何が彼を突き動かすのか ⑤
「七篠陽彩:9月13日生まれのおとめ座、20歳独身、身長178.223㎝の体重63.198㎏で好物はカレーライス(中辛)。 最近の悩みは中華系料理のレパートリーが少ない事で趣味は……」
「ごめん。 ボクの聞き方が悪かった、許してくれ、頼む」
「……お兄さんのことを知りたいといわれたので」
「違う、そうじゃないヨ」
てっきりお兄さんのプロフィールを知りたいと思ったのだがどうも違うらしい。
しかしお兄さんに妹がいたとは初耳だ、この鳴神葵一生の不覚。
「そもそもサ、お兄さんの事って今関係あるカナ?」
「それは……」
「はいはいそこまでそこまで、咲ちゃんの疑問も分かるけど今は悪夢事件の対処に集中しましょう」
縁さんが掌を叩き、2人の会話に割って入る。
確かに優先度はお兄さんの過去より正体不明の魔物の方が高い、こんな言い争いなんてしている暇は無いはずだ。
「縁……けど後回しにすると皆忘却してしまうぞ」
「なら代わりに私が覚えておくわ、それなら問題ないでしょう?」
「出来るノ? 正直私なんか聞いた端から忘れそうなんだケド」
「だいじょぶだいじょぶ! 縁さん天才ですから? それぐらい朝飯前ですっ!」
…………とても不安だ。
――――――――…………
――――……
――…
「……妹と喧嘩した?」
「はいぃ……そ、そうなんです。 あ、あれから体調は良くなったんですけど部屋に籠りきりで……」
「引きこもりになってしまったと?」
「いえいえ学校とかは問題ないんですけどぉ……何時間も籠って作業を続けるばかりで声を掛けても邪魔をするなと……」
「なるほど、そこで怒りを買ってしまって喧嘩になったと」
親の心……いや姉の心妹知らずか、相手からすれば姉のお節介が鬱陶しいのかもしれないが心配してくれる相手に酷い対応をするもんだ。
「なので私……せめて健康な食事はとってほしくて、お手軽に摘まめて栄養を取れる食事を探していろんなお店を回っていました……!」
「すごいな緋乃ちゃん……」
そんな塩対応されてなお妹を思いやるとは、小学生とは思えないほど精神が成熟している。
事情は分かった、そういう事ならばこちらも協力は惜しまない。
「そういう事なら手伝うよ、手軽に摘まむってならやっぱサンドイッチかおにぎりか……」
「ふぇあ!? そ、そんな……いいんですか?」
「ああ、まずは手を洗ってこっちに来な。 美味いサンドイッチの作り方を教えるよ」
「は、はははははい!」
エプロンの紐を締め直し、冷蔵庫の中にある食材を脳内にリストアップする。
パンは十分、葉野菜は申し分ない。 魚類は心もとないがその分ハムやチーズはたっぷり残っている。
さて、我儘な彼女の妹さんには何を食べさせようか。
「よ、よよよよろしくお願いしまひゅっ! 先生!!」
「あはは、可愛い弟子が出来たもんだ。 じゃあ最初は……」
手を洗い、厨房へと足を踏み入れた彼女へ手軽なレシピを伝授する。
驚いたのは彼女の手際が予想以上に良かったこと、前にあった時から料理を嗜むのは分かっていたがとても子供の手際とは思えない。
「……緋乃ちゃん、何時頃から料理を始めたんだ?」
「えっと……な、何年前からは覚えてないです、すみません……」
「いや、別に怒っちゃいないさ。 ただあまりにも上手いんでちょっと驚いてさ」
何年か、それほどから始めていたのならこの腕前にも納得する。
ただ、彼女がそこまで上達するまで両親は何を……いや、聞くのは野暮か。
「そ、そそそそそんな……わ、私なんてまだまだです……!」
「そっか、最近の小学生は皆ここまで綺麗な三枚おろしが出来るのか」
緋乃ちゃんが捌いたあとの中骨には向こうが透けて見えるほどの身しか残されていない。
内臓、血合い、腹骨の処理も完璧だ、むしろ俺よりうまい可能性すらある。
「先生、この次は……?」
「そうだな、それじゃそっちはフライにしてタルタルサンドに……っ」
「……先生?」
寝不足のせいか、一瞬視界が揺れる。
