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寒暖の切り替わりが顕著になり始めた5月上旬の某日。世間では大型連休に入り、県内の観光地やレジャー施設では普段の休日と比べて倍近くの人出が見受けられていた。行きつけのショッピングモールも、世界遺産に認定されている神社がある島も、何処もかしこも人が多い。中には外出を自粛して家でのんびりしている者も居るが、それはそれとして有意義な休日の過ごし方だといえよう。どのように時間を活用するかは、人それぞれだ。
萩庭家の自宅では、午前中から凜と義朗が出かける前の身支度に勤しんでいた。今日の予定は、以前西部のショッピングモールの新館に赴いた際に目星を付けたキャンプ場に行き、記憶の破片を回収することだ。実際にそれがあるのかどうかは知る由もないが、心当たりのあるスポットとして探索してみる価値はある。
歯磨きや洗顔などを済ませ、部屋着から私服に着替えて髪を整えると、義朗はリュックに荷物を詰めていく。タオル、ポケットティッシュ、その他出先で必要かと思われるものを一つひとつ確認しながら入れた。飲み物や食料は、付近のコンビニや自動販売機で買えば良いだろう。一通りの準備を終えたところで、凜が義朗に訊いた。
「じいちゃん、忘れ物とかないー?」
ちょっとした長旅になりそうな見込みだが、二人の意思はすでに固まっている。仮に思うような結果にならずとも、現地での環境に身を預けて楽しむ気でいた。どちらにしてもその土地ならではのアウトドア体験は保障されているであろう。更にいえば、目的地であるキャンプ場は久方振りの訪問だ。義朗は凜に振り返ると、親指を立てて清々しく答えた。
「大丈夫じゃ! もし怪我してもうたときのためにすぐ手当て出来るよう、その手のもんもちゃんと揃えとるけぇのぉ!」
「うおおーっ! さすが、じいちゃん! でも怪我とかせんのが理想だけどねー」
「そりゃそうじゃ! うわはははははは!」
怪我や事故もなく、無事に帰ってくることが一番である。大仰に破顔する義朗の一方、感心した様子で頷いている凜は改めて初歩的な質問を投げ掛けた。そこで、義朗は肝心な部分を見落としていた事実を再認識する。
「でさー、キャンプ場まではどうやって行くの?」
「お………?」
自分の記憶が正しければ、現地まで行くための公共交通機関はバスしかなく、しかもその本数も1日の中で数える程度しか通っていないので、車を使って行かなければ困難だ。そして、話題に挙がっているキャンプ場は市外にあるため、尚更距離的にも時間的にも厳しさが浮き彫りとなる。
「うっ、おお……、バスで行こう思うても時間は分からんしの、………チャリで行くか?」
「チャリで行けるような距離なん?」
「いや、キツすぎるわぁな………。おお、ほうよのぅ……」
「じいちゃんの車とか出せんのん?」
「わし、車も免許もなかったことになっとったわぁや」
「なかったことになっとった? 免許なくしたとか車を売ったとかだったらまだ分かるけど、なかったことになっとったってなんなん?」
「知らん、逆にわしが聞きたいぐらいじゃわいな」
これもまた黄泉の意思によるものなのだろうか、高校生に戻るにあたって生前に所持していた運転免許や自家用車が見えないところに預けられているようだった。未成年だからこそ縛られた要素だ。おかげで先日も、一人で買い物に行く時は自転車を使用するはめになったのだという。
今になって頭を捻っていると、事の一部始終を傍で聞いていた凜の父親である萩庭栖盛は、彼等に対して助け船を出した。
「あの、お義父さん。もしよろしければ、僕が現地までお送りしますよ?」
「うおお、栖盛。あんたぁ起きとったんかいの」
義朗は澄まし顔で栖盛を見据えて、相手の提案に応じる。協力してくれるというのならとても有難い。自身等のために気を利かしてくれる栖盛に対し、義朗はその厚意に甘えることにした。
「そうじゃのぉ、ほしたらここんところは栖盛に任してみようかの。感謝するわい、栖盛よ」
「いえいえ、お構いなく……」
義理の父親に謙虚な態度を貫き続ける栖盛。礼儀を弁えているのも踏まえ、栖盛は自分が出来る範囲の支援をするつもりでいる。次いで、後からリビングに入ってきた凜の母親もとい義朗の娘である萩庭真波は、状況を察して会話に割って入った。
