雪野原にて ③
――――……きて……起き……
「う、うぅん……」
「きて……起きて、ラピリス!」
「うーん……へぶっ!? な、なんです!? 誰です!?」
痛烈なビンタで眠っていた意識が一瞬で起こされた。
寝ぼけた眼を擦ってみれば、横たわった私を見下ろしていたのは京都に戻ったはずのオーキスだった。
それに唸るようなエンジン音に背中から感じる振動、どうやら自分が車内で寝かされているらしい。
「や、やっと起きたぁ……状況は分かる?」
「お、オーキス……? 私は確か……そうだ、ブルームスターは!?」
「おはようラピリス! あんたを寝ている間にブルームは逃げちゃったわ。 今ロイが頑張って東北まで走らせてるから、舌噛まないでね」
「ドレッドハートも……そうか、私……」
前方の助手席に座っていたドレッドハートがこちらに振り返り、笑顔で手を振っていた。
窓の外に見える景色は高速で後方へと流れていく、目測でも当たり前のように法定速度は守っていないことが分かる。
「っ……すみません、私はどれだけ寝ていましたか?」
「東京の外で氷の壁に守られたあなたを拾ったのが30分ぐらい前だったかなぁ……風邪、引いてない?」
「ええ、問題ありません……」
大体の状況は察した、私を寝かしたのもブルームスターで間違いない。
意識があれば私は間違いなくブルームスターに縋りついていた、それを振り切るためにも強硬手段に出たのだろう。
そして東京近くに安置された私を回収するには、東京の魔力濃度にも慣れたオーキスが適任だ。
「今動ける魔法少女の殆どは東北に集まっているわ、これから魔物もうじゃうじゃ沸いて来るだろうからね。 私達はブルームが全力で戦えるために露払いをしなくちゃいけない」
「ブルームは……そこにいるんですね?」
「うん、だけど私たちが手を出せるような戦いにはならないわよ。 東京の外まであんたを送った時から肌で感じてるもの、アレはもう次元が違う」
「そんな事は……分かっています、でも……」
ドレッドハートですら察していたものを、より至近距離で相対した私が分からないはずがない。
以前に彼女を見た時よりも、ブルームスターの症状は悪化している。 無限に溢れる魔力と比べれば私の存在など塵同然だ。
そんなブルームスターと同等以上の存在が、全ての元凶であるンロギという敵だ。
「理屈で納得できるもんじゃない、よねぇ……分かるよ、私も同じだもん」
「オーキス……」
「朱音ちゃんが同じ状況だったら、私だってどんな無茶したか分からない。 だからあなたの行動を否定は出来ないなぁ」
「だったらどうする? 心配だからって無策じゃただの犬死よ?」
「それはねぇ、うーん……とりあえず着いてから考えよっか!」
「オーキス!?」
「その答え、気に入ったわ! 無理無茶無謀は魔法少女の特権よ!!」
「ドレッド!?」
長い直線に入ったのか、車体はよりアクセルを吹かしてさらなる加速に入る。
窓の外の景色はもはや目では追えず、現在位置もよく分からない。 目的地までの距離は後どれほどあるのだろうか。
「きっと答えなんてないのよ、なら誰かが言う論理よりあんたの直感を信じた方が後悔だってない。 命を懸ける覚悟は十分?」
「当然です!」
「じゃあ今から大幅なショートカット入るから覚悟してね」
「「え゛っ?」」
ドレッドハートの言葉とは裏腹に、今までかなりの速度で走り続けていた車体が減速を始める。
カーブを過ぎても再びアクセルペダルが踏み込まれることはなく、緩やかになってきた前方の景色に見えたのは……巨大なハンマーを構えた一人の魔法少女だ。
「あーあー、こちらドレッドハート。 無線の調子は非常に良好、やっちゃってくれていいわよ!」
『メーデーメーデー、こちらヴィーラ。 ほんじゃまヤっちゃうけど……本当にいいの?』
「ち、ちょちょちょちょっと待ってぇ……な、何する気かな?」
「ん? 人力カタパルト」
嫌な気配を察し、顔面を蒼く染めたオーキスの質問に対する答えは単純明快だった。
車両進行方向に待つヴィーラ、彼女の魔法を考えれば……私の中で叫び続ける虫の知らせの正体も自然と分かる。
「全員シートベルトは良いわね? それじゃ口閉じて耐衝撃姿勢!」
「「待って!!?」」
『それじゃあ全力でぇ――――――行ってらっしゃいッ!!』
私達の心の準備を待たずして、ドレッドハートの車は加速を始める。
あわやヴィーラと衝突するかと思われたその寸前、下からカチあげる様に振るわれたハンマーが、見事なタイミングと入射角で車体を打ち上げた。
決して快適とは言えぬ空の旅の中、私は到着の寸前まで目を覚ますのではなかったと心の底から後悔した。
――――――――…………
――――……
――…
地面から沸き立つ濃密な魔力の気配が嫌でも感じ取れる。
魔法陣を通し、向こうの世界から飽和した魔力が流れ込んできたのだ。
性質が悪いのは見た目じゃその変化が一切分からないこと。 感知に長けた魔法少女でもなければ気づいた瞬間にお陀仏だ。
「ネロ、なにか言いたい事はあるか?」
≪……文句ならたくさんあるわ、けど口に出したら5分どころじゃ収まらない≫
「そうか、なら悪いけど我慢してくれ」
≪ええ、代わりに創造主の顔面をぶん殴ってきて≫
「おォい? なーにこそこそ話してんだよぉ石ころ!」
相変わらず、人の神経を逆なでする声を荒げてンロギの周囲に火花が走る。
攻撃の意志ではない、ただの挑発行為だ。 あいつにとって時間は味方なのだから。
「ネロ、テメェが裏切ったのは知ってるぜ? お前が暴走した時から何が起きたのかは全部お見通しだからなぁ」
≪…………≫
「ああ、だけど一つだけ礼を言うか。 お前のお蔭で不良品の処分ができたよ、ありがとう」
≪っ……あいつッ!!≫
「落ち着け、熱くなったらあいつの思うつぼだ。 裏を返せばネロの力をそれだけ警戒してるって事だろ」
「…………はぁ?」
露骨にンロギの様子が不機嫌になる。
この辺りの機微は本当にわかりやすい奴だ、子供っぽいプライドで自分が軽んじられることを極端に嫌う。
そして自分の行動には責任を持たず、不都合な事はすべて「お前のせいだ」と他人に擦り付けるのだ。
「誰が、誰にビビってるって? ネロを奪ったぐらいで何調子に乗っちゃってんの? テメェの状況がまだ分かってねえんだな」
「分かってるよ、お前を倒さなきゃこの世界に未来はない。 だから俺は、お前をここで殺す」
「未来がない? 違うね、僕が新たな未来を作るんだよ! お前ごときが僕の魔力を否定するんじゃねえ!」
「……ああそうかよ、やっぱりお前は救えねえな」
最後の警告は済ませた、ならばこれ以上躊躇う必要はない。
奇しくも俺とンロギが互いの端末を構えたのは、ほぼ同時だった。
「……だから、決めたよ」
≪Warning!! Warning!! Warning!! Warning!! Warning!!!≫
ネロのものではない、当然ハクのものでもない無機質な機械音声がもはや懐かしい警鐘を鳴らす。
もはや止めてくれるような存在もなく、俺は画面に現れたアプリを無造作にタップした。
≪……OK、GOOD LUCK≫
「―――――お前も、火あぶりだ」




