冬トレ開始!
「練習開始前だけど、ちょっと全員集合してー。」
「全員集合ー!!」
「「はいっ!!」」
文化祭が終わり、あっという間の秋休みも終わって、冬トレが始まろうとしていた。
まだ11月上旬なので対外試合は可能だが、こちらから練習試合を組む予定はなかった。
他校からの申し出があれば、断る理由もないので練習試合をするつもりだけど、それ以外は厳しい練習を選手たちには行ってもらう。
「まずはみんな知ってると思うけど、三海花桜梨さんが野球部に入部することになりました。」
「ご紹介にあずかりました三海花桜梨です。1年ほどブランクがありますが、選手兼マネージャーとして入部させてもらいましたので、練習しながら皆さんのサポートもやらせてもらいますのでよろしくお願いいたします。」
堂々とした自己紹介で選手たちは拍手で三海さんのことを出迎えていた。
ライバルが増えることが嫌な選手も、仲間が増えたことに単純に喜ぶ選手もいたが、彼女がもし本気になったら必ずレギュラー争いに加わってくることをまだ知らない。
「それと1週間前に言っておいたと思うけど、冬トレのパートナーは決めてきた?」
この冬はパートナーシステムを導入しようと俺が監督へ進言した。
チームメイトとして信頼出来る人で、一心同体でこの冬を乗り越えられる人を選んで来て欲しいと伝えておいた。
選ぶ人に特に条件はないけど、出来るだけ同じポジションの選手はやめた方がいいとも伝えておいた。
レギュラー争いのライバルとのパートナーは、確かにお互いを意識して高め合う事ができるかもしれないが、デメリットも大きいと俺は思っていた。
お互いのプレーを比べて、あまりにかけ離れていると感じてしまうと、劣等感や嫉妬の感情が強くなってしまって、パートナーとしての役割を果たさなくなる可能性もあるし、なによりその本人のモチベーションの低下を避けたかった。
「パートナー同士でみんなバラけてみて。」
三海さんが入部したので、人数が奇数になったので2年生が3人となってしまったとこもあるが、レギュラーを目指していない2年生組ということで監督が了承した。
余ってしまった人はマネージャーに任せようとしたが、とりあえずは全員パートナーをしっかりと決めてきたようだ。
「今度は俺から説明させてもらいますね。今日の練習終了後に全員にパートナーのフォームの動画を送らせてもらいます。その動画には悪い癖が出た時のフォームと、理想のフォームの映像があるので、来週までにはパートナーのフォームを覚えてきて下さい。」
自分のフォームではなく、他人のフォームを覚えてないといけないことに少し困惑した表情をしていた。
「なんでと思うかもしれないですけど、打撃練習はこれから必ず二人一組でやってもらいます。俺や監督の目の届かない場所でフォームが崩れていたら相方が注意してあげて下さい。」
「東奈くんちょっといいかな?」
質問を問いかけてきたのは大湊先輩だった。
「もし相方がフォームを覚えてこなかったら、自分は悪いフォームで打撃練習することになっちゃうと思うけど、それじゃ本末転倒じゃないのかな?」
「だからこそ、信頼出来る相手を見つけてくださいって言いましたよね?それとフォームを覚えてない限りはその二人は打撃練習させないので早く覚えてきてくださいね。」
俺があっさりと答えると自分のパートナーと全員がひそひそと話し始めた。
「もし自分が上手くなりたいなら、パートナーのことをまず知ること。その為のパートナーなんだから。」
選手たちからは動揺の言葉が飛んできたが、俺からは話すことはなくなったので後の話しは監督に任せることにした。
「これから冬のトレーニングに入っていくけど、いつもみたいに週一回の休みじゃなくて、三日か四日練習したら一日休みにするから。」
「え?休み多くなるってこと?」
「やったね。ラッキーじゃん。」
選手たちは休みが増えることを喜んでいた。
冬の練習なんてきついことばかりやらされるので、休みが多い方が選手たちは嬉しいのはよく分かる。
だからといって練習が楽という訳では無い。
逆に練習が厳しくなるので、六日練習して一日休むのでは選手たちの体が持たないと俺と監督が判断した。
