前に、美遥は澄まし顔で凜を見詰め、堂々と宣言した。


「凜、私の歌で鼓膜が壊れる覚悟はいい?」


「いいよー! どんとこいだよ! 私は美遥の全部を受け止めてあげる! だから遠慮せずにかかってこ」


そこまでいって、曲が始まって唄い出す美遥。違和感を覚えさせることなくスルーしたイジりは、凜に対してじわじわと込み上げてくる笑を与えた。凜はスベっても、美遥はまだ笑いを取れた方か。ノリと勢いと成り行きに任せた凜の芸風はずっと不発気味だ。


真面目に唄っている美遥の歌唱力は、いわば一般的に下の上といったレベルである。鼓膜を壊すと自分で言っておきながらも、まだ聴いていられる程度だ。正直なところ上手い方ではないが、それでも美遥は真剣に唄う。聴いている凜も場を盛り上げるために、曲に合わせた合いの手を入れる。原曲が音声合成技術で作成されたもののため、唄うのが難しいこともあったが美遥は最後までやり切った。


歌詞や映像が表示されていたディスプレイには、“76点”と採点結果が出て、美遥は分かり切っていたといわんばかりに一息吐く。


「ふぅ……。まぁ、こんなもんでしょ」


「いやでも良かったよ、美遥! 真面目に聴いてたらじわじわ笑えてくる感じだったよー!」


「………喧嘩売ってる?」


フォローしているのか皮肉を言っているのか、どっちつかずの感想を述べている凜にガンを飛ばす美遥。それから凜はマイクを構え、唄う体勢に入る。曲は、お笑い芸人が名曲をパロディにして唄っているものだ。最初からウケを狙っている気満々である。予約は美遥が唄っている間に済ませた。


曲は甲高いハーモニカの音で締められ、虚しさを孕んだ余韻を残す。採点結果は“82点”で、可もなく不可もなくといったところか。だが、ウケを狙って唄っただけに凜は期待を込めて美遥にニヤけ顔を向けるが、本人はくすりとも笑っていない。場の空気からまたスベったような感覚に駆られたが、凜は心を折らさなかった。


「さぁ! どんどんいこう! どんどん! おーい! おい! おい!」


「元気だね」


自らを鼓舞してハイテンションになる凜と、平常心を保ったままの美遥の差は一目瞭然だが、選曲は次々と進めていく。そうして3時間程唄い続けてから、凜たちはカラオケ店を後にした。


「ふー! カラオケ久し振りに行ったけど意外と声出たねぇ!」


晴れやかな表情で伸びをしながら、凜は車道の端の歩行者用に仕切られた白線の内側を歩き、西部のショッピングモールへと向かう。来た道を戻り、今度は映画館やスポーツ用品店、本屋などがある別館へ行く予定だ。帰るにはまだ早いので、たちまちの時間潰しだ。


「それね。出来れば喉を潰すぐらい声を張れたら良かったんだけど」


「ええ? それだったらまた戻るぅ?」


「なんでよ、さすがに今日はもういいわ」


楽しげな凜の冗談に、美遥は毎度の如く淡々と受け流す。すると、不意に反対車線の方を振り返った凜は、自身の見知った顔とすれ違った。しかも向こうもこちらに気付いている様子であり、相手は目を細めながら本人だと確信すると、人目も憚らずに大声で呼んだ。


「萩庭ぁー!」


車道に行き交う車の排気音をすり抜けてくるかのように、夜海來太の声は凜の耳にまで届いた。彼は他の男子の友人たち四人と群れて行動しており、皆一様に凜と美遥に注目している。方向的に、來太たちは今からカラオケに行く予定のようだ。もう少し居座っていれば、タイミングが重なって向こうで鉢合わせていた。


「うわ、來太じゃん。見んかったことにしよ」


言いながら、凜は左手で左側の視界を遮り、來太を見えないようにする。続いて凜に対する言葉は聞こえてこなかったが、視線だけはずっと感じていた。美遥も來太に対しての無視を決め込み、凜と足並みを揃えて歩み続ける。


一方で來太は遠目から彼女たちを見送った。それ以上深追いすることもなく仲間たちを振り返ると、連れの一人が來太を茶化す。


「嫌われてんじゃねぇの? お前」


とてもネガティブな物言いだが、來太は否定しない。


「かもしれんね! まぁ、しゃーないけど!」


実のところ、彼女とは今の距離感で満足している。だからこそ気に病むことはないし、無理に接近しようとする気もない。先刻の避けたような態度でも、凜にとって気心知れた仲だからこそ出来たノリでありイジりだ。決して嫌悪感があってのものではない。


ただ今日は、各々別の時間を過ごすだけだ。

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