誰が彼女を殺すのか ⑤
「駄目なんですよ、マスター……私はここで退場なんです」
聞きたくなかった。
「ごめんなさい、お力になれず……でも、大丈夫ですよマスター」
理解したくなかった。
「私が居なくなってもネロちゃんがいます、だから大丈夫です! 彼女は私なんかよりも優秀で―――」
「違う!!」
「―――……マスター」
目の前にいるのに、こんなにはっきりとそこにあるのに、ハクがこれからいなくなるという現実が受け入れられなかった。
あまりにいつも通りだったハクの姿を見たせいで、今からでもどうにかなるんじゃないかと思ってしまう。
「お前の代わりがいるかよ、俺の相棒はお前だけだ! なにか……なにか方法があるはずだろ!!」
「この負傷を治せるとするなら、死者の蘇生とほぼ同義です」
それはローレルが渇望し、俺たちが否定した禁忌だ。
「……スノーフレイクの魔法で足りないなら、俺がさらにその上から傷を止める。 賢者の石の力があれば、きっと時間だって」
「時間は決して立ち止まらないし、戻りません。 それに完全な停滞は死んでいるのと変わりません」
それはオーキスたちが焦がれ、届かないと知った幻想だ。
「ごめんなさい、ネロちゃん。 少しだけ席を外してもらえますか」
≪……いいわ。 でも私に恨み言の一つぐらい言いなさいよ、お人よし≫
握りしめたスマホの画面が暗転し、電源が消える。
この端末以外に行く当てのないネロはまだ中にいるのだろうが、きっとこの状態が俺たちの声は届いていないということだ。
「マスター、私も付き合い長いですからね、あなたが何をやろうとしているかは何となくわかりますよ」
「…………」
「でも私には止められませんし止めません、きっとほかに手段がない。 いや、あったとしても最善の道はない」
「……なんだよ、いつものお前らしくもない」
「私だって悔しいですよ、体調が万全なら背骨へし折ってでも止めたい所存です。 でも我慢します、だからマスターも呑み込んでください」
ハクが提示したのは俺の無茶を見逃す代わりに、自分のことも黙って看取れという交換条件だ。
呑み込みたくない、呑み込めるわけがない。
「もし了承してくれない場合は今ここで自害します、満身創痍ですが死に方選ぶぐらいの余力はありますからね」
「やめろ馬鹿! ……ああもう、わかったよ。 わかったから……」
死に際に自分の命を人質に取るとは何て神経してやがる。
肝が冷えるついでに俺も駄々をこねる気が失せてしまった。
「死ぬ気になれば……というかどの道死ぬと分かっていたらどんな無茶も出来ますからね、頭は冷えましたか?」
「お前のおかげでな。 悪かった、変な醜態見せて」
「いまさらマスターの恥ずかしい思い出が一つ増えたところでですよ、これまで本当色々ありましたから」
「ああ、本当にな……」
俺たちが出会った、あの春のことを振り返る。
1年にも満たない期間に凝縮された思い出は、それ以前の人生全てと比べても足りないほどに濃密なものだった。
「マスター、お話しましょうか。 まだ夜が明けるまで時間があります」
「そうだな、飽きるまで話そう。 きっと一夜だけじゃ語り尽くせないんだ」
――――――――…………
――――……
――…
一瞬、意識が飛んでいた。 お兄ちゃんとハクちゃんを残してから、どれだけ時間が過ぎただろう。
騙し騙し自分の中につなぎ留めていたものが、少しずつ溶け出して行く感覚にめまいがする。
「……バレたかなぁ、お兄ちゃんに」
酷く空虚な街の中に独り立ち呆けていると、心細さから独り言が零れてしまった。
私の下手くそな演技ではお兄ちゃんを欺くことはできない、きっと薄々……いや、確信に至っているかもしれない。
それでも何も聞かず黙っているのは、お兄ちゃんの優しさだ。
私はもうじき消えるだろう。 自分の体だからこそわかる、最後の戦いまでは持たないと。
どの道こんな満身創痍ではお兄ちゃんの足を引っ張るだけだ、致命傷を受けたのは私の落ち度でしかない。
やがて訪れる最後の戦いの中で、私はお兄ちゃんの助けになることができないのだ。
「……悔しいなぁ」
胸が苦しい、この痛みは傷だけが原因じゃない。
石片だった私が「七篠 月夜」となって、お兄ちゃんに何ができただろうか。
そのうえ、ハクちゃんを守ることすらできずに最後の最後でこのざまだ。
お兄ちゃんはちゃんと立ち直れるだろうか、そしてちゃんと死ねるだろうか。
もはや賢者の石の侵食は取り返しがつかない、例えンロギを倒そうとも迎える結末は最悪の未来だ。
だからお兄ちゃんには戦ってほしくなかった。 でももう遅い、賢者の石は皆……
「一人残らず、この世界を去らなきゃいけない……なのに今さら何をしに来たのかな」
「――――ブルームスターを……私の友達を、助けに来ました」
灰を被った街並みに、ぽつんと佇む女が一人。
初めて見た時からなんとなく気に食わなかった、青い魔法少女がそこにいた。