適切な休息日を作って身体作りを行わないと、ただ体に負担が掛かるだけで怪我をする可能性が高くなってしまう。
選手の苦しむ顔が見たい訳では無いが、結果的にはそうなるだろうなと、休みが増えて喜ぶ選手達を横目に思うのであった。
「まずは今日は東奈くんが日頃やってる自主トレーニングをみんなにもやってもらうね。」
俺の日頃の自主トレと言っても、週に2回の身体を鍛える方のトレーニングなので、俺がやっても休憩抜きで二時間はかかる。
どれくらい時間がかかるか分からないけど、とりあえずこのメニューをやって選手達がどれくらいスタミナがあるかを見極めよう。
「はぁはぁ…。この25mダッシュ何本目だっけ…?」
「ラスト20本目!!」
「「おぉぉ!!」」
俺は基本的にランニングはトレーニングメニューには入れなかった。
スタミナを鍛えるなら、別にダッシュでも鍛えられるし、筋肉には速筋、遅筋と呼ばれるものがある。
陸上でも短距離の人は速筋を鍛えて発達しているし、長距離の人は遅筋が発達して長い距離に適した身体になる。
野球には当たり前だが、速筋が必要となる。
バットを振るのも、ボールを投げるのも、走るのも全て瞬発力を必要としている。
投手と野手では鍛えないといけない筋力が違うので、トレーニングが難しくなってくるが、スポーツに最も大切なのは下半身だ。
強い下半身があれば、全てのプレーに安定感や力強さが増す。
だが、下半身は毎日運動しているとかなり厳しいトレーニングをしないと筋肉を付けるのが難しい。
普段運動していない人だと、腕立てや腹筋を50回くらい正しいやり方でやればまず筋肉痛になって、栄養と休息を取れば筋肉量が増していく。
なので、筋肉量を増やしていくには筋肉痛になるようなトレーニングをすることが重要なのだ。
筋肉痛にならないからと言って筋肉が付かないという訳では無いらしいが、その人の持っている筋肉で出来る限界のトレーニングをすることで、筋肉量を増やしていく。
それをやりすぎるとオーバートレーニングとなって、肉離れを起こしたり、継続的なオーバートレーニングで疲労骨折などの大怪我をしてしまう。
なので、メニュー的な話で言えば最初の方は筋肉痛になる可能性が高い。
一日目はバットを振ったり、守備練習をしたりと野球の実践的なトレーニングを行う。
二日目は上半身中心のトレーニングと、実践練習でも上半身に負担のかかるトレーニングを行う。
三日目には下半身中心のトレーニングと、ランニングメニューやダッシュメニューで下半身を鍛える。
上半身、下半身が筋肉痛になっての練習は身体には負担が大きいので、練習を休みにするか負担の掛からない練習メニューで調整を行う。
基本的にはこのサイクルでの練習を行うつもりだが、慣れてくれば三日練習して一休だったのが、四日練習して一休に慣れてくるだろう。
「ダッシュメニューは終わりで、次は筋トレするから全員で俺を真ん中にして円になって。」
「腕立て伏せをするけど、今からいくつかのパターンで腕立て伏せをやるからまずはフォームを覚えて。回数をこなすんじゃなくて、正しいフォームでやらないとトレーニングって意味がないから。」
俺はいくつかの腕立ち伏せのやり方を全員の前で披露した。
そして、フォームが正しいかを全員にも確認させた。
「桔梗のこのフォームは綺麗だね。相方とトレーニングする時も、ちゃんとフォームが正しいかどうかを理解しないといけないよ。」
「はいっ!」
「それじゃまずはどちらかが腕立て伏せを始めて。その間にフォームが正しいかを相方が見てあげて。ちなみに見ている方はスクワットしながらね。」
「…え?」
「ほら!さっさと始めるよー!」
選手たちは腕立て伏せとスクワットを始めた。
回数は少なめにして、しっかりとフォームと身体のどこに負担がかかっているかを認識させた。
「はい。終わりー。30秒休憩したら次は2つ目のフォームで腕立て伏せね。見守る方も変わらずにスクワットね。」
正しいフォームでの筋トレは思ったよりもきついのか、少しずつづらそうな顔をしながらも腕立て伏せをしていた。
スクワット組もスロースクワットという、一回一回を遅いスピードでやるトレーニングを行わせた。
