勇気!
夏実は運悪く2番からという打順での登板になった。
注目すべきバッターとの対決は避けて通れないだろう。
逆にいえば、その対決だけでも最低限の失点で切り抜ければいいのだ。
2人に1人打たれたとしても、最悪2点くらいで抑えられる。
要は考えようだ。
どうせ打たれるなら打たれてしまうくらいに投げればいい。
どんなバッターでも打てない時は打てないし、考えても仕方ないと思ったら全力で投げれば案外抑えられる。
夏実の顔を見ていると、そんなことを考えている顔ではなさそうだった。
明らかに緊張している夏実の後ろを守っている選手たちは、とりあえず声を掛け続けていた。
「夏実ー!打たせろいー!」
「点差あるからストライク先行でね!」
夏実の初球は緊張しているとは思えないほど、アウトコース低めギリギリにストレートを投げ込んだ。
まずはワンストライクを取ると、ホッとした表情で柳生からのボールを受け取っていた。
投球後の癖なのか、後ろを振り返って守ってる選手たちのことを眺めている。
ボールを受け取ってからの流れなので、時間をかけている訳では無いが、チームメイトのことが本能的にきになるんだろう。
そういう姿を見ていると、チームメイト思いなんだなと思う反面、今は自分のことに集中してもいいんじゃないかとも思う。
ー夏実視点ー
とりあえずワンストライクは取れた。
まだドキドキしてるけど、コントロールはちゃんと出来てる。
そういえば愛衣ちゃんに受けてもらうの2回目だったかな?
いつもは皐月ちゃんが私の球を受けてくれてるし、愛衣ちゃんはピッチャーとは言えない私の球を受けたくないと思う。
だからって愛衣ちゃんのことを悪く思ったりはしてない。
レギュラーとして効率よく練習するなら、西さんとか詩音先輩とかのボールを受けた方が練習になるし。
中学から私のボールを受けてた皐月ちゃんじゃなくて、愛衣ちゃんにキャッチャーを代えたのには理由があると思う。
私達がバッテリーを組んだことがないのを東奈くんが分かっていて、わざとこの組み合わせにしてどうするかを見ようとしているんだ。
2球目のサインはまたアウトコースのストレート。
さっきと同じコースに投げれば長打はないと思っての要求なのかな?
私は速い球を投げられないし、少しだけコントロールがいいだけで、スローカーブとへっぽこスライダーしか投げられない。
でも東奈くんはいつも私のピッチングを見て同じことを言う。
自分を信じろ。
こんなボールしか投げられないのに、何を信じたらいいか分からないけど、今は自己暗示でもなんでもいいからエースになった気持ちになるしかない!
「ストライク!!ストライクツー!」
2球目もさっきとほぼ同じコースに投げ込んだ。
同じコース、同じ球種でも見送ってきた。
狙えば打てるはずなのに、打たずに見送って私の俄然有利なカウントになった。
とにかく考えないといけない。
東奈くんの言ってきたことを、これまで一切疑うことなく妄信的にやってきた。
自分を助けてくれるのは経験と身体能力だけではなく、野球頭脳と閃きも自分の力に変えてくれる。
2番の大島さんはここまでレフトフライと三振。
レフトフライはストレートを打ち損じて、定位置よりも前の力の無い打球だった。
三振はスプリットに為す術なく空振り三振といった感じだった。
西さんと皐月ちゃんはストレート勝負する時はインコースにズバズバ投げていた。
今投げた感じ、アウトコースは広くとってくれているし、あくまでアウトコースで勝負するのがいいかもしれない。
サインもアウトコースのカーブ。
とにかくカーブは曲げるイメージじゃなくて、親指と人差し指の間から抜きながら腕を振る。
私の手から放たれたカーブは弧を描くような軌道で、愛衣ちゃんのミットへ吸い込まれていく。
カキィィーン!
