勝負開始!
「…あなたが上木さんね。私は紫扇晴風。左投げのピッチャーです。」
「…………。」
上木さんは必死に自己紹介の文を携帯に打ち込んでいる。
その様子を見て、晴風は特に表情を変えることも無く、ただじっと上木さんのことを待っていた。
『初めまして。聞いてると思いますが、話せないのでこんな形での挨拶になっちゃってごめんなさい。』
「…気にしなくていいよ。私は話せようが話せまいがそんな事は気にしないから。」
『ありがとう。順番がおかしくなっちゃったけど上木和水です。今日の勝負楽しみにしてました。』
「…楽しみか。考え方が違うかもしれないけど、楽しむことも大切だと思う。」
晴風はいつもよりもじっくりと考えて、言葉を選びながら話しているようだ。
「…それでも私は野球を愛してるからいつも真剣に取り組むようにしてる。初対面だけど、3年間一緒にプレーするんだから、最初から言いたいこと言っておいた方がいいと思う。」
『そうだよね。これからチームメイトになるんだもんね。私も野球は大好き。だからこそ、野球を楽しんでプレーしたい。もちろん試合にも勝ちたい。』
2人はホームベースを挟んで、上木さんは携帯を使っての会話をしている。
晴風の声は微かに聞こえるが、監督も俺も話を盗み聞きすることはない。
「…なるほど。いいんじゃないかな。どんな楽しみ方でも向上心と勝つ気があれば。」
『やるからには勝ちたいよね。だから、今日の勝負も簡単には負けない。私は外野手だけどピッチャーも出来るから勝負よろしく。』
「…悪いけど、私は負けないよ。」
『そうだね。お互いにいい勝負しよう。』
2人は自己紹介と軽い会話を終わらせたようだ。
俺と監督の元に歩み寄ってきて、改めて俺と監督に挨拶をした。
晴風はもう完全に勝負モードに入っていた。
上木さんはリラックスしていて、この勝負を楽しもうとしているようにも見える。
晴風は特待生としてAではなく、Sで入学することにこだわっている。
俺にはそういうことは言わないが、S特待で入学することが出来れば、寮費まですべて学校が肩代わりしてくれる。
お義父さんにあくまでも迷惑をかけたくないのだろう。
この勝負の勝ち負けでS特待を決めるわけでは無いけど、本人達からすればこの勝負の結果が1番に重要だと思っているはずだ。
「上木さんは初めましてかな?紫扇さんはお久しぶり。」
「……ぺこり。」
「…お久しぶりです。今日はよろしくお願い致します。」
「まずは白星高校を選んでくれてありがとう。私も東奈くんも2人の能力は高く評価してる。高校入学してもすぐにベンチ入り、レギュラー争いしてくれるって期待してる。」
「ありがとうございます。」
「今日の対決はこちらのわがままでやらせてもらうから、二人は気軽って訳にはいかないかもしれないけど、そんなに気負わずに勝負してもらいたい。」
俺は流石に無理だろうなと思いつつも、上木さんと晴風は普通に出会えた方が良かったんじゃないかと思っていた。
上木さんは人と競うことがあんまり得意ではなさそうだけど、まだまだ俺は知らないことが多い。
「俺からもいいかな?この勝負は勝ってもと負けてもあんまり関係はない。今の実力差は分かるだろうけど、本当に重要なのは高校に入学してからの三年間でどれだけ成長出来るか。」
「…確かにそうですね。」
「はっきり言ってそういう判断をするのは難しい。だから、どっちが選ばれても明確な優劣がある訳じゃないってのは覚えておいて欲しい。」
「…はい。わかりました。」
上木さんも俺の言葉には納得しているのか、何度も頭を縦に振ってくれていた。
なにかあれば伝えようとしてくるし、俺たちの側にいる三海さんも特に口を挟んでこなかった。
上木さんの代弁者になるつもりなのだろうか?
