story:2
「うっ、おおっ……! 何処ねぇ、ここは……?」
うつ伏せのまま、義朗はゆっくりと瞼を開けながら顔を上げる。もしや本来向かっていた先に辿り着いたのか。先程までの不安定さは感じられない。薄着から露出した肌に伝うのは、コンクリートの固い感触と冷たさを孕んだ春の夜風か。
「痛っ……」
痛覚がある。肉体から魂だけになったというのに何故だろうか。生きている人間として普通に感じられることが、今は逆に不思議だった。それに暑さ寒さの概念もある。ちなみに気温でいうところの、どちらかといえば寒い。
次いで、義朗は立ち上がって現在地の様子を見回して確認する。闇夜の中で力強く輝く等間隔に設けられた街灯、スーパーやネットカフェなどのテナントが入った雑居ビル、頭上に伸びている歩道橋、そして背後に構えているのは、路面電車の駅だった。在来線の乗り場もある。
「………………」
思わず義朗は絶句した。いつもはよく回る舌が、動くことを許さない。
ここは、自分が過去に来たことのある駅周辺だった。加えて、自身に肉体があることを認識する。そのはずなのだが、いまいち情報を処理しきれず現実を受け入れられない。いや、受け入れるのにラグが生じた。
「う、うおおぃ! なんねこれは! おい! 案内人の兄ちゃんよぉ! あんたは何処居んねや!」
「ここです」
後ろから聞こえた声につられ、義朗はそちらに振り返る。彼もまた、一緒にここへ掃き出されたらしい。冷静に事態を分析する案内人に対して、義朗は掴み掛からんばかりに詰め寄る。
「なっ、なぁ! まさかたぁ思うが、わしは死ぬ前んとこに戻って来れたんか!? どないなんねぇ!?」
一連の要素をまとめてみる限り、そうとしか考えられない。言い方を変えれば、生き返ったというべきか。無遠慮に接近する義朗に、案内人は面の奥の表情を崩さずに首肯する。
「おそらくそうだと思われます。それに夏宮様、そのお姿はいかがなさいましたか?」
「はああ?」
反対に尋ね返されて、義朗は眉を潜めて自らの服装などに目線を向ける。履き心地の良いスニーカーにデニムの長ズボン、長袖の無地の白いティーシャツというラフな格好、張りのある肌、これはもしや若返ったとでもいうのか。
訝しむ気持ちと期待が入り混じった複雑な感情を抱えたまま、義朗は付近に停まっていた黒い車体のタクシーの表面に自分の顔を映す。浮かび上がったのは、凛々しい顔立ちをした若者の姿だった。
「うおお! どういうことね!? わしは本当に若返ったっていうんかぁ!?」
「そのようですね、ええ……」
先刻から立て続けに起こっている不可解な現象に、案内人の心中でも疑問符が湧いて止まらない。死んで黄泉の国に来た魂が、三途の川を渡る道中で現世へと戻った上に若返ったと。そんなことが有り得るのだろうか。いや、有り得ないことが、今この場で実際に起きている。
「こっちで生きるんはもうええじゃろうが! なんなら首吊ってもっかい死んだろかぁ!?」
「それは絶対になりません。自殺は大罪でありますゆえ、その場にずっと留まり続けることになってしまわれます」
「はああ!? ほんじゃったら、またわしは何年も生きて死ぬのを待つしかないんかええ?」
「いえ、そんなことは……」
無い、とも言い切れない。必ず解決策はあるはずなのだが、それが分からないからこそ案内人は返答に困ってしまった。そこで、案内人はふと、義朗の足元に何かが落ちていることに気が付く。小さな書物のようだ。
「夏宮様、そちらは?」
願わくば、現状を究明するヒントであってほしい。義朗はそれを拾い上げ、ブックカバー越しの表紙にある記載を読んだ。書かれていたのは、孫が通っている高校の学校名と2年2組という学年と組と出席番号、生徒の名前欄にある“夏宮義朗”という固有名詞だった。
「なっ!?」
驚きもそこそこに、義朗は高校2年生に戻った自分の生徒手帳を強い目力で睨み続ける。何故また自分が、現代を生きる男子高校生になってしまったのか。別に変えたい過去も、現世に残した悔いもないのにどうしてこうなったのかと、同じ問いばかりを心中で繰り返す。
狙ったように義朗の生徒手帳が落ちていたのはまた別の意味で謎が浮かぶが、やけに具体的な個人情報である。もしやこれにこそ解決策を見付ける手掛かりがあるのではないか。そう思い、目を見開いた案内人は一つの提案を述べる。
「夏宮様、これほど都合良くご自身の情報が記載されているのは不自然だと思われます。ですので早々にこちらの学校まで向かい、この場における夏宮様の詳細を探られてみてはいかがでしょうか?」
「うおお……、そうとは言ってものぅ、今は夜で? それに……、夜中の2時じゃあや。こんな時間に学校が開いとるわけがなかろう」