「おーい。ちゃんと相方のトレーニング見てるかー?スクワットも腕立て伏せもスピードが速くなってフォームが崩れてるぞ。」
「うぅ…!みんなしっかりとフォーム意識しろっ!」
「は、はいっ!」
キツイはずの大湊先輩は相変わらず全員のことを意識していた。
この位でへばるなという檄を飛ばしながら、チームメイトのことを気にかけていた。
「はいー。ここまでー。30秒休憩したら次は3つ目の腕立てね。」
「はぁはぁ。休憩時間が短いっ…。」
一回一回がきつくても、長めに休憩を取っていれば回数はかなり多くこなせる。
だが、筋トレは回数をこなす為のものではなく、筋肉を付けるためにやるものなので、筋肉が休まる前に次のメニューをやる方が負担が掛かる。
「休憩終わり!はい、次いくよ!」
「いーーち!にーーい!」
「みんな腕立てのスピード速くなりすぎ!きついのは分かるけど、それじゃ意味ないからまた1から始めて。」
「スクワット組も背筋が曲がり始めてるよ。背筋を伸ばして、膝を曲げるんじゃなくておしりを下げないと駄目。」
三セット目も足や腕をプルプルさせながらも終わらせると、休憩を取らせてすぐに次の腕立て伏せを開始させた。
「回数も少ないし、フォームを変えただけなのにこんなにへばるのはどうかと思うよ。いつもなら軽く腕立て50回終わりましたって言ってるよね?まだ60回くらいしかしてないのに。」
「くっ…。もっと気合い入れろぉ!」
誰かわからなかったが、みんなを鼓舞する声を上げると必死に腕立て伏せとスクワットに取り組んでいた。
「次5セット目でラストだから頑張ってー。5セット目の腕立て組は下ろすのに5秒、下ろし切ったら5秒、上げるのに5秒かけて。」
そんなこと出来るかよと言った顔で俺の事を睨んでくる先輩もいた。
俺はそんな目線を気にすることなく、どんだけキツかったとしてもやってもらうしかない。
「はい、開始ー。いーーーーち、にーーーーい。」
この下ろすのも上げるのもゆっくりの腕立て伏せはかなり腕にくる。
だからこそいいトレーニングになっているのだが、選手たちからすると早く終わってくれと願うばかりだろう。
「はぁ…はぁ…。何回目っ…?さっきまでと同じく15回…?」
「知らないよっ…。東奈に聞けばいいやん…。」
「はい、終わりって言いたいけど、フォームが崩れてる人が多すぎて練習になってないから、相方はちゃんと見てあげないといつまで経っても相方のトレーニング終わらないよ。」
「誰だ!ちゃんとやらねーと終わんねぇぞ!」
「野球はチームプレーだから、人のせいにせずに励ましていこー!ほら、頑張れー。」
俺の脳天気な言葉に選手たちは少しイラついているかもしれないが、この位のトレーニングでダウンされると俺が教えることも無くなる。
文句をぶつくさ言いながらも、片方の腕立て伏せが終了して、次にスクワットしていた組と交代させた。
「はーい。お疲れ様ー。今日は15回だったけど、最終的には30回×5セットを簡単に出来るようになりましょうね。」
「これが倍に…?出来る気がしないんだけど。」
「はい。次は腹筋と背筋をやるから寝転がってー。これもやり方があるからフォームと呼吸と鍛えてる部位を意識して使ってね。」
腹筋や背筋もインターバルを少しだけとって、適度に休ませずに一つ一つの部位にしっかりと負担をかけさせた。
これが終わると、すぐに体幹を鍛えるトレーニングをやらせた。
体幹を鍛えるトレーニングには見た目以上にやってみると辛い。
代表的なやり方だとプランクというものがあるが、選手たちは確かに体幹を鍛えて筋力を増やしたいといっても、ダイエットをしたい訳でも見せる筋肉をつける訳でもない。
確かにダイエットでよく見るプランクだが、俺はこれを改良して体の動作を組み込んで野球の動きに連動させるトレーニングを開発していた。
固定することに気を取られるのではなく、動きながら野球の動きに対応した体幹をつけないと野球には活かすことが出来ない。
「みんな慣れないトレーニングで動きが硬すぎ。どこが伸びてるとか、どこに負担がかかってるとかちゃんと分かってる?そんなぎこちない動きで野球してる訳じゃないよね?」
