後編
『スパイシー・モクテル』最終章、一本目の続きです!
私も胸が痛いです……!
彼は冷たい潮風にあたりながら、
砂浜で出会ったお姫様に焦がれていたのかも知れない。
淳が愛おしそうな顔は、初めてだった。目尻を下げて、口角を上げて。こんな甘やかな顔が出来たのか。
「リナさん……リナさん……」
私の手を持っていって、頬ずりする淳の声があまりに幼くて、リナさんのいる夢を見る淳に、『リナさんじゃない』『私は琴美だ』とは言えなかった。ただ、リナさんになりきるにも、私は淳の過去もリナさんのことも何も知らない。
淳は安心しきった顔で「リナさん、会いたかった……」と言った。
「俺頑張ったよ……一浪して国立の大学入って、親父なんか頼りたくなかったから奨学金とバイトで賄いながら大学行って……。和泉に入社してから失敗続きだったりセクハラ受けたりで吐いても、同期が全員辞めてもずっと我慢した。……ミズキの父親だって、胸張れるようになろうとしたよ」
「うん……」
淳が“リナさん”に話したのは、今のステータスを手にするまでの苦しい日々だった。
淳がぽつぽつと“リナさん”へ話す言葉に、相槌しか打てない。
「ミズキ……養子縁組決まったんだって」
「……うん」
「まあミズキの本籍はリナさんトコだから、リナさんとの関係は切れないけど。……俺は、リナさんと結婚することも、ミズキを認知することも出来なかったから」
「うん……」
「だから俺は……ミズキと何の関係もない存在なんだ。血は繋がってるけど家族じゃないんだ」
「うん……」
淳はずっと、独りで頑張っていた。十数年苦しんで今の地位を手に入れた。全ては子どもの――最愛の人と自分の間に生まれた子どもに会ったとき、「お父さんだよ」と胸を張って言えるように。でも、それはもう叶わなくなった。私は淳の手を握り返した。
「リナさん……」
「うん……」
「俺も……そっち連れてって……」
「え……?」
ああ、そうか。“リナさん”は……。
「ミズキを守ってくれる人が他に出来たんなら、俺は……何のために生きてるか分からない……」
「何言ってんの、ダメだよ……」
自然に声が潜められて言葉が出てきた。静かに涙を流していた淳がくしゃりと顔を歪ませた。
「淳には、淳を必要としてくれる人がいるでしょ?」
これは嘘じゃない。淳と一緒に歩いていた後輩の女性もそうだと思うし、私もその一人だ。
「嫌だっ!!! リナさんもいないし、息子とも関われない! あげく一人の女に振り回されて! こんな世界で生きてたくない! 俺だって……!」
淳は言葉を切って、声を震わせて言った。
「俺だって幸せになりたい……!」
リナさん、こんなに泣いている淳に、貴女はなんて言葉をかけるの?
淳はぐずる子どものように、「リナさん、リナさん」とひたすら愛する人の名前を呼んでいた。私は“リナさん”を知らない。でも、私がリナさんだったら、ここまで一人で苦しんだ淳にかける言葉は……。
「淳……頑張ったね」
淳の右頬に手を乗せた。淳の瞳は、涙に濡れたまま私を見ている。
「ミズキを見守ってくれて、ありがとうね」
「……あはっ」
ああもう、お願いだから今世紀で一番幸せみたいな顔をしないで欲しい。私はあんたが愛してやまないリナさんじゃないんだから。
「リナさんに…こんなに褒められたこと、なかった……」
私は「そうだっけ?」としらばっくれた。
私は「もう行かなきゃ……」と淳から手を放そうとして、出来なかった。淳が私の手を放すまいと強く握ってきた。
「ごめん……。神様が呼んでる……。大丈夫。まだ三十代だよ? 新しい出会いも新しい生きがいも見つかるよ」
「リナさん死んだの二十五じゃん」
淳の言葉にぎくりとしつつ、話を合わせることにした。
「まあそうなんだけど……。でも、だからこそ私が見られなかった世界を見て。それで……淳がうんと年取って、私のトコに来たら、その話を聞かせて欲しい」
淳は悲しみの残る瞳で「じゃあさ、」と言った。
「キス、して。俺が……これからも生きられるように」
「あっははは……!」
あまりにも純粋で、残酷なおねだりに思わず笑いが漏れた。こんなことある? 私はずっと、淳とキスだけはしなかった。感情が溢れそうになるから。でも“リナさん”のふりをしてしまった以上はもう後戻りできない。しなければ、淳が消えてしまう恐怖もあったかも知れない。
しょうがないなぁ、という顔をしたけど、胸が軋んで仕方なかった。好きだったのにずっと線引きして唇を許さなかった男に、男の愛する人としてキスをする。夢の中にいるとはいえ、こんな残酷なお願いする男いる? 絶対いない。
「ちゃんと目、閉じてよ?」
一つ息を吐く。淳の目を右手で覆って、そのまま唇を重ねた。こいつの唇、温かい。しばらく唇を重ねたまま止まっていると、啄まれたり舌でつつかれたりして、キスが深くなる。
淳とキスをしてから数分、ようやく唇が離れた。
「……これでいい?」
「……ありがとう」
「……もう、あっちに帰らなくちゃ。……じゃあね、淳。幸せにね」
私はバッグを攫って部屋を出た。淳の顔は、見なかった。
零れる涙と声は、身体の痛みのせいにした。滲む視界の中で、淳にLINEを送る。
『さよなら。
もう二度と会わない。
あんたにとっても私にとっても
大事な人への裏切りになるから。
今までごめん。好きだった。』
痛む身体に鞭打ってたどり着いた新宿駅のホームで、私は身動きが取れなくなっていた。
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淳、さよなら。もう二度と会わない。
私は、あんたが自由に呼吸できる場所になりたかった。
何かに傷ついたあんたが、気を休める拠り所でありたかった。
でもあんたは、自分の人生を捧げたい人を忘れられないんだね。
生涯を終わらせてでも、傍にいたい人がいるんだね。
大丈夫、もう充分わかったから。
私との関係は、あんたにとっても私にとっても、
大事な人への裏切りになるから。
全部諦めるから。
だから、私は大丈夫。
ごめんね、あんたに大事な人がいることを知っていたのに。
自覚していなかった寂しさにつけこんでごめん。
振り回して傷つけてごめん。
無責任に好きになってごめん。
淳、あんたは独りじゃないからね。
淳に寄り添ってくれる人がいる。
淳を信じて見守ってくれる人がいる。
淳に恋い焦がれる人がいる。
淳が、淳らしくいることを願ってる人がいる。
だから、苦痛を抱え込まないで。
傷を隠そうとしないで。
痛いときは、「痛い」って言って。
その傷は治るよ。
治してくれる人が絶対いるよ。
淳、これからは、自分のために生きていい。
幸せじゃなくても、穏やかに生きてね。
今までごめんね、好きだった。
バイバイ。
お付き合いいただき、ありがとうございました!
みなさん感想を書くときには『坂巻淳は有罪です』って書いてくださいね(笑)
大丈夫です! この男はズタズタにします。
この作品では私が神なんで(笑)
なにはともあれ、あと3本で完結を予定しています!
これからもよろしくお願いします!