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story:1

夏宮義朗、享年74歳。晴れた日には美しい水平線が臨める離島で生まれ育ち、愛する妻と苦楽をともにし、遠方の街に移り住んで家庭をもうけた彼は、娘夫婦と高校生の孫を始めとした親族に看取られながら静かにその生涯を終えた。


今にしてみれば、長いようで短く感じられた自分の人生。楽しかったこと、辛かったこと、嬉しかったことなど、それら全てをひっくるめて良いものだったと言える。中でも自身の娘の娘、いわば孫の顔を見れたことが何よりも喜ばしいことであった。


いつかの覚悟が、こうして後の世にも伝わっているのだから、想いを繋いできた甲斐があったというものだ。だからこそ、現世での務めを終えた老人、義朗は淡い虹色掛かった空を仰ぎながら清々しい表情で言い溢す。


「やーっと迎えが来たか! いやぁ、良い人生じゃったのぅ! ………げふっ!」


言葉の語尾として、豪快なゲップを一つ。いちいち独り言が大きいのは死んでも変わらないというのか。そんな誰かに向けたわけでもない呟きは、視界いっぱいに広がるモノクロの風景の中へ溶けて消えた。


「ふぅ、まぁ、なんでもいいわい。で、わしはここから何処へ行きゃあえんじゃろぅかのぉ?」


自らの死を悟り、行き先を探して周囲を見回す義朗。歳を重ねるごとに衰えていった視力をもとに、その目に映るのは白と黒でしか彩られていない草原だ。色の無い景色の一画に、義朗は立つ。


「なんじゃあ? 死んでもうたら物の色も分からんようになるゆうんかえ? 空は虹色っちゅうだけで、あたぁよう分からんところじゃのぅ」


やはり、思ったことをすぐに口に出してしまう癖は直らない。頭の中で留めておけばいいものを言ってしまうのはきっと来世でも変わらないのだろうかと、義朗は心の片隅で考える。だが、それならそれで仕方無いとも思い直す。


自身が息を引き取ってからここまで来るのは、意外とあっさりだった。というより、気が付けばここに居たと言ってもいい。まるでテレビのチャンネルが切り替わったように、自分が居た場所だけが変わったような。あるいは見えない力で転送された感覚だ。


体調は、文句のつけようがないぐらい万全である。空腹感も睡眠欲もない。ばっちり目は覚めているし、身体が軽い。ただ、夢の中に居るような不安定さと、外気温度の概念の無さが、非現実的な環境に身を置いている事実に拍車をかけていた。


「どうかいのぉ、なんというか身体がえらぁ軽いわい」


年齢や見た目はそのままに、体力だけ若返ったなどではあるまい。今すぐにでも走ったり跳ね回ったりしても何の問題もなかろう。これはおそらく、筋肉痛も遅れてではなくその日のうちに来そうだ。


昔のように激しく身体を動かしたい衝動に駆られながらも、次に義朗は自身がまとっている服装に着目した。細かなストライプを施したカッターシャツにベージュのチノパンという、いつも通りの私服である。


「うおお? わしゃいつの間に着替えたんかいの? ほんで頭の三角はないんか?」


頭の三角とは、日本人の一般的なイメージで知られる幽霊が頭部につけている布のことを言いたい。それに格好は白装束になっていないだけに、実際の死後の世界というのは自分たちが想像していたものとは違ったのか。


また、衣服に関して生前は院内のガウンを着ていたために、ここに来て私服になっていたのは謎だ。考えられる主な理由は、よく着ていたので印象から反映されたのではないかに尽きる。


現世に悔いは無いので、自分が老衰で死んだのは何の抵抗もなく受け入れられるが、いざこちら側に来てみると分からないことが多い。いや、分からないというよりも、知らなかったといったほうが相応しいか。知らないことがあっただけに、実は人生とは死んでも続くものなのではないかとさえ思ってしまった。


前向きな思考はそのままに、義朗が心中で一人歩きしている情報を追っていると、背後から何者かに声を掛けられる。若そうな男性の、穏やかな声色だ。


「お目覚めになられましたか? 夏宮様」


義朗は振り返り、相手の姿を確認する。そこに立っていたのは、妖狐の面を被った白装束姿の華奢な男だった。シンプルながらもミステリアスな格好を見るだけでいえば、コスプレの類いに見えなくもない。だが、ここは正真正銘死後の世界なので、偏見を持ってしてハイカラな要素を今だけは否定した。