ぎゅっと目を瞑って眉間を抑える、幸い大したものではなく、すぐに気分は回復した。
「先生、だだだ大丈夫ですか!?」
「ああ、大したことじゃないよ。 問題ない」
「そっかぁ、良かった……もう、気をつけてよねお兄ちゃん」
「…………えっ?」
俺を案じるようなその声は緋乃ちゃんのものではない。
あの日から鼓膜にこびり付いてから離れない、聞き馴染んだ声。
ゆっくり目を開くと、暗くなった厨房には緋乃ちゃんとすり替わったかのように「彼女」が立っていた。
「どうしたの、お兄ちゃん? 可愛い妹の顔を忘れちゃった?」
「……誰だお前」
「やだなぁ、私だよ私。 お兄ちゃんの大切な妹の……」
「違う、七篠月夜はあの時死んだ。 お前は誰だ?」
暗い店内にぼんやりと浮き上がるような白い肌、艶を湛えた黒い長髪。
その身を包む水玉模様のワンピースは確かに月夜のお気に入りだった、だが違う。
七篠月夜の死は俺が看取ったんだ、何の間違いがあろうとも目の前に立っているはずがない。
「…………ちぇ」
妹の姿を真似た亡霊はかわい子ぶった舌打ちを残して霞のように消えさった。
改めて周囲を見渡す、先ほどまで作りかけの食材が並んでいた厨房は塵一つなく片付いている。
手には眩暈が起きる寸前まで握っていた包丁が一つ、服装も先ほどまでと変わらない。
ただ冷蔵庫や棚を開けてみると、中身はきれいさっぱり消えていた。
「……ハク、いるか?」
ポケットからスマホを取り出し、同居人へと呼びかけるが反応はない。
それどころか電源すら消えているようだ、幾ら弄ってもうんともすんとも言わない。
「参ったな、これが例の悪夢って奴か?」
胸に渦巻く感情を振り払うように独り言が零れる。
試しに包丁を掌に突き刺してみたが痛みも無ければ血も流れない、包丁を引き抜くと傷も跡形もなく消えてしまった。
「……スマホも動かないと変身も出来ないな」
武器は唯一手に持ったままの包丁のみ、状況は非常に悪い。
だからといっていつまでもここにいる訳にもいかない、あらかた漁り終わった厨房を後にして外に出る。
いつもとは違う不気味な音を奏でるドアベルを揺らし、扉を潜ると周囲は夜闇に染まっていた。
見上げた空に星空はなく、ただ絵の具を適当に混ぜたようなマーブル模様の汚い色が浮かんでいる。
「おーい! 誰かー!!」
人気のない大通りに向かって叫んでみるが返事はない。
どうしようか、ふと振り返ってみるとたった今出てきたはずの店は忽然と消えていた。
「……進めって事か」
これが魔物の仕業だとすれば、行きつく先は胃袋だろうか?
ともかくこのままじゃ事態は好転しない、俺は手の中の包丁を握り締め、人気のない大通りを慎重に進んだ。
――――――――…………
――――……
――…
「……先生? せんせー……?」
包丁を握ったまま、床に倒れて安らかな寝息を立てる彼を揺する。
反応はない、ただ規則的な呼吸を繰り返しているだけだ。
「あー……そっか、“メアリーちゃん”のせいか。 い、今頃ここら辺を通っているんだ……」
まだ日も沈んでいないのに、今日は随分と活動が早い。
どうやら準備運動は終わったようだ、喜ばしい事だがタイミングが悪い。
仕方ない、日持ちしない食材はラップをかけて冷蔵庫へとしまい、使った道具もすべて洗浄して食器棚へと上げる。
そろそろ魔法少女たちもこの騒ぎを聞きつけた頃だろう、それともとっくに巻き込まれただろうか?
どちらにしてもこちらも迎撃を怠るわけにはいかない。
「ふぅー……慣れないなぁ、これ」
周囲がすでに寝静まっていることを確認し、懐に隠していた“杖”を取り出す。
それは折り畳み式の小さなナイフ、というよりカミソリに似た形状の刃物だ。
何かを斬るというより剃り落とす事に適した刃、それを自らの首筋へと当てる。
「ううぅぅぅぅ……へ、変身ン……!」
そのまま腕を引くと、鋭利な刃が抵抗も無く動脈を切り裂いた。
壊れた蛇口のように噴き出す鮮血を蒼い顔で眺めながら、遠のく意識と共に私の変身は完了する。




