ハッピー・バレンタイン
「ねえ、お皿ってこれでいいの?」
「ああ、そっちに並べておいてくれ。 つまみ食いはするなよ」
「わ、分かってるわよ!」
湯煎中のボウルをかき混ぜながら、後ろでパタパタ動くアシスタントへ指示を出す。
厨房の中は換気扇を回してもなお、甘ったるい匂いが充満していた。
「ったく、なんで故人の命日にチョコなんて送り合うのかしら……こっちの世界の風習はよく分からないわね」
「元々はチョコを売りたい大人たちの事情が絡んでいたらしい、まあみんな分かって楽しんでんだよ」
元々はある敬虔な司祭の冥福を祈る日だったらしいが、日本にとっては年に一度の愛を伝える行事でしかない。
恋愛、友愛、親愛、その他諸々をチョコレートに混ぜ込み、思い人へと渡すのだ。
「ふーん……ま、私には関係ない話ね。 あとオーブンそろそろ焼き上がるけど」
「ああ、焼き上がったら皿に移して粗熱を取っておいてくれ。 できるか?」
「バカにしないで、私はかんぺ…………なんでもない、出来るわよそのくらいっ」
「はいはい、火傷するなよ」
吹き出しそうな気持ちをこらえ、黒髪を揺らして拗ねるアシスタントへミトンを投げ渡す。
おそるおそるオーブンの蓋を開ける彼女をしり目に時計を確認すると、そろそろ17時を回ろうとしている所だった。
「少し急ぐぞ、アオたちが帰る前に間に合わせないとな」
「ええ、もうそんな時間? ……って、そもそもなんであんたがお菓子なんて作ってるのよ」
「時期と商戦に乗った日頃の労いだよ、戻ってきてから1年近く過ぎたしな」
材料も安くなるし都合がいいことには違いないが、バレンタインデーというのはただの口実だ。
あの戦いが終わって3年と10か月、長いことバタバタしていたせいで祝い事なんてする暇もなかったのだから。
「局長……いや、“元”局長か。 あの人には世話になったなぁ」
「私たち全員分の戸籍から何まで手配してくれたって話でしょ、何度も聞いたし感謝してるわよ」
戻ってきたところで元々“存在しなかったこと”になっていた人間と魔人だ、戸籍も保険も当然あるはずがない。
かつての記憶を持っていた元魔法局局長、槻波さんの協力が無ければ路頭に迷っていたはずだ。
「アオたちが大分無茶言ったらしいが……本当よく引き受けてくれたよ」
「ねえ、それよりこのスポンジどうするの? 大分冷めたわよ」
「おっと、そうだったそうだった」
粗熱が取れた生地をカッティングし、合間に果物と生クリームを塗り込んでいく。
三年分の空白でさび付いた手際もようやく勘を取り戻してきた、これならアオたちの帰宅に間に合いそうだ。
「……器用なもんね、本当に同じ刃物使ってるの?」
「なんならこっちの方が古い奴だぞ、ようは慣れだ慣れ」
「むぅ……」
横で彼女も果物のカットを手伝ってくれているが、サイズがいまいち不揃いだ。
とはいえ始めたばかりにしては十分筋が良い、このまま腐らずに成長すれば俺なんてきっとすぐに追い抜かされる。
……まあ、口に出したら調子に乗りそうだから褒めにくいが。
「よし、残りは上に飾って行くぞ。 やってみるか?」
「やめておくわ、見栄えが大事なんでしょ? あんたが仕上げた方が確実よ」
「店で売るわけでもないし気にするなって、それにちゃんと手伝ったって胸張って言える方がいいだろ?」
「…………まあ、そうだけど」
ぶつぶつと文句を垂れながらも作業へ取り掛かる姿は、根が真面目な彼女の性格が垣間見える。
文句だって殆ど照れ隠しだろう、俺の菓子作りを手伝うと言い出したのも善意だけではなく、自分で作ったものを渡したかったはずだから。
「……さて、そろそろ優子さん足止めするのも限界か」
俺たちが調理場を使っている間、万が一が無いようにあちらには二階での足止めを頼んでいたが、そろそろ優子さんも痺れを切らす頃合いだ。
ただ完成までもう少し時間を稼ぎたい、テーブルスペースのTVを点けて気を逸らしてもらおう。
一度調理場を抜けてリモコンを弄ると、ちょうど夕方のニュース番組が始まっていた。
『……東京では“災厄の日”を忘れないため、14年前の災害を記録した写真展が開かれ――――』
「………………」
この世界から魔力は消え、魔法は再びおとぎ話となった。
かつての事件はすべてただの「災害」だと上書きされ、誰の記憶にも残っていない……俺たちのような真相に触れた例外を除けば。
「ねえちょっと、これで合ってる!? 私だけじゃ不安なんだけど!」
「ああ、分かった分かった。 今戻るよ」
リモコンをテーブルの上に置き、ヘルプが叫ばれる調理場へと踵を返す。
するとそこえ丁度良く、背後の玄関からどたばたとにぎやかな足音が聞こえて来た。
「コーンニーチハー! 外からでも甘い匂いしてたからネ、なに作ってたのカナー!」
「コルトちゃん……最近体重が気になるって言ってたのに……」
「バカにつける薬はないぞ、ダイエットにはボクらも付き合わないからな」
「お兄さん、ただいま戻りました! もう、今日ぐらいは私たちに任せて座っててください!」
「悪い悪い、今調理場空けるからちょっと待っててくれよ」
学生カバンを手にした4人組に急かされて調理場へと戻る。
さてケーキの出来はというと、多少不ぞろいだが彩のバランスも申し分ない出来のものが皿の上に鎮座していた。
「おお、上出来上出来! 助かった、手伝ってくれてありがとうな」
「ふん、別にどうって事ないわよっ! ……それより、こういう菓子って女子から受け取るもんじゃないの?」
「何言ってんだ、受け取る相手なんかいないだろ」
「私が居るじゃないですかお兄さん、ちゃんと本命作りますから受け取ってくださいよ!!」
「蒼いのもああ言ってるけど?」
背後から飛んでくるジョークに聞こえなかったふりを貫き、切り分け用の包丁を添えたケーキを持って4人の元へ戻る。
そこで二階の防衛線も決壊したのか、優子さん達の足音も聞こえて来た。
「ヤッホー! これまた豪華な出来だネ、早く早く!」
「待ちなさいコルト、先に手洗いうがいです。 洗面所に向かいますよ」
「ほら、菓子は逃げないからはやく手洗ってこい。 そっちもお疲れさん、一緒に食おうぜ」
優子さんたちに声をかけ、テーブルに出来上がったケーキと取り皿を並べていく。
全員分取り分けるだけのサイズはあるはずだ、足りなければ余りの生地をまた焼けばいい。
「ああ、それと……」
そうだ、完成を急いで大事な事を一つ言い忘れていた。
「―――おかえり、皆」
ああ、幸せだ。
この何もない今日が、本当に幸せだ。




