デブ②
放課後になった。
昼間のことを引きずったままのぼくは、肩を落としたまま教室を出る。
「はぁ……。
ぼくはなんてダメなやつなんだ」
深くため息をつく。
誰にも打ち明けたことはないのだけど、ぼくはてまりちゃんのことが好きだ。
彼女と出会ったのは高校に入ってからで、1年のときも同じクラスだった。
てまりちゃんはクラスのみんなにいじめられて、心が折れそうになっていたぼくを、いつも支えてくれた。
彼女だって同じようにいじめられている。
なのに彼女は、
「一緒にがんばろう」
「颯太くんは心の綺麗な優しいだって、わたしだけは知っているから」
そんな風に言って、ぼくを励ましてくれるのだ。
てまりちゃんが居なければ、ぼくはとっくに不登校になっていただろう。
そうなれば、女手ひとつでぼくを育ててくれた母さんを、どれだけ悲しませることになっていたか……。
てまりちゃんには感謝しても仕切れない。
それだって言うのにぼくは、彼女がクラスのみんながから悪口をぶつけるのを、黙ってみていることしか出来なかった。
「……くそっ!」
いつの間にかぼくは、ギュッと拳を握りしめていた。
手のひらに爪が食い込んで、皮膚が裂け、血が滲むくらい強く手を握りこむ。
「……変わりたい。
ぼくは、こんな弱虫の豚のままじゃダメなんだ。
てまりちゃんを守れるくらい、強くなりたい……!」
◇
帰宅部のぼくは、いつも放課後は家に直帰だ。
お腹の脂肪を揺らしながら、肥満による負荷で痛む膝を騙し騙しとぼとぼと家路を歩く。
「はぁ、はぁ……。
そ、颯太くん!
待って!」
背後から、誰かに声を掛けられた。
振り返るとそこには、てまりちゃんがいた。
息を切らせて肩を揺らしている。
「てまりちゃん……」
「はぁ、はぁ……。
ねぇ、颯太くん。
一緒に帰りましょう」
「う、うん。
あ、もしかして急いで歩いてきたの?」
バッグからスポーツタオルを取り出した。
「少し汗を掻いてるよ。
はい。
これ使って」
今日は使っていないそのタオルを、すっと彼女に差し出すと、てまりちゃんはちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめてから、受け取ったタオルで汗を拭った。
「……な、なんか恥ずかしいね。
ごめんね。
汗っかきで」
「謝ることなんてなにもないよ。
ぼくだって、よく汗を掻くから」
季節はまだ初夏だと言うのに、このところの日中の気温はもう30度を超えている。
ぼくやてまりちゃんみたいな肥満体だと、体温が身体にこもって余計に暑く感じるものだから、どうしても汗を掻いてしまうのだ。
◇
てまりちゃんと一緒に、西日の射す帰路を歩く。
昼間のことを引きずったままだったぼくは、なんとなく罪悪感を感じてしまって明るく振る舞えない。
けれども彼女は、にこにこと笑いながら、最近見たアニメの話や、飼っている猫の話なんかを楽しそうに振ってくる。
「それでねー。
うちのベルったら、後ろにおいてあった紐に驚いちゃって、ピョーンって垂直に飛び跳ねちゃったの!」
「は、ははは……。
そうなんだ。
……ふぅ」
なんとなく会話が途切れた。
というかこれも、きっと素っ気ない相槌しか打たないぼくのせいなんだろう。
「……ねぇ、颯太くん。
元気ないね」
「……ごめんね。
せっかくてまりちゃんが明るく話しかけてくれてるのに、ぼくはこんなで……」
「もしかして、お昼のことを気にしてるの?」
「……うん。
ぼくは、自分が情けなくってさ。
てまりちゃんが悪く言われてるのに、言い返すことも出来ないなんて……」
「なぁんだ。
そんなこと?」
「そ、そんなことって……!
大切なことだよ!
だって……。
だって、きみはぼくの大切な――」
ハッとする。
思わず勢いで告白を仕掛けてしまった。
てまりちゃんが驚いたみたいに目をぱちくりとさせて、ぼくを真っ直ぐに見つめてきた。
かと思うと少しだけ意地悪い顔になって、ぼくを揶揄ってくる。
「ふふぅん。
ねぇ、颯太くぅん。
いま、なにを言おうとしたのかなぁ?」
「な、なんでもないよ!」
「……言ってくれないの?
わたし、ずっと颯太くんの言葉を待ってるんだから」
「え、ええ⁉︎
なんのことかなぁ?」
もしかしててまりちゃんは、ぼくが彼女に恋をしていることを見抜いている⁈
ドキドキと高鳴り始めた鼓動を感じながら、ぼくはそれを誤魔化すみたいに、ふいっとそっぽを向いた。
「そ、それよりてまりちゃんこそ、今日は一緒に帰ろうだなんて、珍しいじゃないか。
どうかしたの?」
照れ隠しに話題を変える。
するともう少し揶揄われるかと思っていたのに、てまりちゃんはすんなりと逸らした話題に乗ってきた。
「……うん。
実はね。
わたし、颯太くんに伝えなきゃいけないことがあるの。
だから追いかけて来たんだぁ」
並んで歩いていた彼女が、ちょうど交差点の横断歩道を渡りきったところで足を止めた。
ぼくは5、6メートルほど歩いたところで、ようやくてまりちゃんが立ち止まっていることに気づいて、背中を振り返った。
そして、驚愕に目を見開く。
「ねぇ、颯太くん。
わたしじつは、もうすぐ転――」
傾き始めた太陽が、てまりちゃんを茜色に染めている。
その背後から、一台の乗用車が猛スピードで突っ込んできていた。
◇
「てまりちゃん!
うしろ!
くるま!」
形相を変えて叫ぶと、てまりちゃんが不思議そうな顔をしてから、ゆっくりと背後を振り返った。
そして暴走車に気付いた彼女が凍りつく。
「――くそっ!」
いつの間にか、ぼくは駆け出していた。
お腹に蓄えた贅肉がぶるぶると震える。
膝にいきなり強烈な負荷が掛かり、激痛となって襲い掛かってくる。
だが、それがどうした。
「て、てまりちゃんッ――!」
必死になって全身を動かす。
だというのに、ゆっくりとしか動かないこの身が恨めしい。
走れ!
走れ!
走れ!
いま全力で走らなければ、いつ走るというんだ!
無理やり動かした脚の筋肉が、ぶちぶちと音を立てて断絶した。
でも必死になったぼくは、もう痛みすら感じない。
絶対にてまりちゃんを助けるんだ。
たしかにぼくは、彼女が悪口を言われていても、なんにも言い返せず、結果的に彼女を見捨てたただの豚だ。
でも――
だからこそ――!
ぼくはもう、今度こそ、てまりちゃんを見捨てない!
◇
激しいクラクションの音が鳴り響く。
そのけたたましい音に、てまりちゃんの小さな悲鳴がかき消されるのを耳にしながら、ぼくはてまりちゃんを突き飛ばして、暴走車に跳ね飛ばされた。