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元天才選手の俺が女子高校野球部のコーチに!  作者: 柚沙
第1章中学生時代
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元天才東奈龍の栄光!


話は完全に平行線で何も進まずにいた。

もう何だかんだ1時間半以上話し合いが続いていた。



「東奈くん。あんまり自分の経歴とか自慢したくないと思うけど、どんな事をやってきてどんなことに自信があるか教えて貰ってもいい?」


はっきり言って自分の経歴を自慢げに話すのはかなり嫌だった。


最近辞めたばりの野球で、成し遂げたことを自慢げに話したがるのはもっと先、歳をとった時だろうと思っていた。


「あの、辞めた野球のことを自慢するのはあんまり話したくないのですが…。」


俺は出来るだけ本心を言うことにした。

ご機嫌取りをしても、この状況は俺が望んだ未来ではない。


「あはは。正直なんだね。なら代わりに私が調べた限りのことを話してもいい?」


助け舟を出してくれたのはまた天見さんだった。

姉の信頼したキャッチャーは姉との比較で凄く優しい人に思えた。


「光さんの弟、東奈龍くんのこれまでの野球の経歴ですけど…。」


A4用紙2枚くらいの資料を理事長と教頭先生に手渡して話し始めた。


自分の武勇伝みたいなものを隣で話されてると耳を塞ぎたくなる。


俺自身、過去の事を自慢したり誇ったりすることがなかった。


野球に対してプライドが低いと言われればそれまでだが、単純に過去の実績で今現在勝負できるのであれば十分に使っただろう。

野球に限らず他のことでも、勝負するには自分のここまで培ってきた力以外に使えるものはないという結構偏った考えだ。


あまり見たくないが、目の前にあった俺の事を書いた資料を手に取ってみた。



東奈龍。


天才東奈光の弟。


家族と姉の影響で小さい頃から野球に関わり、小学一年生の頃から軟式野球チームに入る。


幼なじみの親友大迫蓮司、橘桔梗の三人は時間の許す限り東奈光の指導を受けた。


龍は3年生の頃から、1年〜4年の下級生チームと5〜6年の上級生チームどちらでも試合に出ており、下級生チームでは捕手として、上級生チームでは投手として活躍していた。


『この頃から姉の手伝いでプロのフォームの真似が始まったんだったな。』


5年生になると、光がプロで培った練習方法と龍自身で作り上げたレベルの高い練習方法を全員と共有し、チームのレベルアップに尽力して、5年生中心のチームで全国大会へと2回進出した。


6年生の時に全国軟式野球大会でエースで4番として全国大会に出場し、全国大会優勝、最優秀選手賞を獲得。


軟式の全国制覇した後すぐに、元々練習していた硬式に挑戦した。


福岡の強豪の硬式野球チームに入団して、

即3番キャッチャーとしてレギュラーを勝ち取る。


九州大会まで打撃と守備の要としてキャッチャーで活躍しながら、二番手として投手でもノーヒットノーランを二度達成。


勢いそのまま全国大会に出場し、全国大会では捕手として全国大会ベスト4となる。3位決定戦では投手として完全試合を達成し、2打席連続ホームランと投打で活躍して最優秀選手賞を獲得。


U-12野球世界大会に日本代表のエースとして出場し、準決勝戦ではプエルトリコ戦でノーヒットノーランを達成。決勝でもアメリカに圧倒的なピッチングを見せるが、惜しくも1点差で準優勝。


ここでも最優秀選手賞を獲得。


これを見て恥ずかしいと思うより、軟式で蓮司や桔梗ちゃんと全国大会優勝した時のことを思い出していた。


その後の硬式野球や世界大会は大人の強い推薦でやっていたことだったので、達成感というよりもホームランを打ったときや三振を取った時などのプレーの事しか思い出せなかった。


