VS福岡国際⑨!
かのんの意表を突くセーフティバントは三塁線のラインを沿って転がっていた。
かのんがセーフティバントが上手いのは、多分日頃の練習のおかげだろう。
送りバントのやり方とセーフティバントのやり方は違う。
バットに当ててボールを転がすという点ではほぼ同じだが、ランナーを先の塁に進める為と、自分が出塁する為とでは目的が違う。
ランナーを進める送りバントをセーフティバントしに行って、あわよくば自分自身も出塁する為にやる場合もある。
ランナーを送れる事が出来るなら、セーフティバントで自分も出塁できた方がいい。
そうしないのは、セーフティバントが難しいからである。
通常のバントはボールを当てるために、バットと自分の目線を近づけてバットをボールに当てに行くというよりは、バントの構えをして高い球がくればそのまま上体を上げる。
逆に低いボールを投げてきた場合は、上体を低くしてバントにしにいく。
自分が1番バントしやすい体勢を決めて、その形を崩さずにバントをするのが1番確実でやりやすい。
セーフティバントは一塁でセーフになるために軽く助走をつけながら、バットにボールが当たった瞬間にすぐに一塁に走り出す。
それと同じくらいに難しいのが、自分も一塁でセーフにならないといけない。
ということは、ピッチャーやサードが簡単に処理することが難しい場所に転がさないといけない。
基本的には威力を殺しながらサードやピッチャーが、どちらも捕れるような絶妙な場所もある。
逆にプッシュバントという技術を使って、ピッチャーが前に出てくるところを逆手に取って、強いバントをしてセカンドやショートに捕られるバントもある。
かのんは普通のバントの練習はしない。
いつも軽く走りながらというか、テンポよく強くバントをしたり弱いバントをしたりする。
基本練習はきっちりと行うが、絶対に送りバントはしないだろう。
だからこそ、セーフティバントで自分もヒットでランナーとして出るというやり方を磨いている。
そんなことを考えていると、ボールはホームとサードの中間辺りまで来ていた。
三塁ランナーの七瀬は悠々とホームインしている。
戸根さんは一塁に向かっているかのんを横目で見て、より一層焦ってバント処理を急いでいた。
『これは間に合わない。』
俺は一塁へ走っていくかのんと、打球を処理しようとする戸根さんを見比べた時に、この勝負に勝ったのはかのんの方だと分かった。
「捕っちゃだめえぇ!!」
「え!?」
その声に驚いて、ボールを拾い上げる寸前に戸根さんは打球を見送ってしまった。
打球は三塁線のラインを沿って、切れる様子はないが捕ってしまえば絶対にセーフだという確信があった。
打球は勢いを失って、かのんはもう一塁に到達する寸前まで来ていた。
ボールは思ったよりもファール側に流れたが、それでもラインの上で止まりそうだった。
戸根さんも結衣も、かのんのセーフティバントにしてやられたと悔しそうな顔をしていた。
白星ベンチも誰もがセーフティバントを成功したことを信じて疑わなかった。
今日の白星の運の無さなのか、勝負の女神がこちらに微笑んでいないのか、雪山がジャンプをした辺りで急に何かに当たったのか、ボールは進路が変わってしまう。
「ふぁ、ファール!!」
かのんの同点打が小石か、スパイクの裏に付いた固まった土なのか何かに当たって急に進路を変えてしまった。
「う、うそだ…。」
「なんで!なんで!!」
「誰かが石でも投げたんじゃないの!」
とんでもない言いがかりをしている選手もいた。
それでもファールになったボールをフェアにする方法なんてない。
ファールゾールに転がったボールをすぐさま戸根さんは拾い上げて、フェアグランドに戻らないように処理してしまっている。
今みたいにファールゾーンに一瞬出ても、すぐにまたフェアゾーンに転がればフェアになる。
一塁や三塁の手前のボールは選手がボールに触れた時点でフェア、ファールの判定を行う。
例えば内野フライが上がって、フライを取り損ねても、フェアゾーンに落ちたボールでも触れてなければ、そのままファールゾーンに転がって、ボールをファールゾーンで拾い上げればファールになる。
これは一塁、三塁ベースの手前での話であって、その後方に落ちたボールはファールなら落ちた時点でファールになる。
「かのんー!まだまだチャンスあるよ!」
「ホームラン打っちゃえ!」
俺はファールになったことは仕方ないと思っていたが、それよりも今のファールで完全にかのんの集中力が切れていた。
つまらなさそうに自分のバットを拾い上げて、打席に入ろうとしてきた。
「タイム!タイムお願いします!」
普通なら監督にタイムをお願いして掛けてもらわないといけないのだが、思わず自分でタイムをかけてしまった。
「タイムお願いします。」
俺が焦ってタイムをかけたのを見て、監督が落ち着いてタイムをかけ直してくれた。
かのんにこちらに来るように手招きすると、少し興味をそそられたのかウキウキしてベンチへ戻ってきた。
「かのん。ちょっと提案なんだけど…。」
「うんうん。…んー。なるほど!面白い!それ乗った!」
「そ、そうか。とにかくよろしく。」
「はいはーい。」
俺は直感で分かっていた。
このままかのんに任せて打たせたらどんな結果になるのかを。
集中力が切れたと俺が認識した時から、かのんがヒットを打った記憶が1度しかない。
そんなバッターをこのチャンスでこのまま打席に送り出すことは出来ない。
それならかなり厳しい条件を出して、かのんを無理矢理やる気にさせた。
させたのはいいが、成功確率で言えば10%あるかどうかだろう。
それでもこのまま打席に立たせてあっさりと凡打を見るよりはマシだろう。
この後のチームのことを考えると、必死にプレーしたという事実が欲しいのもある。
かのんは俺の言いつけ通りに2球目、3球目のストレート、パワーカーブを見逃した。
俺のなにかの指示で積極的だったかのんは、急に大人しくボールを見逃し始めた。
バッテリーは2球連続でボール球を投げて、ツーボールワンストライクとなった。
やる気に戻ったかのんにさっきのサインを取り消して、普通に打たせられるならそうしたいが、それでまたやる気を失わせるともう元には戻らないだろう。
「ストライクツー!」
ツーボールツーストライク。
俺が指示したカウントまでかのんはしっかりと待っていた。
追い込まれることを今か今かと待っていた、かのんはこの試合で最も鋭い感覚を研ぎ澄ませていた。
「かのん…。大人しいよね?」
「だよね?これも作戦だと思うけど…。」
ベンチ内からはかのんのいつもの感じがなくなり、急に桔梗のような雰囲気を醸し出し始めた。
それに気づけるのは俺の雰囲気を読む能力があってこそだろう。
それにしてもかのんにも、静かなる闘志というものがあったのかと感心していた。
ストライクだろうが、ボールだろうがこの5球目で決めるしかない。
結衣から放たれた5球目はインコースへ入ってくるスライダー。
低めのややボール球だったが、かのんにとってはいい球が来た。
キィン!