駅の外壁に設置されていた時計を見て、現在時刻を確認する義朗。学校が開いてないどころか、教職員も居ない時間帯なのだから話にならない。続いて、義朗は自身と話題に上がっている高校の接点について言及する。
「ほいでの、この学校はわしの孫が行っとる学校なんじゃがの。ほしたら孫にも会うことにもなるんじゃなぁか?」
可愛い孫の顔を思い浮かべながら、義朗は呟く。仮に会ったとして、どんな言葉を掛ければいいのか。他人のふりをして、黄泉に戻るまでやり過ごすのもありだが、当人は開き直って前向きに振る舞う。
「……まぁー、会ったら会ったでその時じゃ! 細かいことは気にするまー! うわはははははは!」
いちいち人の目などを気にしていては動くべき時にも動けない。あっけらかんと笑い飛ばす義朗に対し、案内人はこれから行動に移そうとしている上での意見を添える。
「いずれにしても、現段階の夏宮様は宿がないためご親族の方々からの理解や協力が必要不可欠となるでしょう。お孫さんと会われるのも避けては通れない道になるのではないかと思われます」
義朗が高校生の姿になり、場所が指定された以上はこの度の件についておそらく孫も関わってくると予想した。詳細を得るまでの過程を逆算し、その旨を義朗に伝える。
「ではまず、お孫さんがいらっしゃる場所に向かいましょう。ここからどれほどの道のりになられるでしょうか?」
現世での地理や土地勘は皆無なため、案内人は分かる範囲だけ助言をしながら義朗に手を貸していく。対する義朗は、大体の距離を踏まえて答える。
「路面電車で6駅分ぐらいじゃ! 電車が動いてさえおればすぐに行けるでぇ!」
「6駅……、程々に離れておられますね」
「そりゃそうじゃ! なーらその6駅分を歩いていくかぁ!?」
「……いえ、その必要はないと思われます」
「うおお?」
案内人につられて、義朗は路面電車の駅のホームに目を向けた。終電は過ぎているのに、1台の電車が構内に入ってきたではないか。だが、その車両は全てが影で出来ているようで、全体は濃度の高い漆黒に染め上げられていた。
「あれに乗って行きましょう、夏宮様」
「バカ言え! あんな胡散臭い電車に乗ってみぃや! あの世どころか地獄の底まで連れていかれそうじゃなぁか!」
偏見だけでものを言う義朗に、案内人は静かに首を左右に振る。あの車両には、悪い気配が微塵も感じられない。案内人からしてみれば、信頼さえ窺えた。
「その心配はございません。あちらの電車に関しましては、先程僕たちが乗っていたボートと同じ気が感じられます」
自分たちでは見えないところから、黄泉に常駐している手すきの案内人たちが支援をしてくれているような気がする。おそらくだが、異常に気付いた同志の協力が遠隔でなされているのかも知れない。いわばあの電車は、黄泉から手配された臨時便だ。
「ほんまかいの。まぁ、他に歩く以外の行き方はなさげじゃしのぉ、騙されたつもりで頼ってみようかの」
そうして、義朗は影の路面電車が待つホームへ歩みを進める。あろうことか、ちょうど入り口付近まで来たところで、案内人の身体が透け始めた。義朗と案内人は、互いに顔を見合わせて言葉を交わし合う。
「うおお! 今度はなんね! あんたぁ、消えるんか?」
「ええ、そのようですね」
もはや衝撃的なほどに驚いてはいないが、義朗は追求せずにはいられなかった。案内人は向こう側の住民の意思を汲み取ったようで、余裕な調子で受け答える。
「夏宮様、僕は黄泉の意思により、先に向こうへ戻ることになりそうです。ですので夏宮様はこちらで黄泉に戻る方法を探していただければと思います」
「う、おおぃ! あんたぁ……」
「僕も黄泉に戻ってから夏宮様が戻れる術を探します。出来ることがあればその都度援助をさせてもらいますゆえ、先程も申し上げたように自殺だけはしないようにお願い致します」
きっとこの事象にも、何か意味があるに違いない。呆然と瞳孔を揺らす義朗を眼前に、案内人は軽く会釈をして相手を見送る。
「それでは」
言えることは全て伝え切ったつもりだ。案内人が立っていた場所には透明な輪郭だけが残り、夜の街の静けさが横たわる。義朗は何処か腑に落ちないような虚無を抱えながらも、進むべき道に向けてまた歩き出した。
「………そうじゃの、案内人の兄ちゃんよ。わしも出来るところからやってみるしかないよの」
可能ならば、彼とも一緒に解決策を現世で探したかったものだが叶わないのなら仕方が無い。一人でも、先に進んで目下の課題を乗り越えていくしかないようだ。義朗は自らの不利を割り切って、死後の世界からの臨時便に乗車した。