「うおお、あんたぁ誰ねぇ? そないなお面を付けとったら前が見えづらいじゃろうがや」


通りすがりの学生にだる絡みするような調子で、義朗は相手の詳細について尋ねる。妖狐の面を被った案内人は、必要最低限の答えだけを返した。


「僕は黄泉の国から貴方様を“魂が帰る場所”、即ち現世で言うところの“あの世”まで導く役目の案内人です。まずは夏宮様、現世でのお勤め、お疲れ様でした」


「う、おおぅ。ええ人生じゃったのぅ、あのまま迎えに来てくれたぁんは感謝しとるわい。身体の調子もええしの、もしや天国とはここか?」


「いえ、ここは黄泉の国。現世と魂が帰る場所を繋ぐ狭間の世界です」


「ほほぉ、なるほどの。ほんで、あんたはわしをまた別んとこまで連れてってくれるゆうんかえ?」


「左様でございます。では早速、こちらへご案内致します」


踵を返した案内人の後に続き、疲れを感じさせない足取りで歩みを進める義朗。すでにこの世界に対して、いくつもの疑問が湧いてきている。目的地まで向かう道中で、義朗は持ち前の好奇心を発揮して案内人に問いを繰り返す。


「のぉ? こっち側の飯は美味いんかのぉ?」


「飯、でございますか? 黄泉の国では食事の概念がありませんゆえ、食べ物自体が存在しません。ですのでその質問にはお答えしかねます」


「うおお、そうなんじゃな。そういえば確かに腹が減った感じがせんわぁな」


空腹感がなければ、満腹感もない。食べることがないのならば、その楽しみもないではないか。そこもまた、生きていた時と死んだ後の感覚の決定的な違いか。食事に至っては、そういった行動が面倒臭かったと思うのならば手間が省けたと取れるが。


「あんたは何しにそないな格好をしとんかのぉ? お面は昔、わしが女房や娘と祭りに行った時に屋台に並んどるのを見たことあるでぇ?」


「これは、いわゆる制服のようなものです。僕以外の案内人も、みんな同じ格好をしていますよ」


「ほほぉ、中々洒落た制服じゃなぁか」


「お褒めに預かり感謝致します」


淡々と返答する案内人に相槌を打ちながら、義朗は次にする質問を考える。いくら現世に未練はないとはいえ、これからの人生が長い孫のことは多少なりとも気掛かりだった。よって義朗は、今後の自分と現世を生きる孫との繋がりについて問う。


「のぉ、まだ気が早ぁかも知れんが、わしは孫の守護霊とやらになれるんかのぅ? 念願だったわしの可愛い初孫なんじゃ。直接手は貸せんでも、危ない時はどうにかしてやれんものかの」


娘からの最大の親孝行ともいえる、孫という存在がとても大きい。大切な人は死んでも大事にしたいし、護り続けたいという果てしない慈愛だ。自らの想いに、抜かりも妥協もない。


案内人は真面目な姿勢を貫き、一切の誤魔化しも無しで言う。


「それは、夏宮様しだいだと思われます」


「わししだい? どういうことなんね、それは」


「申し上げた通りでございます。現世と同じ、人は何をしたくて何のために生きていくかなのです」


「うおお……」


明確な返事ではなかったが、黄泉での認識は現世と同じもので良さそうである。違っていれば、また改めて考え直したりするべきか。


それから何度かの質疑応答を経て、案内人と義朗は一面暗い海が広がる浜に到着した。寄せては返す波の音が聞こえる殺風景の中に、2人は至る。


「なんねぇ、ここは? 海水浴にでも来たんかいね? わしは着替えなんか持ってきとらんぞ?」


義朗の呑気な発言には突っ込みを入れず、案内人は浜辺の一画を指し示す。彼に合わせて視線を向けると、波打ち際に停泊している木製のボートが浮かんでいた。


「あの船で魂が帰る場所へ向かいます」


「うおお、なんというか貧相な船じゃが大丈夫なんかいの? 沈んだりすりゃあ生きては帰れなさそうじゃがのぅ……」


「そもそも現段階で生きてはおりませんので、そこのご心配は結構だと思われます」


「そうじゃった! わしゃもう死んどるんじゃったわ! うわははははははは!」


一人でボケて一人で笑っているような。寂寞とした景色に似合わない豪快な笑い声が拡散するのもさることながら、案内人は先にボートに乗り込んで乗船を促す。


「ではこちらへ、足元にはお気をつけくださいませ」


「うおお、すまんの。ほいじゃあ、邪魔さしてもらうわーや」


海水で足を濡らさないように、義朗は注意を払いながらゆっくりと踏み入る。そして、堂々とあぐらをかくと、案内人が漕ぐオールによってたちまち船は動き出した。波は比較的穏やかなため、進行に支障はない。


