何が彼を突き動かすのか ⑥
「zzz………………ぶへぇっ!?」
スマホの中で熟睡していると、全身を揺るがす衝撃に叩き起こされる。
マスターがちょっとやそっと身動きしただけではこれほど揺れる事はない、外で何かあったのだろうか。
「あたたた……ますたぁ、いったい何が……し、死んでるー!?」
画面の外を見渡すとどうやら自分は何かの拍子で地面に転がっているようで、すぐ横にはぐったりと横たわるマスターの姿が見えた。
殺人事件? 110番? いや、辺りに争ったような形跡も血痕もないですし、これは……
「すぅ……すぅ……」
「…………ね、寝てるだけ?」
横たわるマスターは規則的な呼吸を繰り返し、命に別条がない事を教えてくれる。
ただ眠っているだけ、人騒がせなご主人だ。
「しかしこんな場所で何故? ……というか、なんか私もまた……眠、く……」
マスターの無事を確認して安心した拍子に、再度睡魔の波が押し寄せてくる。
いや、この睡魔は何かがおかしい。 しかし何がおかしいのか考える頭が回らない。
耐えがたい睡魔に呑まれ、私はまた夢の中へと落ちて行った。
――――――――…………
――――……
――…
「……はっ! 今何時ィ!?」
不自然な睡魔に呑まれてからどれだけ経っただろう、気だるい体を跳び起こして辺りを見渡す。
先ほどまで真横で眠っていたマスターの姿はない、周囲の風景も何かがおかしい。
……いや、おかしいのは私だろうか。 何というか視点が高い。
自分の両手を確認し、改めて周囲を確認する。
……両足で立つことができる、そして今まで私の目の前を遮っていたガラスの画面がない。
見下ろした足元には、画面がひび割れたスマホが1台落ちていた。
「……あれ!? もしやここ現実では!?」
地面を踏みしめる感覚、少し冷えた空気の感覚、全身で感じる重力のだるさ、そのどれもがスマホの中にある小さな世界では感じられなかったものだ。
私は今、マスターたちと同じ世界にいる。
「ええぇぇ、何ですかこれぇ……ふへ、ふへへへへへ?」
混乱が限界まで到達し、何だか無性に笑えてくる。
生身の体が受ける感覚はどれもこれもが初めてのはずなのに、そのどれもこれもが嬉しい。
こういう訳の分からない状況で不謹慎ではあるが私は今ちょっとだけ楽しんでいる。
「……って、感動は後ですよ! ここは一体……マスターはどこに!?」
はっとして周囲の景色を改めて確認する。
ここは恐らくマスターが働いていた喫茶店の厨房だ、広い視野で見渡すとまるで違った景色に見えるが所々見覚えがある。
店内に人の気配は感じない、マスターもここにはいないだろう。
「まったくもーどうなっちゃってんですか一体……ますたぁー! どーこでーすかー!!」
軽快な音を奏でるドアベルを揺らしながら、扉を開けて外に飛び出す。
……頬を撫でる風が心地いい、頭上に目一杯広がる星空は同じ数だけの宝石をちりばめたかのようだ。
こんな状況でもなければ何時間だって見上げていられるが、今は先に片付けなければいけないことがある。
「あーまったくもー、一体マスターはどこをほっつき歩いているんですかねー!!」
月明りに照らされた長い道のりをひた走る、見渡す限りに人や車の影はない。
当たり前だが全力で走り続ければ疲れるし、息も切れる。 苦しいはずなのに口の端がにやけてしまうのは何故だろう。
……何故なんだろう、私は生身の感覚なんて知らないはずなのに。
胸の奥で何かがざわつく、早くマスターを探さなければ。
「……あれ?」
ふと、周囲を取り巻く景色が薄れていくことに気が付く。
ビルが、街灯が、街路樹が、空に浮かぶ星々さえもが淡く消えて一面が真っ白な世界へと変わる。
足元に影すら残らない白い世界に取り残され、私は呆然と立ち尽くした。