80km/hのカーブで空振りを取れるとは思っていない。
アウトコースに投げられたカーブは普通なら、逆方向からセンター方向に弾き返してくる。
大島さんはアウトコースのカーブをやや強引に引っ張ってきた。
「桔梗!!」
今サードを守っているのは桔梗なのだ。
少々強い当たりを打たれても、守備の上手い桔梗なら大丈夫なはず。
三遊間の当たりを桔梗が当たり前のようにキャッチして、そのままの流れでファーストへ送球してワンアウト。
「桔梗いいよー!ナイスナイス!」
「ワンアウトー!」
桔梗は私の声掛けに軽く反応するだけで、内野陣に声掛けをしながら、気持ちを切り替えて次のプレーに備えている。
プレーでチームを引っ張っていく桔梗のスタイルは今の私では絶対に真似出来ない。
けど、私は桔梗になる必要は無い。
自分が出来ることをやっていくしかない。
そして、この試合白星高校にとって緊張する場面がやってきた。
4番柊さんと5番の宮根さんはよく知っている。
2人とも私がいたチームの近くで、何回か試合したこともある。
私も1回だけ投げたことがあって、その時は通用する訳もなくストレートを簡単にヒットにされた。
多分、彼女たちは私の事なんて覚えてない。
レギュラーとベンチを往復していた私のことを覚えている方が難しい。
皐月ちゃんのことは覚えていると思う。
キャッチャーとしてではなく、球の速いピッチャーとして結構有名だったから。
よくないと思いながらも、3番の及川さん達と勝負して打ち取れるビジョンがどうしても湧かない。
愛衣ちゃんもどんな組み立てをしながら、サインを出すかをかなり考えているようだった。
ここも様子見のアウトコースへのストレート。
長打を打たれたくないなら、出来るだけ外に外にという基本中の基本を信じて投げるしかない。
「あっ。」
アウトコースには投げれたけど、ボールがやや高めになってしまい、アウトコースを完全に狙われていた。
アウトコースのボールをまた引っ張られ、右中間を真っ二つに破られる長打コース。
やっぱり打たれたと思いながらも、しっかりとカバーの位置まで走っていく。
及川さんはセカンドに滑り込むことなく悠々と二塁へ到達。
「夏実。逃げちゃダメ。」
「え?」
「勝負する気持ちを感じられないよ。柳生に従うのはいいけど、自分の意思がないボールなんて簡単に打たれる。」
「…そうだよね。桔梗ありがとっ!」
「うん。頑張って。」
三塁へのカバーに行った帰りに、桔梗からこんな檄を飛ばされるとは思わなかった。
でも、そうなのかもしれない。
打たれると思って投げるボールと、打たれないと思って投げるボールは違う。
ほんの少しだけでもボールに力が入れば、その分打ち取れるかもしれない。
気の持ちようかもしれないけど、折角桔梗にアドバイスをしてもらったんだから、気合い入れて投げよう。
投げてて思ったことがあった。
いくら私のストレートが速くないとはいえ、アウトコースギリギリのボールを引っ張る必要はないはず。
もしかして西さんのストレートのせい?
バッターが対応しきれてないとすれば、私が投げないといけないのはインコースなのでは?
4番の柊さんには1発があるから、インコースは出来れば投げたくはない。
多分、愛衣ちゃんもインコースは要求してこずにアウトコース要求だと思う。
サインに首を振ってインコースに投げて、もし打たれたでもしたら…。
『絶対にインコースはやばい。けど、私の直感がインコースに投げろって言ってる気がする。』
愛衣ちゃんはアウトコースのカーブを要求してきた。
一瞬頷きかけたけど、勇気を持って横に首を振った。
アウトコースのストレート要求に変わったけど、私の投げたいボールはそれでは無い。
愛衣ちゃん少しだけ何かを考えて、出てきたサインはインコースのストレート。
サインが変わらない内に食い気味に頭を縦に振った。
柊さんの膝元にどっしりとキャッチャーミットを構えていた。
投げミスは許されない。
ここまで来てビビってど真ん中に投げて打たれるのが1番寒い。
『打てるもんなら打ってみろ!』
私の投げたボールは愛衣ちゃんの構えるミットへ。
ビビることなくキャッチャーミットへストレートを投げ込んだ。
「ストライクー!」
柊さんは私から見てもかなり踏み込んできていた。
アウトコースを狙われていた。
流石に踏み込んできた柊さんは、インコースの厳しいボールは見逃してきた。
愛衣ちゃんはこの踏み込みを見て、インコースのやや高めのボールを要求してきた。
キャッチャーがインコース投げてこいと言うなら、私は迷わずインコースに投げる。
柊さんはインコースやや高めのストレートを強振してきた。
思ったよりも捉えられてはいたけど、打球は大きくライトのファール側に切れて行った。
やっぱりそうだ。
西さんのストレートに合わそうとタイミングの取り方を変えて、私のストレートのスピードに合わせきれていない。
ならこのボールなら抑えられるかもしれない。
私が唯一自信を持って投げられるスローカーブ。
アウトコース低め付近にスローカーブを投げ込んだ。
コースは完璧ではなかったけど、しっかりと低めにはコントロール出来ている。
カキィィーン!!