かのんのバットからは金属の軽い音が鳴り響いた。
「ええぇぇ!!」
かのんはツーボールツーストライクから、もう一度セーフティバントを敢行した。
さっきと違うのは三塁に捕らせるオーソドックスなセーフティバントではなく、ファースト側に転がす少し強めのバントを選択した。
「かのん。ちょっと提案なんだけど…。ツーストライクに追い込まれたらもう一度セーフティバントしてみないか?」
「うんうん。…んー。」
「さっきのバントは運が悪くなければ完璧だった。だったら、次は一塁側に転がしてみないか?このチャンスで2回セーフティバントを成功させられる選手はかのん以外にいないと思う。」
「なるほど!それ面白い!それ乗った!」
かのんは俺の無茶な提案に乗ってくれた。
追い込まれてからセーフティバントをするという取り決めだったので、追い込まれた次のボールがアウトコースのボール球とかだと、左打者のかのんがそれをファースト側にバントするのは難しい。
ここまでスライダーをあまり使ってこなかった結衣と秋山さんバッテリーから、新しいキャッチャーになって敢えてスライダーを使ってきているのは分かっていた。
あわよくばボールになるスライダーを、安全に打たせたいという安全思考のリードを少し感じていた。
となると、ツーストライクに追い込んでから選択するなら1球目と同じ外から外へのスライダーか、真ん中から内にくい込んでくるスライダーを選んでくるんじゃないかと踏んでいた。
外から外のスライダーは、今さっきのセーフティバントで肝を冷やされたので使いづらい。
パワーカーブもチェンジアップも左打者の方へ曲ってくるボールだ。
となると、追い込んでから1球外へ外さない限りは、どちらかというと外のボール球が来づらい。
それなら敢えてファースト側へのバントの方が成功率が高いと思ったのだ。
その狙い通りのボールが来て、かのんはファーストへ捕らせるバントを行った。
かのんの頭の良さだから分かると思い、ファーストのどこに転がしたらいいかまでは指示しなかった。
ファーストへのセーフティバントはライン際に転がす必要はない。
ライン際だと捕ってすぐさまタッチされる可能性が高いからだ。
最高なのは強めにバントして、ピッチャーか捕れず、セカンドもファーストのどちらでも捕れるようなコースへのバントが出来ればいい。
それはツーストライクで追い込まれて、しかも足を警戒されながらやって出来るようなバントではない。
ファースト側にいいバントをしたが、これはファーストが処理するバントになった。
ファーストの佐賀さんは俺が思っていたよりも、かのんのセーフティバントにいい反応をしていた。
打球に少し遅れて、猛然と一塁へ全力疾走してくるかのんに負けないくらいに、佐賀さんのチャージも鬼気迫るものがあった。
佐賀さんがかのんの転がしたボールを捕って、結衣が一塁ベースにカバーに走っているの分かっていただろうが、トスするとなると背後にトスすることになるので、難易度は一気に跳ね上がる。
ボールを捕った瞬間はまだかのんがすぐ側を走っていた。
なんの躊躇もなく、かのんのいる方向へ体勢を変えた。
佐賀さんは一歩、二歩と走った。
グラブをつけている左手でタッチしようと頭から必死に飛びついた。
かのんは佐賀さんが必死に飛びついて来ているのが分かっていた。
反則にならない程度に一塁ファール側に進路を変えながら、佐賀さんのタッチを避けながら少し無理な体勢で一塁ベースへ滑り込んでいった。
かのんは左手でファーストベースにタッチして、スライディングの勢いでそのまま前転して派手に転んでしまった。
ファーストの佐賀さんもタッチをしに行って、顔を地面に擦ったのか顔の左側が土で汚れていた。
「セーフだあっ!!!」
「タッチした!!」
どちらも審判へ反射的に必死にアピールしていた。
俺の位置からでは佐賀さんがかのんの左腕をギリギリでタッチしようにも見えるし、かのんが寸前でタッチを掻い潜ったようにも見えた。
「どっちだ…?」