巫女の守護者 仙痛命酔5
更衣室で羽黒は道着と防具を脱ぎ、制服にと着替えた。本来であれば、この後授業を受ける予定ではあったが紀子に渡された本を早く読んでみたいとの好奇心の方が勝ってしまった。そのためなのか、授業をすっぽかして大学にある図書館から古文の参考本をいくつか借り、カバンに詰めた。その後、大学を出てバイクや車で数分のところにあるテラス付きのカフェへとバイクを走らせた。
カフェに着くと羽黒は風通しの良いテラス席を選び、夏の風にあたりながら本を読むことにした。
本に書いてある文字は本の見た目通り古い字であった。それでもなんとなくではあるが読み解くことはできる。だが、それでもなんとなくだ。途中で読み解くのが難しくなり、仕方なく古文の参考本をカバンから取り出して解析することにした。
解析し始めて約一時間半であった。やっとのおもいで一文を読み解くことが出来た。文字の執筆もそうであったが、やはり字が滲んで読みにくかった。そして、やっとの思いで読み解いたその内容に羽黒はがっかりした。その内容がこれだ。
『一は形、二は構え、三は攻、四は固、五は一であり全』
これから分かるように、今羽黒が訳したのは流派の始めの言葉のようなもので、肝心の技のことではなかった。それに、文自体がとても基礎的であり、どこの流派でもありそうな言葉であったからだ。
「授業すっぽかして何を読んでいるのかな」
羽黒が声の主の方にと顔を上げ向けるとそこには真頼がそこにはいた。どうやら真頼は羽黒が教授があったことを知っていたのか、授業をさぼっていることを指摘してきた。
「この本だよ。母さんが渡してくれてさ」
羽黒は別段と指摘されたことなど気にした素振りなど見せず、解析していた本を真頼にと渡した。真頼はそれを受け取ると表紙を見て呟いた。
「ふむふむ『天城流動書』って読むのかしら?」
「真頼姉ちゃん、もしかして読めるの・・・」
まさかの解読に羽黒は面食らったかのように、驚きを隠せない表情で言った。それに対して真頼はペラペラとページをめくり、中の内容を確認するかのようにして言った。
「なんとなくはだけど。でも、内容は難しそうね。いつ頃の時代の書物?」
「よくは分からないけど、多分江戸時代の物では無いよ」
「それって、やっぱり文法とか?それとも言葉遣いとか?」
羽黒は少し考えてから「両方とも」と言い真頼から本を受け取った。
「真頼姉ちゃんは天城流って言うのかな?知ってる?」
「どうだろう。聞いたこともないし耳にしたこともないわ」
自分でも知らない剣術、流派だ。それに、真頼も知らないということはそうそう知っている人も少なそうだ。
「やっぱりな。それよりさ、巫女の守護者について母さんに言ったでしょ?」
羽黒のその一言で、真頼の顔は少し気まずそうな顔をし、下を俯いた。その様子はすぐにでも羽黒にと伝わった。
「別に責めているわけじゃないんだ。ただ、やっぱり母さんには言わないでほしかっただけなんだ」
「どうして?」
羽黒は一呼吸を置いた後に真頼の表情をうかがい事を切り出した。
「母さんには、やっぱり心配事とかさせたくないからさ。年に数回しか家に戻ってこないけど、実の母親だからさ」
羽黒の母である紀子はCEOであり仕事が貿易会社なだけあり、海外への出張は珍しくなかった。そのため一度出張すると暫く帰ってこないのは当たり前であった。羽黒は幼いころは、自分の息子のことなどお構いなく仕事をする酷い親だと思っていたが、今は違った。母は息子のことを思って辛い仕事をしているのだと。そう思うと幼いころの自分に無性に腹が立って仕方がなかった。
「真頼姉ちゃん、確認だけどこの話は小夜威さんには言ってないよね?」
真頼は急に話の話題が変わったことに戸惑ったのか、少しの間を置き、考えて言った。
「ええ、言ってないけど。なんでそこで小夜威のおじいさんが出てくるの?」
「前に言っていたじゃないか、小夜威さんって巫女の守護者なんだろう。もしかしたら小夜威さんのところの信仰が抑止力団体と何らかの繋がりがあるかもしれないからさ」
「抑止力団体って、美琴ちゃんを狙っているって言う団体のことよね」
真頼は羽黒にと確認を取るようにして言った。
「うん。でも正確に言うと命を狙っているが正しいけど」
美琴の命が抑止力団体に狙われていることは詳しくは分からない。それでもだ、羽黒には唯一分かることがある。それは、抑止力団体はとても強いということだ。あの時はたまたま退いて行ったが、明らかに今の羽黒では勝てないことが断然と分かる。それはあの科学者、ベアリーヌ、メガロヴァニア教授にも言えることだ。
「何かあったらちゃんと言いなさいよ。私はそろそろ講座が始まっちゃうから、じゃあね」
そう真頼は羽黒にと手を振り、カフェのテラスを後にして行った。羽黒は再び書物を読み解くことにした。
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洒落た建物でいかにも高級そうな内装の洋食屋には紀子と文鳥亭が食事をする様子があった。紀子はフォークでハンバーグを食べており、一方の文鳥亭は洋食屋にも関わらず、着物姿で、それでいて箸を使い紀子同様にハンバーグを食べていた。
「それにしてもあんなんでよかったんですか、紀子さん?」
「あんなんって、どう言うことかしら」
文鳥亭はそれを聞いて呆れたのか、ため息をついて言った。
「息子さん、羽黒さんですよ。あんなキツイこと言っちゃって、自分ビックリしましたよ。それに、あの本、翻訳してないんでしょ」