「これは一体……?」
「―――やあやあ、こんにちはご同類。 なんか、変な反応があったから、つい招いちゃったよ」
背後から掛けられた中性的な声の方へ反射的に振り返る。
そこにはシルクハットを目深に被り、燕尾服に身を包んだ「何か」が立っていた。
背は低い、服の隙間から除く肌は銀色の光沢を帯びている。
シルクハットを取って露わになった顔は黒々とした目ばかりが大きく、まるで一昔前のSF雑誌に載るような典型的な「宇宙人」といった風貌だ。
「……あなた、誰ですか?」
「僕? 僕はね、メアリー・スーって名前だよ、強そうでしょ? ふふん、特別に、メアリーで良いよ」
メアリーと名乗った宇宙人は3本しかない指を器用に弾いて音を鳴らすと、その背にポンッと現れたソファーに腰掛ける。
そのまま片手に持ったシルクハットを目の前に投げると、地に落ちたハットが絢爛豪華なテーブルへと姿を変え、卓上に2組のティーセットを生み出した。
「……これはどういうつもりですか?」
「うふふ……お話、しようよ。 魔人同士、ね? 僕たちきっと、仲良くなれるよ」
宇宙人は嬉しそうに両手の指を絡ませ、表情が読めない真っ黒な瞳でこちらを見つめていた。
――――――――…………
――――……
――…
「……まったく、いきなり出てくるなんて聞いてないヨ!」
「口より足を動かしなさい! 急ぎますよ!!」
コルトと並走して街に並ぶビルの合間を駆け抜ける。
連絡があったのはつい数分前だ、内容は「かなりの広範囲で集団昏睡現象が確認された」と。
その範囲は縁さんたちが予測した円よりもはるかに大きく、進行が速い。
……私の店すらも呑み込むほどに。
『逸る気持ちは分かるが二刀流はまだ使うなよ、あれはまだ制御しきれていないんだろ?』
「……分かっていますよ!」
小型インカム越しにドクターの忠告が刺さる。
分かっている、二刀は速いがコルトを置き去りにしてしまう、それに速度制御で余計な魔力は使いたくない。
分かっている……分かってはいるけども気ばかりが逸る。
「HEYサムライガール! そろそろ見えてき……なにアレ?」
視界を遮るビルを飛び越えると、目の前には被害報告のあった区間が広がる。
―――“影”だ、悪夢に呑まれた範囲はまるでそこだけ夜が訪れたかのような影に覆われていた。
『縁、視覚情報をこっちに回してくれ……なるほど、日中だというのに酷い影だ』
「ドクター、一度踏み込んで中の様子を確かめるべきでは?」
『まあ焦るな、しかし影か……ラピリス、上空はどうなっている?』
「上……ですか?」
見上げた空は雲一つない青天だ、太陽がまぶしいくらいでなにもおかしいものはない。
――――その瞬間、足元のアスファルトを切り裂いて一筋の刃が喉元へと飛び上がってきた。
「ラピリス!!」
「っ――――!?」
寸でのところで飛び退き、胸元のペンダントを開いて二刀へと姿を変える。
コルトが呼びかけなければ危なかった、しかし一体どこから……!?
「や、やっぱり駄目かぁ……い、今の躱してくれるくらいじゃないと困るけどぉ」
どこからか声が響き、再度地中から刃が飛び出す。
それは剣というにはどこかおかしい形状をしている、黒い棒の側面に長方形の刃を取り付けたようなそれはまるで大きなカミソリのようだ。
そのカミソリが地中を切り裂くと、中から一人の少女が這い出てくる。
目深にかぶった黒いフード、その隙間から覗く赤毛をピンでとめ、濃いクマを刻んだ両目はおどおどとこちらに向けられている。
「……何者ですか、名を名乗りなさい」
「ま、魔法少女……えーと……オ、オーキスですぅ……こ、ここここんにちわぁ……!」
影に落とされた街を背に、巨大なカミソリを振り回す魔法少女が立ち塞がった。