それとも上木さんの何かを知っていて、喋られるようになる為に力を貸そうとしているのか。
三海さんの考えはよく分からないけど、上木さんのことを大切に思っていることだけは伝わってくる。
そのおかげで上木さんは白星に入ろうと決意してくれた。
他の高校には入るつもりはないと言っていたので、白星で野球をやるか、やらないかをずっと悩んでいたんだろう。
俺は最初に上木さんのプレーを見た時に、彼女の野球センスに驚いた。
ピッチャーを始めてからそこまで時間が経っていないのに、抜群のコントロールと見よう見まねで俺の姉の変化球を投げられるようになった。
そんな未知なる才能と、日々自分に厳しく鍛え続けられる才能。
「勝負は3打席勝負にしよう。四死球はやり直しにするけど、その分評価するからね。どっちが先にピッチャーする?」
上木さんと晴風は目を合わせてどちらが先にピッチャーをするか探り合っていた。
「…上木さんって外野手兼投手なんだよね?なら、本業はお互いに温まってから勝負したいよね?私がバッターで、上木さんがピッチャーから始めるのはどう?」
「………こくり。」
上木さんは大きく頷いて、晴風の提案をあっさりと了承した。
「キャッチャーは俺の従兄妹の穂里にやらせるけどいいかな?俺とか監督とか高校の関係者以外で対決をしてもらいたくて。」
「そういうことなのね。投げるボールとかは投球練習で打ち合わせしたらいいの?サインとかは?」
穂里は今の状況を全て受け入れていた。
次に何をすればいいかを考えて、俺にすぐに質問を投げかけてきた。
「それは2人でゆっくり話し合えばいいからね。勝負自体は長くならないだろうから、そこらへんは上木さんの指示に従ってあげて。」
「うん。りょーかい。」
穂里は上木さんをやや強引に連れていくと、どうするかを話し始めた。
あれだと穂里主体になるだろうけど、俺はキャッチャーとしての在り方としては穂里は正しいとは思う。
ブンッ!!
晴風は自分の持ってきたバットを軽々振っている。
居合道の模擬刀はそこまでは重くなかったが、女子用のバットと比べると結構重たかった。
それに晴風の好みなのか、短めのバットと女子用の規定ギリギリの軽いバット。
元々速いスイングスピードを更に速くさせている。
こればかりは好みの問題なので、強制することは出来ない。
バットを鋭く振れて、ヘッドが効くスイングが出来るバットを選ぶのが1番いい。
遠くに飛ばすのなら、もちろん重いバットの方がいい。
だからといって、飛ばすためにただ重くすればいいという訳でもないので、そこらへんはその本人に任せるしかない。
「ナイスボール!」
穂里のいいキャッチング音と、上木さんのことを鼓舞する声が響いていた。
その様子を紫扇さんは横目で見ていても、タイミングを合わせるようなことはしない。
「うーむ。なんだか光姉さんってこんな感じイメージ。」
穂里も上木さんに姉の姿を感じたみたいだ。
俺も同じことを初めて見た時に感じた。
やっぱり同じ血を引いていると感じることも近くなるのかもしれない。
俺は誰よりも姉のことを知っているが、穂里は姉には興味が無い。
光瑠がテレビとかで姉の映像を嫌というほど見ていて、頭の中に映像として刷り込まれたんだろう。
姉と穂里はキャッチボールもしたことがないので、完全に穂里のイメージでしかないけど、それでも姉を想像出来るということは、上木さんは思ったよりも姉に近いのかもしれない。
「上木さーん!もう大丈夫そうですけど、大丈夫なら手を振って下さーい!」
球を受けている穂里がいけると判断して、上木さんに大丈夫かを聞いていた。
上木さんも肩が出来たのか、笑顔で穂里に手を振っていた。
「…絶対に勝つ。」
「…………。」
晴風は見慣れないクローズドスタンスで、上木さんは現代野球では珍しくなってきた振りかぶっての投球スタイル。
穂里がサインを出しているが、あくまでも上木さんがリードを組み立てるので、首を横に振るの当たり前だけど、上木さんと穂里は息が合うのか上木さんはあまり首を振らなかった。
俺は審判として2人の勝負を1番近くで見ることになった。
多分ストレートから入ってくるだろう。
穂里のリードを考えれば、ストレートを中心として組み立ててくるはず。
上木さんはピッチャー経験1年ちょっととは思えないくらいに、振りかぶって投げる姿が様になっている。
晴風は早めに構えてから、ほとんど動かずに怖いくらいに上木さんの動きを観察していた。
まさかに不動といった感じだった。
俺個人的な話でいえば、あまりに動かないのも良くないと思っているが、これも居合道の動作を取り入れての物だろうから、打てるなら後は本人の好きにやらせるのが1番だ。
上木さんは姉を彷彿とさせるフォームで、力強く踏み込むと勝負の始まりとなる1球目を投げ込んできた。
アウトコースギリギリに決まるストレート。
「ストライク!」
晴風は初球のストレートに手が出なかったのか、ストレートの軌道を確認したかったのか手を出す様子がなかった。
上木さんはストレートのスピードはそこそこだが、コントロールと変化球の球種の多さでトータルバランスで勝負していく投手だ。
「ん?」
上木さんと穂里のサイン交換が終わると、さっきは振りかぶってから投げていたが、次にはセットポジションから投げるようだ。
晴風にタイミングを合わさせないようにしているのか、色々と工夫して対決に望んできている。
横目で一塁ベンチ前を見ると、腕を組んで対戦を見守っている三海さんの口元が緩んでいた。
ワインドアップで投げたり、セットポジションで投げたりするのは彼女の入れ知恵なのかもしれない。
もしかすると、この対決は二人でバッテリーを組む算段をしていたのか?