「別に、羽黒にはまた会いに行くからいいの。それに、文鳥亭さん、あなたの流派も天城流なのだったのだから教えたら良かったのでは?」
「確かにその手もありましたね。でも、いくら天城流を使っていた私でも三の型までなら完全に使えますが、それ以降はさっぱりです。そもそも、天城流は一から四の型は普通の人でもできるにはでるんですよ。ですが、五の型からはどんなに修行をしたり工夫してもできないんですよ。そもそも、天城流をほぼ完全に使えた貴女の夫は何者なんですか?」
それを聞くと紀子はハンバーグと一緒に注文していたコーヒーを一口飲み、思い出に更けるように言った。
何者、ただの剣道にと身を捧げた自分の配偶者だ。それだけで説明は事足りた。そのはずなのに自分はついついお話屋さんのようだ。
「そうね、和徳さんのおじさんは守護者をやっていたって前に話してくれたわ。それだからかしら?和徳さんはちょくちょくとおじさんに技を教えてもらっていたらしいわよ。それが、天城流だったみたいだけど」
「守護者、それって巫女を守る仕事ですか?」
文鳥亭の確認に紀子は頷き、再びコーヒーを飲んだ。
どうやら黒坂家は巫女などに古くから関係しているのだと文鳥亭はこの時理解した。その因果、又は運命なのか、羽黒もまた守護者としての道を歩くのであれば一種の呪いではないかとも思えなくもない。
「だからあんな事を言ったんですか?それにしても天城流ですか、やっぱり自分の家系とも無関係ではないんじゃないんですか。教えてくださいよ、紀子さん」
「え、もう答えは言ってるじゃない。文鳥亭さん、あなたの趣味は山登りでしょ」
自身の趣味である山登り、その言葉で何かに気付いたかのようにとある文字が頭に過った。天城流、天城山。もしこれらにルーツがあればそれであった。
「山ですか・・・あ、ひょっとして天城山ですか。それだったらうちの家系の故郷ですよ」
紀子は気が付くのが遅い文鳥亭を見て「その通り」と言わんばかりの笑みで言った。
「そう。天城流はその名の通り天城山で発祥したの。それが巫女の守護者と関係があるかは謎だけどね」
そう言われると何とも言えないため、文鳥亭は苦笑いを浮かべコップに入った水を飲み、再び箸を動かしてハンバーグを食べ始めた。
もしも天城流を完全に修得できるようになればいつか羽黒は和徳を超えるのではないかと紀子は思った。確かに今の羽黒は和徳には足元にも及ばない。だが、それと同時にまだ強くなれるということだ。和徳が強かった理由は天城流を使っていたからでもある。しかし、和徳は天城流の心臓部とも言える核心的な業である呼吸方法は全く分からず、最終的に自己流でカバーしていたらしい。なんでも天城流動書、羽黒に渡した書物は途中までしか残っておらず、残りは好意的だと思われる破られた跡があり、完全に読み解くことができない。そして、天城流は門外不出の一子相伝のため、国を頼るにも頼れず、仕方なく不完全のまま羽黒に渡したのだ。
ではなぜ、一子相伝の天城流にも関わらず、文鳥亭が知っているのか。それには理由があった。なんでも昭和前期頃から天城流の後継者は二人の兄弟弟子しかおらず、その弟の方が文鳥亭の家、烏丸家であり、兄の方が黒坂家らしい。そのため、天城流は今では黒坂家と烏丸家の者が天城流を受け継ぐと言う形になっているのである。兄弟弟子だったという関係のため、今でもこうして黒坂家は烏丸家とは交流があるのであった。
「文鳥亭さんの力で何とかならないの?あなたの父さんも使っていたのでしょ?」
「え?あぁ、天城流のことですか。そうですね、いちよう父さんに聞きはしましたが父さんも呼吸方法は知らないそうですが」
「呼吸方法は、ってことは何かを知ってるのね。教えてもらえないかしら?」
文鳥亭の意味ありげなその言葉に紀子は少し食い気味にとなった。今後の為にも、羽黒の為にも些細な情報でも欲しい。
「いいですよ。もとよりそのつもりでしたから」
すると文鳥亭は自分の懐から小さなペンと紙を取り出し、何かを書いた後に紀子に差し出した。
「それが呼吸の名です。『六』を『りく』と読み桜を『おう』と読む、六桜の呼吸です。呼吸に名前を付けるとは、まるで直心影流みたいですね」
「阿吽の呼吸ね。でも、阿吽の呼吸以外にも名がついた呼吸はあるわよ。イクムスビの呼吸とかね。剣道ではどっちかというとこっちの方が使われると思うけど」
文鳥亭は紀子が意外にも剣道が詳しく、その知識に対して苦笑いを浮かべて言った。
「はははは、そうなんですか。にしてもなんなんですかね、やっぱカッコつけたいんですかね?わざわざ呼吸方法に名前なんか付けるなんて」
「流石にそれは違うと思うわよ。多分区別をつけるためだと思うわ。阿吽の呼吸やイクムスビの呼吸も基本は似ているけれど明らかに違うから」
呼吸方法、気にしてしている人はそこまでいないがとても重要なものでもある。呼吸方法一つで構えている刀、あるいは竹刀のブレなどがなくなることもある。他にも疲労度も変わってくる。そのため、人によっては呼吸方法を独自に作る人もいるくらいだ。
「そうなんですかね。自分はあくまで強くなりたくて剣道では無くて剣術の方を父から型だけを教えてもらいましたからそこらへんは詳しくは知らないんですよ」
「それだった文鳥亭さんも今から剣道をやり始めたらどうですか。今からでも充分間に合いますよ」
すると文鳥亭はコップの水をすすりながら「結構です」と言い再び食事をし始めた。