80km/h前後の遅いカーブにタイミングを合わせてスイングしてきた。
それでもバッターは始動が早かったので、完璧なスイングが出来なかった。
「花ちゃん!捕れる!」
強い打球はセカンドの花ちゃんの元へ。
打球に臆することなく最後までボールを見て、しっかりと捕球した。
二塁ランナーはサードに向かっていたが、確実にファーストへ投げてアウトを取った。
柊さんをどうにか抑えてツーアウト三塁までやってきた。
ここまで来れば0点で抑えてベンチに戻りたい。
ここまで無欲だったのに、早くバッターを抑えてしまいたいと思ってしまった。
その投げ急ぎのせいで、宮根さんのことを大した分析もせずに強気にインコースを攻めようとした。
初球のインコースを狙われて、守備の上手い桔梗とかのんでも捕れない、三遊間を破るヒットを打たれてしまった。
6-1。
1点を入れられてやっと思い出した。
無失点で終えれるのが1番いい結果だけど、まずは試合に勝つことが先決だ。
気を引き締めて、続く6番にはスローカーブを使ってファールでカウントを稼ぐと、最後にインコースギリギリのストレートを投げ切った。
「ストライク!バッターアウトォ!!」
「よしっ!!」
審判のストライクコールをしっかりと聞き終えてから、走ってベンチへ戻った。
公式戦初マウンドで初三振を取った嬉しさで、自然とガッツポーズをしてしまっていた。
「ナイスピッチ。次の回もよろしくね。」
「ありがと!桔梗もナイスキャッチだったよ!」
他のチームメイトにも1失点したとは思えないくらいに歓迎された。
みんなが笑って迎えてくれて、改めて一安心することが出来た。
「宮根さんのところを投げ急いだね。けど、それを踏まえてもよく首を振ったし、よく投げたね。次の回が来ればもう1イニング頑張って。」
「うん。次は焦らずにしっかりと最後まで気をつけるね!」
東奈くんには私が投げ急いだことはバレバレだったみたいだ。
それでもよくやったと褒められたので、顔には出さないようにして、心の中で大喜びすることにした。
6回裏の攻撃は9番の凛から始まって、かのん、そして、私に回ってくる打順だった。
次の回も投げるということは今日は最後まで試合に出られる。
試合に出れることが嬉しいが、やっぱり最後までグランドに立っていたいという気持ちが大きい。
ー龍視点ー
夏実は6回の厳しい打順でも1失点に抑えてきた。
俺の予想だと多くて3点は取られるかもと思っていたので、最小失点にまとめてきたと言ってもいいだろう。
相手は夏実から一点しか取れなかったのと、次の回は7.8.9番と5点を取るにはかなり厳しい打順からになるので、諦めてはいないだろうけど、もうほぼ虫の息だった。
6回裏の先頭バッターの凛はストレートを打ち損じてショートゴロ。
かのんはインコースに曲がってくるスライダーを引っ張って、ライト前ヒットで出塁する。
夏実は打席でじっとして、かのんがスタートをするのを待っていた。
かのんには珍しく3球目にスタートを切って、余裕で2塁盗塁を決めた。
夏実はかのんが2塁に行くと、自らバントをしにいって1球ファールにした。
俺はわざわざツーアウトにする必要ないと思ったので、バントじゃなくて打てのサインを出した。
夏実は打っていいの?という顔をしていたが、自分でヒットを打って点を入れられれば、次の回が楽になることをわかっていなそうだった。
自分を楽にするという意識がなかったおかげか、無心で振り抜いたバットは快音を残して打球はライト前に抜けていった。
二塁ランナーのかのんは三塁コーチをあっさり無視して、ホームに突っ込んできた。