もしそうなら上木さんにとっては心強い仲間がいないことになるが、晴風は元々一人で挑んでいるので、条件は二人とも同じだ。
セットポジションからの2球目は、ランナーがいない状態だけど、長めにボールを持って相手を焦らそうとしている。
いつ投げるんだと思っていたら、鋭いクイックモーションからの2球目を投げ込んできた。
インコース低めへきっちりとコントロールされたストレート。
「ストライクツー!」
このボールも平然と見逃して、ノーボールツーストライク。
インコースが得意なはずの晴風はここも手を出さずに、上木さんのボールを見ることに全力を注いでる。
この打席は捨ててるとまでは言わないが、この次の打席への布石にしているようにしか見えない。
試合ならこんな余裕もないが、これは二人だけの勝負なので、誰かに迷惑をかけることもないし、負けても自分がその責任を負うことが出来る。
「…ふー。悪くない。」
晴風は打席を外して軽く素振りしながら、ボソッと一言だけ相手のストレートを評価していた。
目の前でサインを出す穂里はその様子を見つつ、3球目のサインを出していた。
もし、この後のことを考えるのなら変化球は極力投げたくないが、下手に粘られて結果打たれるのも三打席という少ない対決では致命傷になりかねない。
3球目のサインも交換し終えると、今度はいつもよりもゆったりと振りかぶりながらの投球フォームに戻してきた。
勝負球に選んできたボールはまたもストレート。
打ってみろと言わんばかりのインコース高めへの厳しいストレート。
ストライクかボールか微妙なコースだが、ここは晴風も踏み込んで打ちに行く。
カキイィン!
簡単なコースではなかったが、インコースを得意としている晴風は自分の身体に近いボールを、身体の前で上手く弾き返した。
芯をやや外していたが、鋭い打球が三塁線を抜けてボールが転々と転がっていた。
「今のはツーベースかな。」
監督が今の打球をツーベースと判断したようだ。
今のは上手いサードでも捕るのは厳しいコースだった。
晴風は打った後はしっかりとファーストへ走り出していた。
走り出す必要はないが、打ったら走るという当たり前の動作が体に染み付いているようだ。
打たれた上木さんも悔しそうというよりも、あの厳しいインコースを打たれて、凄いなという表情にも見えるし、これからは気をつけようという顔にも見える。
「あのコースをあんなに簡単に打たれるなんて。」
「穂里はまだ野球を知らないから、わからないと思うけどクローズドスタンスのバッターはインコースが得意なんだよ。」
「アウトコース打ちやすそうなのに。」
「アウトコースが苦手だから、アウトコースを打ちやすいフォームにしてるんだよ。」
「なるほどね。また勉強になった。」
俺の真似をして野球の基本の動作を覚えていった穂里が、これからは少しずつ野球の知識をつけていってくれればいい。
「…後1本打てればこの勝負勝てる。」
晴風は打つ方もそこそこ自信があるようだけど、自分のピッチングには絶対の自信を持っている。
打者として2安打出来れば、ピッチャーとして2安打は打たれないという自信があるんだろう。
「…さぁ、上木さん続きやろうか。」
「………こくり。」
二人の素晴らしい才能の戦いが始まった。
1打席目は晴風が勝ったが、ここからの2打席は思う存分変化球で勝負してくるだろう。
そんな2人の戦いは更に熱いものになっていく予感がしていた。