バレンタイン特別短編 前編
「……おにいさん、少し調理場を借りてもいいですか?」
「ん? ああ、別にいいけど」
それはいつも通り、閑古鳥が大合唱する店内でのことだった。
アオが丈の合わないエプロンを身に着け、調理場へと入って来る。
その手には付箋がたくさん張り付けられた料理本と、業務用のチョコレートが握られている。
ああなるほど、もうそんな時期だったか。
「そっか、そろそろバレンタインだもんな。 今年こそ頑張れよ」
「ん゛……は、はい。 頑張ります」
食器を広げていたテーブルを少し片づけ、ついでに秤やボウル、泡だて器といったものを取り出して並べておく。
それと子供用のプラスチック包丁も、ただバレると「子ども扱いするな」と怒られるからそれとなく、取りやすい位置に置いておくのがコツだ。
「さて、今年は何を作るつもりだアオ? 手伝おうか?」
「秘密です、内緒です、不要です。 これは私が作ってこそ意味があるんですっ!」
「あはは、分かった分かった。 怪我だけは気を付けろよ」
ぷりぷり怒るアオに押しのけられ、調理場から追い出される。
昼時を過ぎた今は客足も途絶えている、暫くはアオが占領しても問題はないだろう。
――――――――…………
――――……
――…
「……ふーん、だから今日はサムライガールが調理場に立っている訳だネ」
「そうだよ、折角飯食いに来てくれたのに悪いね」
アオが調理場で作業を続けている間、がら空きのテーブルスペースの昼のニュースを眺めていると、常連であるコルトがやって来た。
作り置きしていたパンと付け合わせのジャムなどを添えて提供し、しばし2人だけの空間で駄弁る。
「んふー♪ このアップルジャムいいネ、トーストとよく合うヨ」
「生姜入れたんだ、紅茶に落としても美味いぞ」
「それもいいネ! サムライシェフガール、紅茶一丁!」
「自分でやってくださいよ、今分量計ってるんです!!」
調理場から飛んでくるアオの声は真剣そのものだ、つい水を差してしまったコルトも肩をすくめて見せる。
それにしても今回はいつも以上に気合いが入っているな、完成が楽しみだ。
「しっかしサムライガールも……いやちょっと待ってヨ、あの人の子供だけど彼女の腕前ってどうなのサ?」
「俺が居候する前に家事担当していたのは誰だと思う?」
つまりはそういうことだ、命が掛かれば人間大抵の事は出来る。
正直アオの技術は子供にしては異常なほどだ、一体何歳ごろから包丁を握ったのかは恐ろしくて聞いていない。
「俺が手放しで調理場任せてんだ、腕は保証するよ。 アオのチョコを口にする奴が羨ましいね」
「……ん? ちょっと待って、チョコはおにーさんが貰うんじゃないのカナ?」
「なんで俺なんだよ、あれだけ気合い入れてんだから好きな人に渡すもんだろ?」
「………………Ah゛ー……ちょっと今だけサムライガールに同情するヨ」
コルトがこれ見よがしなため息をつき、心なしかスマホの中の相棒も同調してため息を吐いた気がした。
何だお前ら、揃いも揃って
「というかそっか、バレンタインだネ。 おにーさんギブミーチョコレート」
「思い出したように強請るな、というかお前は渡す側だろ」
「さらにホワイトデーに3倍貰うヨ」
「太るぞ」
無言で脛を蹴られた。
流石魔法少女、蹴りの一つとってもかわいげのない威力だ。 思わず椅子から転げ落ちて悶える。
「ふーんだ、おにーさんなんかどこか行っちゃえヨ! バーカバーカ!」
「おま、お前なぁ……! ここはうちの店だぞ……!」
しかし子供に正論は通用しない、下手に刺激すれば二発三発目の蹴りが飛んできそうだ。
分が悪いな、仕方ない。 店前の看板を「準備中」にひっくり返し、俺は戦略的撤退を選んだ。
――――――――…………
――――……
――…
「……サムライガール、話を聞かせてもらうヨ」
「…………あうあうあうううぅぅ……!」
さっきまでの集中力はどこへやら、おにーさんの姿がなくなった瞬間、ボロボロと涙を流すサムライガールが調理場から現れる。
まったく、これがこの街を守る魔法少女「ラピリス」と同じ人間なのかと疑いたくなる有り様だ。
「Do Youことだヨお前ー! おにーさんにチョコ渡してないの!?」
「毎年なんです……毎年渡せていないんです……! うあああぁー……!」
同じ屋根の下で過ごしているならチャンスなんて幾らでもあるだろうに、もしや馬鹿なのだろうか。
恋なんて自分から動かなければすぐに横から掻っ攫われるなんて、今どき小学生でも知っているというのに。
「とにかく、何で渡していないんだヨ。 出来に問題があるわけでもなさそうだし」
「ええ、毎年出来は悪くないんですよ。 それなりのものは作っている自負はあります」
確かに、調理場から漂う匂いは実に香しいものだ。 決して彼女の母が創造する冒涜的な代物とは異なる甘い匂い。
だとしたら何故、渡す勇気がないとかそういった問題なのか?