送球が少しだけ逸れたおかけで、かのんは間一髪セーフになった。
「こらー!かのん!止めただろー!」
三塁のランナーコーチをしていた美咲が、かのんに対してかなり怒っていたが、かのんはそれさえも無視してベンチに戻ってきた。
「かの…。」
「セーフになるって自信があったの!ちゃんとセーフになったんだし、いいじゃん!!」
俺が注意しようとする前にかのんが逆ギレしてきた。
別にそこまで怒ろうとは思ってなかったので、逆に俺の方がシュンとしてしまった。
「ランナーの判断だから別にいいけど、美咲には無視したことをちゃんと謝らないとダメだからね。美咲のストップという判断も尊重しないとダメ。」
「んー…。確かに。わかった!ちゃんと後で謝っておくねん!」
いつも軽い返事だが、慣れてくるとちゃんと聞いてるのか聞いていないのか分かってくるようになった。
これはしっかりと理解した返事なはずだ。
ここまで一切及川さんを苦にしていない氷は、ここもボール球のストレートを軽打してセンター前にぽとりと落とした。
ワンアウト1.2塁で、チャンスに強い月成だったが、点差があるせいなのかいつもと変わらない様子だった。
上手くスライダーを拾い上げたが、センターフライに倒れた。
この大会初めてのバッターボックスに柳生が向かっていった。
「愛衣ー!サヨナラ決めちゃえ!」
バックネット裏から、柳生を応援する声が聞こえた。
その声が誰かは分からなかったが、柳生の嫌そうな顔を見るに、多分姉の結衣だろう。
嫌そうな顔をしながらバッターボックスに入って、背番号2番を付けている柳生に及川さん達は少し警戒をしていた。
桔梗も背番号3をつけているし、背番号6の美咲もまだ試合に出ていない。
相手からすれば、レギュラーを使ってきてないと思うだろう。
そんな思考があったかどうかは分からないが、初球の様子見のアウトコースのボール球のストレートを柳生は強引に打ちに行った。
「えっ!」
まさか打たれるとは思っていなかったのか、及川さんから思わず声が漏れてしまっていた。
打球はサードの頭上を越え、レフトが懸命に前に走って柳生の打球に飛びついてきた。
レフトの必死の飛び込みも、後50cmくらいの所で打球がワンバウンドした。
二塁ランナーの夏実がホームを駆け抜けて、8-1となりコールド勝ちになった。
夏実はその事を忘れていたのか、ベンチから出てくる選手に戸惑いを見せていた。
「ほら、キャプテン早く整列するよー。」
「え?ええ?」
「コールド勝ちなの忘れた?あんだけさっきまで祈ってたくせに。」
「あぁ!そうだった!みんな早く整列するよー!」
「「はーい。」」
ドタバタしている夏実の声掛けにみんな笑いながら、返事をしてホームに整列していた。
夏実は恥ずかしそうに先頭に立ち、相手のキャプテンの宮根さんと握手をした。
「「ありがとうございました!!」」
小濠高校 1ー8✕ 白星高校
試合結果
結果 打安本点得四死盗犠
四条 421120010
江波 320121000
時任 430010000
月成 410010000
七瀬 320210000
西梨花100011100
円城寺210000000
青島 310200000
奈良原200000000
途中交代
結果 打安本点得四死盗犠
王寺 100000000
市ヶ谷000000000
花田 000000000
柳生 110100000
橘桔梗110100000
投手成績
結果回安振四死失責 球数
西梨5262000 70球
江波1210011 17球