俺はみんなを軽く煽りつつ、必死に付いてこようとトレーニングに打ち込んでいた。
短い休憩は取りつつも、長い休憩を取らせていないので思ったよりも選手たちに疲労の色が見えていた。
休み明けの練習だから少し身体が鈍っているのか、俺のトレーニングを軽くこなせるほどの体力がないのか。
「筋トレはとりあえずこれで終了だけど、回数を少なくした割には時間も掛かってるし、思ったよりもみんな体力がないんやね。」
「なに?挑発してるの?これくらいでバテるわけないよね!?」
俺に反論するように海崎先輩はみんなにバテてないと言えと言わんばかりに問いかけた。
「詩音の言う通りだよ。この位じゃまだまだ全然大丈夫。1年生もまだまだいけるよね!?」
「「はいっ!いけます!」」
海崎先輩や大湊先輩にこう言われてダメですとは言い出せない。
1年生は先輩につられてこのくらいは余裕だと俺に言ってしまった。
「まだ練習したいってのはいい心構えやね。それじゃ、さっきまでのトレーニングおさらいとして回数を10回にしてもう1セットやってみよー!」
「は、はいっ!」
次のメニューはスクワットをさせずに、相方のフォームの確認や、腕立て伏せが辛そうな時には少し手を貸してあげたりしていた。
筋トレが終わると、最後にベースランニングをやらせた。
ホームから一塁へを10本、ホームから二塁へを5本、ホームから三塁へを3本、ベース一周を2本。
「う、うっしゃ!これで終わりか!」
ベースランを終わってみんな一息ついて、明るい顔をしていたがこれで終わりではない。
「悪いけど、次は一塁から二塁を5本と二塁からホームを5本ね。俺が2塁で監督がホームにいてタッチしにいくから滑り込んで来て。」
二塁ベースとホームベースには怪我をしている選手にトンボ掛けをやってもらって、滑りこんでも怪我をしないように土を馴らしてもらっていた。
「よしっ。グランドでの練習終了ー。グランド整備全員で15分以内に終わらせて、終わったら20分ランニングしてストレッチして練習終わりね。」
「全員でグランド整備するよっ!キビキビ動けよー!」
「「はいっ!」」
いつもよりもテキパキグランド整備を終わらせると、ランニングはみんな個々で自由に走らせて、パートナーとじっくりとストレッチをして冬トレ一日目が終わった。
「はぁー…。今日休憩ちょこちょこあったけどさぁ、基本的にはずっと筋トレさせられてたよね。夏実は中学生の時に比べるとホントに体力ついたよね。」
「皐月ちゃんは結構余裕そうにやってるように見えたけどね?私はこのメニューは東奈くんに余裕があるときにやるように言われてたから、まだ全然大丈夫だと思う。」
「あんなトレーニングを自主的にやってたの凄いと思うよ。やらされないとあんなに時間をかけるキツい筋トレ出来ないわ。」
「だよねー。私も東奈くんに最初教わった時は全然回数出来なくて失望されたよー。」
「まぁ、でも自分に厳しい夏実がパートナーで良かったよ。中学生の時には私に着いてくるのがやっとだったのに、今では同じメニューを同じようにこなせてるんだから。」
「えへへ。皐月ちゃんは厳しくトレーニングしたらまた私なんて置いて行っちゃいそうだけどね?」
「そうなれるように頑張ろ。それじゃ、早く帰ってご飯食べよ。久しぶりにキツい練習したからお腹すいたよ。」
「だね!それじゃ先輩、お先に失礼します!」
「はーい。お疲れ様ー。」
俺には部室がないので、バックネット裏の監督室でいつも着替えていた。
俺が着替えている所に監督が来ることがあっても、逆はなかったというか俺が細心の注意を払っている。
監督室といっても小さな小屋みたいなものなので、帰宅する選手達の談笑がよく聞こえてくる。
俺がここにいることを知っていて、あえて俺に文句たらたらな先輩もいるが、俺個人にというよりも練習がキツイ等の野球に関しての文句なので気にしていなかった。
「なんだかんだ三時間半も練習したのか。もうちょっとスムーズに練習しないと効率が良くないな。」
初めての冬トレは誰もリタイアすることなく練習を終えられたが、このくらいの練習で思ったよりもバテていたことに少しだけ不安に思うのであった。