「ですけど……毎年、おにいさんの味を超えられないんですよ……!」
「えぇ……」
話を聞けば、我らがおにーさんもこの時期になるとバレンタインレシピを組み上げ、出来上がったものを義理としてお世話になった人々に渡すらしい。(羨ましい)
当然サムライガールにも渡されるらしいが……
「レシピが被ったり、単純に味で劣っていたり、私の技術が至らなかったり……毎年、毎年おにいさんの腕を超えられないんですよ……!」
「出来とか気にせず渡しちゃえばいいんだヨ、きっとおにーさんも喜ぶと思うしネ」
「それじゃ私の気持ちが十分に伝わらない気がするんです!!」
「お前重いヨ……」
おそらく彼女の気持ちを受け止めるとしたら、キロ単位のチョコが必要なのではないだろうか。
そんなものを食わせられた日にはおにーさんの血糖値が心配になる。
「ですので今年は殊更に愛を込めて作りました。 そろそろ焼き上がりますし、良ければコルトも試食して意見を聞かせてください」
「血とか髪の毛とか混ざってないだろうナ……」
「失礼な、味が落ちるでしょう」
味が劣化しなければ迷わず仕込むんじゃなかろうか、しかし味見役とは役得だ。
ここは彼女の期待に応えてしっかりと批評しなければ、焼き上がりということは凝ったレシピなのだろう、楽しみだ。
「食べ尽くさないでくださいね、一つだけですよ。 分かってます?」
「もちのロンだヨ! さーてサムライガールはなーにを作ったのかなー♪」
口の端から零れた涎を拭い、訝しげな眼のサムライガールに連れられて調理場に入る。
するとそこには見事に焼き上がったケーキ生地……を、抱える猿の姿があった。
小脇に抱えたボウルに入っているのはチョコレートクリームだろうか。
「「…………はっ?」」
『ウキッ?』
私達の姿に気づいた猿が振り返る。
体長は私たちより一回り小さいだろうか? 全身を覆う白い毛に、赤ではなくチョコのような茶色に染まった尻が覗く。
はて、それにしても何でこんな所に猿が居るのだろう?
「……わ、私のチョコー!?」
『ウッキャー!!』
叫ぶサムライガールに驚き、猿が開け放たれた窓から飛び降りる。
思わず二人して固まってしまった、サムライガールの努力の結晶はみすみすと盗み出されてしまった。
「逃がすか、末代までその毛皮毟ってくれるッ!! 転刃ッ!!! コルトォ!!!」
「ひ、ヒィエッ! ススススSCRAMBLE!」
修羅と化したサムライガールに促され、怯えながらも変身を完了する。
サムライガールはというと猿が逃げた窓を蹴破り、迷うことなくその背を追いかける。
あれでも私が知る限り、最速を誇る魔法少女の追走だ。 サルが逃げ切れるとも思えない。
「……ちゃんと自分で謝りなヨー?」
もちろん、私も追いつくことはできないわけだが。
まあ彼女だけでも大丈夫だろう、私は割れた破片を片付けてからゆっくり追いかけるとしよう。




