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鳴神 葵のはじまり ①

初めてお兄さんと会った時の印象は、「軟弱」だった。

酷い土砂降りの中、お母さんが連れて来たその人は、雨に溶けてそのまま消えてしまいそうだとさえ思ったほどだ。


「この子、今日から家で雇うわ」


「…………はい?」


お母さんが無茶を言い出すなんていつもの事だ。

ただその日は、いつもよりも無茶なことを言い出した。


「雇うって……その人を? そもそもどこの誰なんですか」


「知らないわ、あとから聞き出せばいいでしょ」


「聞き出せばいいでしょって……」


うちは曲がりなりにも飲食店を営んでいるのだ、人を雇い入れるならそれ相応の手続きが必要なことくらい私でもわかる。

それでもただの店なら百歩譲って呑み込めたかもしれない、だがこの店に見知らぬ誰かを招き入れる訳にはいかない。

魔法少女の正体はトップシークレットなのだから


「お母さん、捨て犬を保護するぐらいなら私も承諾します。 ですが……」


「少なくとも私よりは料理できるでしょ、この子」


「……………………そうですけども」


毎日母を監視しながら調理を手伝う命がけの手間を考えれば、安いリスクではないかと一瞬心が揺らぐ。

魅力的な提案だがやはり駄目だ、お父さんの居ぬ間にどこの馬の骨ともわからない男を連れ込むなどあってはならない。


「それとも捨て置くのかしら、こんな土砂降りの中に投げだしたら勝手に死にそうよ?」


「むぅ……」


びしょぬれのまま、ただ母の背後に立っているだけの男を観察する。

手荷物などは特にない、しかし足元は泥まみれで底底もかなりすり減っているように見える。

何より目を引くのは顔の半分を覆う痛々しい火傷の痕だ。 どう見て堅気の人間とは思えない。


「……はぁー、しょうがないですね。 えっと、あなた自分の名前は言えますか?」


「…………陽彩。 七篠、陽彩」


「七篠さんですね、しばらくは屋根を貸しましょう。 ただ、近いうちに出て行ってもらいます、いいですね」


気力のない、抜け殻のような顔を見るとなぜか無性に神経が逆なでされる。

だが、この雨の中に投げだして野垂れ死なれるのも目覚めが悪い。 少しの間ならお母さんの我が儘にも目を瞑ろう。


「ところで七篠さん、あなた料理の経験は?」


「……インスタントラーメンぐらい」


「結構です、この家では命に関わるので調理スキルを磨いてもらいます」


七篠陽彩、偽名かどうかは縁さんに調べてもらえば分かる話だ。

ただの家出なら強制送還、宿無し文無しならば魔法局に社会復帰を手はずを任せよう。

どのみちこの居候との生活は長くは続くまい、せいぜいお母さんの料理で殺されないことを祈ろう。


――――――――…………

――――……

――…


「はぁい、調査資料でぇーす……偽名じゃなかったみたいねえ」


「ありがとうございます縁さん、無茶を頼んですみません」


「いいのよぉ、どの道ねぇ無視できない子だもの……」


七篠 陽彩の調査は数日で完了した。 

目の下にクマを作った縁さんから渡された資料の結果は、端的に表せばシロという内容が記載されている。



「七篠 陽彩、出身はこの街から電車を何本か乗り継ぐ程度には離れているわ。 顔の火傷は母親から受けた虐待が原因ね」


「虐待……」


彼の顔に張り付いた痛々しい火傷痕を思い返す。

明らかにただ事ではない傷の原因にも合点がいった、実の親から暴力を受けていたのであれば逃げ出す気持ちも理解できる。


「ただ……なぁーんかちょっと違和感があるのよね、彼の経歴」


「違和感? 偽装されているという事ですか?」


「いや、そういう訳じゃないの。 周囲の人からすると家族関係は良好、病院の検査記録も見たけど火傷以外に暴行の痕跡はなかったわ」


「ふむ……」


家族関係については外面だけ整えていたと考えても、虐待の痕跡が少ないのは確かに違和感がある。

日常的に暴行を受けていたなら傷はもっと多いはずだ、自然に治ったにしても隠しきれるものではない。


「おまけに母親は精神病院へ連行、知り合いからカルテを借りたけど虐待傾向があった人とは思えなかったわ」


「なるほど、この資料はお借りしても?」


「当然、でもすぐに必要なくなるんじゃないかしら? 未成年の虐待児ならこちらで手配してすぐに保護もできるけど」


「一通り自分の目で確かめておかないと気が済まない性分なんです」


「その歳でしっかりしてるわね、だからこそ背負い込んじゃ駄目よ?」


「…………」


縁さんの視線から逃げるように資料へ目を落とす。


「お父さんの事、気に病まないでね。 メンタルケアならいつでも引き受けるから」


「……ありがとう、ございます」


「ま、しばらくは仕事の事も忘れてゆっくりしなさい。 私はそろそろ帰るわ、睡眠薬は処方するけど飲み過ぎないように」


「はい、いつもすみません……」


薬の入った紙袋を残し、縁さんが店を後にする。

どうせ客の居ないがらんどうの店内には、私だけが残された。


「…………」


掌にはジワリと汗が滲んでいた。 

今でもあの時の感触を思い出すと、視界が狭くなり、呼吸が苦しくなる。

忘れられる訳がない、気に病まないなど到底不可能な話だ。


「……お父さん」


自らの父親を斬ってしまった記憶など、捨て去ってしまえたらどれほど楽だろうか。

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