俺がいたから勝てたという大人が沢山いた。

元々いたチームのみんなは必死に俺の練習について来てくれた。

段々と上手くなって行くのを実感しつつ、最終的には俺だけの力じゃなくて、全国制覇出来るまでになった方が俺にとっては大切な思い出だった。



中学生時代。


福岡で最も強いと言われている硬式クラブチームに入団。


1年生ながら、3番キャッチャーとしてレギュラーに抜擢。自慢の打撃力と、卓越した洞察力で九州県内でも有名な投手をリードして全国大会へ進出。


その投手を絶妙にリードしながら、毎試合楽な試合展開で全国ベスト8まで進出。


最後は1人で投げ続けた投手の疲労困憊で、滅多打ちに合い準々決勝で敗退した。


2年生になってから小学生の時の軟式のチームメイト、硬式のチームメイトがぐんぐんと実力をつけてスタメンに2年生が8人というチームとなり、主に捕手として出場しながらも、準決勝や決勝の時だけはピッチャーとして先発することはあった。


もちろん全国大会に出場し、ほとんどの試合を危なげなく勝利。


遂に迎えた決勝戦では全国大会2度優勝経験のある強打を売りにした横浜の強豪チームに対して、大会初先発で完封、3本塁打で全国大会優勝。


この大会でも最優秀選手賞を獲得。


3年生が引退して、新2年チームになってから練習試合を含め4つの大会に出てすべての試合を勝ってきた。


2年時は11個の大会に出て、9個の大会に優勝。そのうち2つは準優勝だった。


そのうち10回最優秀選手賞を獲得し、全ての大会で最多本塁打を獲得した。


そして、小学生以来となるU-15日本代表として2年生として唯一選出された。


世界大会では捕手兼抑えピッチャーとして選出された。

世界大会でも最多本塁打を放ち、抑え投手として自責点0でその役割もしっかりとこなした。


龍は光と同じく投手としても打者としても一流の選手である。

光と唯一違うところは二刀流という点では同じだが、捕手としての能力がずば抜けて高く、捕手である私から見ても相手の読みを外すリードに関しては他の捕手との圧倒的な差を感じる。


最後の2枚目を見てみると、自分が2年の時の練習試合と公式戦全ての成績が記載されていた。


全ての大会の成績1つ1つ見ていたら時間がかかる。

2年時公式戦すべて決勝まで進んでいたので試合数がとんでもないことになっていた。


2年時


打撃成績

公式戦57試合出場。

217打席174打数129安打31本塁打99打点40四球3犠飛

公式戦打率.741


練習試合22試合出場。

72打席60打数46安打18本塁打42打点11四球1犠飛

練習試合打率.766


練習試合&公式戦

打率.747 出塁率.795

51本塁打141打点55四球


投手成績

公式戦11試合登板

投球回51回1/3。防御率1.40。8勝0敗。与四死球16。52奪三振。完投8、完封5。


練習試合登板0。


こうやって改めて見るとこんなもんなんだなというのが率直な感想だった。


気になったのは立派に見える投手成績ではなく、四死球が体感よりも多く出していたので、姉の精密なコントロールは俺には身につかなかったんだなと思っていた。



俺は特殊能力というか技術というか、打席で自分に向かってきたボールを避けるのがめちゃめちゃ上手いので、約300打席立って1回もデットボールがないというのは結構凄いはず。



「ふむ。なるほど…。」




理事長と教頭先生も詳しい野球の知識がある訳では無さそうだが、この成績は野球を知る人だと本当か?と思うだろう。



「確かにこの実績と成績なら野球を続けていたら間違いなくプロ入りするような選手だと言うのは分かりました。 しかし、今どれ位の能力があるかを知りたいのです。グラウンドで実技テストをして実力を見せてもらってもいいですか?」


俺は野球を辞めたが練習は続けてきたし、べつに野球を嫌いになったわけでもないのでちょっとプレーするくらい何でもなかった。


「りゅー。それじゃグランドに行こうか。」




打席とは、そのまま「打席に立った回数」のことを指している。

一方で打数というのは

「打席数-(四球+死球+犠打+犠飛+打撃妨害+走塁妨害)」という計算で求められる。

四球や死球は投手側に責任があるため打数には数えられない。

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― 新着の感想 ―
[一言] 龍とか言うやつチート過ぎない?プロとか言ってる場合じゃないだろ。
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