「なになに? みんなで何処か出かけるの? それなら私も早く支度しなくちゃだよね!」
まるで欲しかった玩具を何の前振りも無しに買い与えてもらった子どものように、真波は純粋な瞳をキラキラと輝かせる。実年齢に不相応な言動を取る真波に対し、義朗は勿論のこと栖盛も、果ては凜までもが唖然とした。まさに開いた口が塞がらないといった調子の中、義朗が代表してたじたじ気味に言い添える。
「真波、あんたぁ良い加減大人の余裕っちゅうもんを覚えんさいや。凜も見とるで?」
親からしてみれば子どもはいつまでも子どもだが、その子どもも今となっては一児の、しかも高校生の娘を持つ母親だ。確かに義朗は真波が生まれてからずっと彼女の成長を見てきたが、その根本は変わってないと見る。やはり親を始めとした周囲の人間から受けた影響や、それまで自分が過ごしてきた環境から積み上げられたものは変えられないのか。義朗は肩の力を抜いて、呆れたように呟く。
「ほんまにもう、誰に似たんかの……」
自覚している通り元来の好奇心の強さもあって、おそらく大元は自分だ。それが義朗、真波、凜と孫の代まで続いているのだから、遺伝とは末恐ろしい。こうもなれば凜の子どもにも、自分の良い癖も悪い癖も引き継がれていきそうだ。キリのないことを考えだしても埒が明かないので、義朗は真波の心情も汲んでやることにした。
「まぁ、ええわい。ゴールデンウィークでせっかくみんな家に居るんじゃ、久し振りに家族で出かけるっちゅうんもありなんじゃないかの」
義朗が取った音頭に、凜が、真波が、そして栖盛が賛同する。
「うおおー! それはメッチャありだね!」
「うんうん! 良いよね! たまには!」
「ええ、ですね。いつ以来でしょうか?」
身内同士が乗り気になり、各々は一旦解散して外出の用意に取り掛かった。そうして改めて準備を済ませると、自宅の施錠を完璧に行って栖盛の自家用車に乗り込んだ。当然ながら運転手は栖盛で、助手席に義朗、後部座席に凜と真波が座る。
「栖盛よ、場所は覚えとるじゃろうの?」
「はい、大丈夫です。お任せください」
「うおお、頼もしいの。ほいじゃが、もし途中で分からんよーになったらすぐ言えの? 怒りゃせんけぇ」
「ふっ……、分かりました」
長距離の運転になる上に、目的地まで行く道中は行き慣れていないため迷子になる可能性は捨て切れないだろう。もしもの時を見越して前置きをする義朗の冗談に、軽い笑みで相槌を打った栖盛は、右足をブレーキペダルから離して車を発進させた。車はオートマ仕様の黒い普通自動車だ。
自宅周辺の細い車道を通り、坂を上がってバイパスに乗る。60キロ以上のスピードで走る車の緩い振動は、同乗者に少しずつ蓄積していくような眠気を誘った。しかし、外出に対する期待感がそれを中和する。ここで寝てしまうのは勿体無いと。開いた窓から吹き抜けていく生温い風を顔面に受けながら、凜は前方の二人に注文した。
「ねー、なんか音楽かけてやー!」
先刻から車内のスピーカーから流れているのは、地元の放送局から発信されているラジオだ。これもまたせっかくなので、場の空気に応じた曲を聴いてモチベーションを保ちたい。孫からの要求に対し、義朗は真っ先に機器に触れて応えようとする。
「ここはわしに任せぇ。……うお? これぁ、どないすれぁええんなら?」
実のところ、義朗は今の栖盛の車に乗ったのは初めてだった。とりあえず生前の感覚で対応しようとしたものの、最近の車では勝手が分からない。速度などのメーター表示の左側にあるディスプレイ周辺をキョロキョロと見回す義朗に、真波は1本の細い線を渡しながら説明した。
「はい! これを画面の横にある小さな穴に差して携帯を繋げば、こっちで曲を選んで流せるようになるよ!」
「うおお、さすがじゃの真波よ。ほいでぇ、小さな穴……。あった、これじゃの」
傍目から真波と義朗のやり取りを見ていた凜は、ふとしたタイミングで考え耽る。何年経っても、どのようなかたちで再会したとしても、この二人はやはり親子なのだと。ちょっとした会話から派生した言葉の端々からは、真波の甘えたような口調と義朗の温かみのある声色が垣間見られた。凜はそんな微笑ましい光景を目の当たりにして、ひそかに笑みを溢す。不思議と胸中も温かい。




