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きらきら

作者: 結原華凜


 女のコの太腿を見ると、少しせつない気持ちになる。

いつだったか、卒業前の寒い日だった。私たちは教室で座っていて、息で温めた手をむき出しの腿にあてながら「あったかい」なんてやっていて。

――もうこの子のこんな所をこの手で触れることはないんだろうな。

突然そんなことを思った。互いの足を擦る手が、半年後に会うときには、もしかしたら、違う誰かとつながっているかもしれない。私たちは今日のことなんか忘れてて、ひらひらっと空いてるほうの手を振ってすれ違うんだ。そんなことが現実に起こりうる、と気づいて、私の胸はきゅっと縮んだ。

 親の感傷なんか知らずに、娘はさっきからスカート丈の調整に必死だ。

「ねえ、後ろから見たらこのくらいでいいんだけど、前から見ると少し長いんだあ。どうしたらいいと思う?」

「じゃあ前だけ切れば? 早くしないと、ママたち追いついちゃうよ」

「やめて! お父さんと一緒には行かない!」

 娘は暴言を吐きながらばたばたと家を出た。スカート丈は、長めに落ち着いたようだ。

 リビングに戻ると、夫はもうすっかり仕度を整えて、テレビを見ながら待っていた。近ごろ、また少し丸くなった気がする。

 私が顔のパックをしてる間、分け目に目立ち始めた白髪を抜いてもらった。「まりちゃんの仕度が遅いのはママ譲り」なんて言うから、眉間に皺が寄ってしまった。

「もう高校生かあ。あんなに小さかったのに」

「やだ、オジサンみたいなこと言わないでよ。一コしか違わないのにパパのほうがだいぶ老けて見えるのって、絶対そういうとこのせいだと思う」

「そうかなあ。ママも最近、しわ増えたよ」

いつもより丁寧に化粧して、私達も家を出た。


 学校への道すがら、話題は自然と高校時代のことになった。運動会に、文化祭。口ベタな夫はあまり多くを語らなかったけれど、少し高めの声やことばが途切れたときの顔から、そのまぶしさは伝わってきた。

 大人はみんな、そういうきらきらを持ってる。それは綿あめみたいで、なんだか得体が知れなくて、だけど、ちゃんと「ある」もの。

「ママは?」と訊かれて少し黙った。ちょっと困るな。だって何が一番なつかしいって、それが意外なことに、なんでもない休み時間なのだ。

 あまり自分の教室にいることがなかった。廊下に出て、向こうから友達が歩いてくると、ときどき、走ってタックルした。

「ちょ、おま、いーたいって」

「麻衣子さん、麻衣子さあん!」

 抱きとめてくれたその腕を、ぱたぱたっと叩く。月曜なんかは、特に激しくなった。

「はいはい。あっ、今ね、あんたんとこ行こうとしてたんだ。はい、こないだ借りたやつ」

 黄色いビニール袋に包まれて、本が戻ってくる。何度も行き来するうち、袋にはだんだん皺が寄っていって、それが、妙に嬉しかった。

「おおー、どうだったどうだった?」

「いや、よかったあ。も、ラストの追いかけるとこ、ねっ!」

「ね! ……ね!」

 ことばが出てこなくて、代わりに握った手を激しく振り回す。すると麻衣子さんも、大人びた顔をくしゃっとさせて笑うのだった。

「なになに、何の話してんのー?」

「あ、ジュンだっ」

 とてとて、とヒヨコみたいに歩いてくる。早めのお昼を食べていたのか、片手にパンを持っていた。

「一口もらうー」

 麻衣子さんはひょいっと腕を伸ばしたが、中の具材がまだ出てこないのを見て、ひっこめた。

「あのね、会田美咲のね、新刊! もーおね、あのね、とにかくいいんだ!」

「まじでジュンも読んだほうがいい、ほんとっ」

 興奮して上ずった声。ジュンはパンを飲み込んで、ふっ、と鼻で笑った。呆れたように笑いながらもやさしい目をしてて。そういうジュンを見ると、つい抱きつきたくなった。

「わーかった、わーかったから。ちょっと落ち着きなさいヨあなたたち」

 ちっちゃな体で、かわいい声で。なのにどこか母親っぽい包容力があった。

「それ貸してネ。あっ、もー、せっかく中身でてきたとこなのに」

 麻衣子さんは満足そうな顔をして、もぐもぐと口を動かしていた。

 すごく楽しかった。特に何かがあるってわけじゃなくっても、なんとなく集まって、ちょっとゴキゲンになって。休み時間が終わるたび、まだ足りないまだ足りない、と、次の休みが待ち遠しかった。毎日会うくせに話すことは尽きず、なんでもないことで笑って、くだらないことではしゃいだ。そんな毎日が、たまらなくいとおしかった。


 校門を入ると、バルコニーには生徒たちがはしゃいでいた。あの感じは、新入生ではないだろう。二年生か、三年生か。

「ねえ、パパ?」

「ん?」

 横を向くと、弛みはじめた夫の顎が目に入る。伝わったかしら、あの、まぶしい感じ。

「いい友達ができるといいね」

「……うん」

 彼は微笑みを浮かべて生徒たちを眺めていた。変質者に見えるわよ、とは言わないで、代わりに半歩、近づいた。まだ思い出に浸っているのかふわふわしてて、私は、ちょっと妬けた。うん、仕方ない。ほとんどあれは、恋だものね。

 強い風が吹いて花びらが舞った。青空にピンクの斑模様。入学式が、もうすぐ始まる。



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