story:13
早朝の肌寒さが身に染みる4月下旬の金曜日。線路の上をゆったりと走る路面電車に揺られ、萩庭凜と夏宮義朗は遠足に出発する前に指定された集合場所である市外の港の最寄り駅に向かっていた。
主な流れとしては、第一に港に2年生全員がクラスごとに集まり、出向予定の時間になればそのままフェリーに乗って現地に到着するといった順序である。そこからは、世界遺産に認定されている神社の中を見て回ったり、商店街で土産物を買ったり、浜辺でコーヒーを飲みながら海を眺めたりしても良い。無事に向こうまで着けば、あとは自由行動だ。
右手で吊り革を掴んで姿勢を保つ義朗は、傍らで座席付近の銀色の棒を握って立つ凜に言い添えた。
「凜、今日は降りるんは終点じゃけんの? 間違えんようにするんで?」
「間違えんわいね! ちゃんと今何処かいうのも聞いとるし!」
通学の際に毎日のように利用する公共交通機関なだけに、うっかり学校の近くの駅で降りてしまわないように気を付けなければならない。目的地があるのは、現在乗車している路面電車の終点だ。凜は反論として、車内に流れている車掌のアナウンスを聞いていることを主張した。
「うわはははは! さすがじゃ、凜」
「もぉ、バカにしとる?」
「そなこたぁない」
義朗と凜の何気無い会話もそこそこに、路面電車は学校付近の駅を通過する。二人の他にも同じ高校の生徒が何人か乗っているが、実際に間違ってここで下車しようとする者は居なかった。いつもとは違う新鮮味のある感覚に身を委ねつつ、義朗は車窓の外や車両内をぐるりと見回す。
それから二駅ほど通り過ぎたところで、次に義朗が黄泉から現世に吐き出された駅に停車した。スーパーやネットカフェなどが入ったテナントビルや道路をまたいで伸びる歩道橋、在来線の乗り場は変わらずある。ただ、以前訪れたのは真夜中だっただけに、その時とは別の朝の活気を見せていた。路面電車と在来線の両方があるためか出先への移動手段に富んでおり、通勤ラッシュの余波は未だに続いている。
黄泉から戻ってきて最初に見たのが、夜の闇に浮かぶこの通りの風景だったか。義朗は当時の景色と今の自分の双眸に映る情景を重ね、考えを巡らせる。
(ゆうてもまだ2週間ぐらいのもんよのぅ。案内人の兄ちゃんは、どしとるんじゃろうのぅ……)
体感的に早いのか遅いのか、現世で孫たちと再会して約2週間が経過した。凜の友人を始め新しい出会いもあったが、黄泉の案内人の方は今頃どうなっているのか気にはなる。黄泉に戻るための手がかりである記憶の破片も、西部の大型商業施設付近にある公園で見付けて以来収穫はないし、それに繋がる軌道も見えない。
(…………まぁ、分からんもんは分からんでしゃーないわな)
知る由もないことを考えても答えが出ないのは分かり切っている。記憶の破片も、簡単に見付けられるものではないのだろう。これ以上頭を捻っても仕方が無いので、義朗は考えるのを止めた。
そうして、路面電車は終点である市外の港の最寄り駅に到着する。駅のホームを抜けると、和風情緒溢れる街並みが義朗と凜の視界に広がった。街路樹として植えられた松や、観光客が宿泊するための旅館が、来客の訪れを歓迎しているようだ。
二人のすぐ手前に見える横断歩道を渡り、港の敷地内に入る。海から吹き抜けてくる潮の香りが鼻腔をくすぐり、風が心地良い。遠足に出発する前の集合場所なだけに、そこではすでに凜たちの同級生がクラスごとに集まって行事に対する期待を膨らませていた。教室とは違った解放的な環境のもと、ガヤガヤと各々の会話が弾む。
凜と義朗はそれぞれのクラスの面子を参考にし、自分たちが所属しているクラスの列を探す。小規模な人混みの中で友人の洲堂美遥を見掛けたので、吸い寄せられるように彼女の近くまで歩みを進めた。
「おはよー! 美遥」
「うん、おはよ」
「あれー? 朝じゃけ元気無い感じー?」
「そう見える? いつもと変わらないと思うけど」
美遥は毎度の如くテンションが低めに見えるため、機嫌が分かりづらい時がある。良く言えば、気持ちが常に安定しているのか。いずれにしても落ち着き払った態度を貫き続ける美遥は、義朗に向き直って声を掛けようとする。だが、突然三人の間に割って入ってきた男子生徒が凜に距離を詰めてきた。