「のぉ、兄ちゃんよ。あんたの言う魂が帰るとこゆうんはどれくらいで着くんね?」


早速暇を持て余し、義朗は素朴な疑問を振る。対して案内人は、前を向いてオールを動かしながら大まかな答えだけを返す。


「そうですね、大方約1時間でしょうか」


「はああ? 1時間もこのままってゆうんかぁ?」


「左様でございます」


「なんじゃあ! ほいだらラジオでも用意しといて欲しかったもんじゃのう!」


単にぼうっとしておいて待つだけなのならば苦痛だ。せめて何かはしていたい。暇潰しの提案に、案内人はぱっと思い付いた意見を述べる。


「今のところは娯楽がありませんゆえ、仮眠を取るか周りの景色を眺めてみてはいかがでしょうか?」


「景色いうても海しかなかろう! それに仮眠なんぞ取ったら次目ぇ覚めるか分からんでぇ?」


「先程も申し上げたように」


「ああ! そうじゃった! わしはもう死んどるんじゃったわ!」


死んでいることを忘れがちなせいか、同じくだりをもう一度する義朗。生前の普段の会話でも、同じ話を何度もしていたような。どちらにしても、暫しの暇は変えられないと分かった以上はとりあえずの雑談に転ずる。


「はもう、やれやれじゃわ。ほいでの、三途の川とやらもわしらが行く先にあるんか?」


三途の川を渡り、あの世へ行くのかと。こちらも現世でよく言われている話だ。おそらく自分は、もうすぐその本物を見ることになるのかと思って訊いた。すると案内人は、目線で示しつつ回答する。


「三途の川? ですか。それはおそらくここのことでしょう」


つまり、この暗い海こそが巷でいう三途の川だという。あまりにも川というには範囲が大きすぎるだけに、義朗は相応のリアクションを取る。


「ここが三途の川いうんか! こりゃ三途の川というより三途の海じゃろうがや!」


なんなら湖でもいい。イメージ的には近くはあれど、多少のギャップはこれから行く先でも沢山ありそうだ。新年度を迎えた時のようなフレッシュな期待は無いにしても、死後の世界は浪漫という観点から興味をそそられる。現世に居る孫のことは気になるが、個人的には今後の行く末に一種の期待が持てる。


更にいえば、先に他界した自分の妻に会えるのならば後にも先にも安全牌ではないか。だからこそ、現状でも成り行きに任せられる。


海の向こう側までは、まだまだ着きそうにない。暇を潰せるものもないので、適当に中身の無い会話を交わしていたところで、案内人は不意に妙な違和感を覚える。それは予期せぬ事態の前触れだったといえよう。


「…………?」


「うおお? どしたんね? トイレでも行きとうなったか?」


「………いえ、何でもありません。気のせいでしょう」


案内人は冷静に振る舞うが、その感覚は徐々に明確なものになってきている。霧が、立ち込めてきた。本来ならば有り得ない事象だ。案内人も初めて見ただけに、内心では驚いている。しかも霧は、しだいに濃くなってきていた。


「うおお! なんじゃこりゃあ! 急に周りが見えんようになったじゃなぁか!」


「っ……!」


さすがの案内人も言葉を失う。前例のない状況を前にして、思考が機能しなくなっていた。だが、ただごとではないことが起こっているのは直感で分かる。今まで何人もの死者の魂を導いてきたが、こんなことはなかった。


二人を乗せたボートは深い霧に呑み込まれ、視界いっぱいに白が広がる。


「うおお! あんた何処居んね! 何も見えんし分からんぞ!」


「夏宮様、落ち着きなさってください。おそらくこの霧はじきに晴れると思われます」


「ほんまかいの! あんたの影も見えんし全くそうとは思えんのんじゃが!」


慌てて手をばたつかせて案内人の行方を探ろうとする義朗に対し、当人は自身の胸中から滲み出る焦りを必死に抑えながら対応に当たった。常識や論理を無視したような事実を目の当たりにし、問題解決の糸口を見付けるために頭を捻る。


しかし、物事は待つのを知らずして進んでいく。抗力をなくして水面をさまよう小さな船は、奈落へと急降下する。


「うおお、おおおお! どうなったんじゃ、こりゃ! 行くところは海の底にあったんかいな!」


無抵抗感に苛まれながら宙を舞う義朗に、案内人は力の限り手を伸ばす。送るべき人を、見失ってはならない。


「夏宮様! 僕から離れないでください!」


たとえどんなことになろうとも、彼を在るべき場所へ送り出さなければ。責任感を持ってして、案内人は柄にもなく叫んだ。満を持して大声を張ったのは、彼が今の役割を担い始めて以来の行動だった。


それでも案内人の言動は虚しく、二人は深い闇の中へと消えていった。

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