「おお、間に合ったんかチビ! 今日みたいな日にまた遅刻してくるんじゃないかと思ったわ!」
悪意しか感じられない煽りを入れながら、ヘラヘラと乱入してきた夜海來太。空気を読まずして絡んできた連れに対し、凜は乾いた笑いを浮かべつつ噛み付き返す。
「うっさいな! こちとらまだ無遅刻無欠席じゃし!」
傍目からすれば面白いとも見て取れる言い合いを前にして、義朗は苦笑し、美遥は無意識に頬を緩ませる。彼等の不思議な距離感も平常運転だ。
「おはようとかいう挨拶も無しにいきなり煽りにいくとは、來太も中々攻めとるのぉ」
「それな」
一見すると完全な貶し言葉をぶつけているが、イジりだと分かっているからこそ義朗はただ孫とその友人のやり取りを見守る。もちろん本気で貶していれば、彼女の身内として掴み掛かっているが、そういった判別が出来ないほど義朗も堅物ではない。度が過ぎれば動くというだけだ。
集合時間に差し掛かると、各クラスごとに整列をし点呼を済ませてから順番にフェリーへ乗り込む。微々たる振動が足元から伝わってくることが感じられるため、そこが地上ではなく外部は海の上であることを実感する。船内の通路では、遠くの山や市内にそびえるビル群が見えた。白み掛かった青空も美しく映える。
たちまちフェリーはエンジンが響く鈍い音を上げながらゆっくりと動き出す。150名以上の高校生を乗せ、飛び散る飛沫をまとい、海を駆ける。早速船の中では、主に女子生徒が記念としてそれぞれの連れ同士で集まって写真を撮ったりしていた。凜も例外ではない。対して來太と義朗は、柵越しに見える外の景色を眺める。
「いやぁ、いいねぇ! なんかよく分からんけどこういうのってワクワクするくない?」
「うおお、分かるでぇ、來太よ。こういうちょっとした旅行みたいなんはたまーにするけぇええんじゃ」
「あぁ、ほんまによ!」
來太の隣に並ぶ義朗は、相手の心情を汲んで補足を入れながら同調した。胸の内でくすぶっている昂揚感は、言葉では言い表しづらい。クラスメートの興奮を代弁し、青の割合が多い風景を見続けているのもさることながら、義朗はふと意味深に呟いた。
「それにしてものぅ、來太よ。わしらは何事も無く無事に向こうまで渡れそうなんは有難いことよのぅ」
含みのある言い方だったが、來太は特に気に留めることなく聞き流して適当な相槌を打つ。
「ほんまよねー」
だが、義朗の次の発言には、來太も興味を持たざるを得なかった。
「うおお、去年の10月ぐらいじゃったかいのぉ? 何処かの高校の何かの行事でから島まで渡るんに学校が船を貸し切っとったんじゃが、エンジントラブルで動かんようになってもうてからそのまま中止になったっちゅうニュースがあったよの」
入院中に病室のテレビで観たニュースを思い出し、義朗は記憶を辿る。ちょうどその件があった現場も、先程まで自分たちが居た港と一致していた。だからこそ、尚のこと当時知った情報が思い起こされる。
「え? そんなことがあったん? 多分そのニュース俺も観たことあるけど記憶に無いわ」
「ほいじゃあ、観てないちゅうことじゃないんね?」
「お、おおお……。じゃあ、そういうことなんだろうよ……」
「うおお、まぁ、ええわい。とにかくじゃ、何があるかゆうんは分からんもんじゃけんのぅ」
「うーん、まぁね」
微妙に形として成していない会話を挟んでいると、縦向きにしたスマホを右手で持った凜が義朗を呼ぶ。傍らに美遥が居るあたり、先刻まで加工アプリを使用してツーショット写真を撮っていた様子だ。
「じいちゃーん! じいちゃんも一緒に撮ろー?」
「うおお、ええぞ? わしみたいなジジイを写してええんか知らんがのぅ! うわはははははは!」
「細かいことは気にしないの! それに今は違うじゃろ!」
「うおお! ほんまよのぅ!」
凜のもとまで歩み寄る義朗の後を追い、來太も面子に入ろうとする。しかし凜は、それを許さなかった。
「お前は入ってくんな!」
「そんな露骨に拒否らんでもよくね!」
かなり堂々とした突っぱね方だ。いや、裏で陰口として言われるよりかはましなのかも知れないが。とはいえどちらにしても、凜の言葉は本心ではない。あくまで例に則ったノリだ。




