何が彼を突き動かすのか ④
《ふへー、心臓が止まるかと思いました……》
「……あるのか?」
《ないです》
アオ達が出かけ、詩織ちゃんも帰った後、洗い物を片付けているといつの間にかスマホの中にはハクが戻っていた。
まったく、休んでいろと言ったのにこいつはどこをほっつき歩いていたんだか。
「ハク、お前が何をしようと自由だけど休息くらいはしっかりとった方が良いぞ、顔色悪いよお前」
《あはは、面目ない。 いやーどうしても今日中に消化したい特撮がありまして、鬼気迫る主役の演技にないはずの心臓が震えたと言いますか何と言いますか》
「そうかい」
まあこいつがどこで何をしてようが俺には関係のない話か。
ただ都合のいい時に手元にいてくれればそれでいい。
「そういえばドクター……あー、ヴァイオレットの子から気になる話を聞いたぞ」
《へぁっ!? ヴァイオレットってあれですか、花粉事件でマスターを捕まえようとした!》
「そうそう、その子だよ。 んで話の内容だが……」
いつも通り閑古鳥が鳴き喚く店内で、ハクへ集団悪夢について聞きかじった事を話す。
加えて詩織ちゃんやドクターが実際に悪夢を見た事、そして俺にもその疑いがあると言われた事を。
《……うーん、確かにSNSを眺めてみると悪夢を見たという話をちらほら見かけますね》
「その人達の住所を絞れたりするか?」
《1人1人辿ると時間もかなりかかる上に私の苦労、疲労がいずれもマッハです》
ただでさえ疲労がたまっているハクにこれ以上無理をさせる訳にもいかないか。
被害者の住所から発生源を辿れるかと思ったが、この方法は一度見送ろう。
《……そういえば、私はただの寝不足ですがマスターは何か悪夢は見たんですか?》
「ん……ああ、昨日は見てないよ」
《さいですか、それは良かったです。 安眠は宝ですからね》
その時、ドアベルを鳴らして誰かが入店してくる。
厨房から入り口を覗くが人影はない……いや違う、下だ。 視線を落とすと見覚えのある少女が重そうに扉を押していた。
「……緋乃ちゃん?」
「うんしょ、うんしょ……ふぇ? あ、ななな七篠さん!?」
片目を隠した暗い赤毛、ウサギを模した財布を落とさない様にヒモを通してスカートのポケットに仕舞ったその少女は確か黒騎士事件の前に出会った子だ。
あれから特に連絡を取り合えるわけもなかったわけだがまさかこんな形で再開するとは。
「こ、ここここんにちはぁ! な、七篠さんも無事だったんですね……!」
「まあ何とかね、まさか店で会うなんてなぁ。 あれから妹さんは元気?」
「は、ははははい! ……そ、その事なんですがぁ」
「……うん? なにかあった?」
――――――――…………
――――……
――…
「やあ、全員揃ったかな」
魔法少女の動員数に対してかなり広く感じる作戦室。
そこには遅れて到着した2人の魔法少女と、指揮官代理である縁が待っていた。
「で、集団悪夢だっけ。 詳しい話を聞かせてくれるカナ?」
「話はコルトから聞きました、また魔物絡みな事件のようですね……ところでドクターは何故変身しているんですか?」
葵の指摘通り、ボクの格好は魔法少女衣装である白衣のままだ。
別にサーバルームから戻ってから解除を忘れていたわけではない、この姿にはちゃんとした理由がある。
「まあその理由は後で話そう、先に今回の魔物について話そうか」
「悪夢を見せる魔物カー、ヤらしい相手だよネ」
「ですね、敵の素性は割れているんですか?」
「いいや全く」
「「ダメじゃん(じゃないですか)!」」
息の合う2人だ、羨ましい。
そしていい反応を返してくれる、あえて黙って縁に目配せすると彼女は用意していた電子パッドを取り出してくれた。
「これを見てもらえるかしら、悪夢が発生した箇所を赤く記したものよ」
「ふむ……偏ってますね」
縁が地図を表示した画面をタップすると、地図の上にポツポツと赤い点が浮かび上がる。
その点は地図を半分に分けるように斜め上へと横断していった。
「円形に広がっているわけじゃないんだネ、中心点を探せって話なら分かりやすかったんだケド」
「どうやらそうは問屋が卸さないようでね、この地図上を北に登るほど日にちが新しい」
「……移動している、という事ですか?」
「そうだ、この魔物は街を等速で移動していると思われる。 姿こそ未確認だがこれなら移動を予測した先回りが可能だ」
縁がもう一度画面に触れると地図がスクロールし、赤点の進行方向を遮るように青い円が広がる。
「これが今夜の出現予測範囲だ、やつは高確率でこの円内に現れる」
「広いナー、3人でカバーするとなると中々難しい範囲だネ」
「足りない目はカメラドローンとこちらで用意した人員でカバーするわ、あなた達は魔物が現れるまで待機していて」
「私の“二刀”ならすぐに駆け付けられます、対象の討伐は任せてください」
葵が胸元のペンダントを握る、確かに彼女が新たに得た力なら最速で現場に到着できる。
だが、できる限り彼女に頼りきりとなる状況は避けたい。
「葵、君はまだ速度がコントロールできていないだろ。 そんな不確定要素を含んだまま現場は任せられないな、3人1チームで動くことに変わりはない」
「むぅ……分かりました」
「よろしい、さてそれでもはもう一つの問題だ」
片手に構えたゲーマチェンジャーを操作し、表示された画面を作戦室の壁面へ投射する。
そこに映し出されたのはサーバルームにて修復した、ある魔法少女に関するテキストファイルの文章だ。
「……七篠、月夜? お兄さんと同じ苗字ですね」
「まさか妹でもいたのかナ? 初耳だヨそれは」
「……やはり知らないか、いや知っていたとしてもすでに忘れてしまったかだな」
壁への投射を一度切り上げ、白衣のポケットから1枚の紙を取り出して広げる。
それは何の絵も文字も書かれていない、ただ真っ白なA4用紙だった。
「これはたったいま見せた文面をプリントアウトした紙だ、見ての通り文章は消失している」
「……どういうことですか?」
「どういう訳か彼女に関する記録はこの世界から殆ど消失している、こうして文章や写真という媒体に写しても駄目だ。 何度か試してみたがどれもこれも十数分ほどで消えてしまった」
更にポケットからプリント用紙を数枚取り出す、その全てが何も印刷されていない白紙だ。
「コルト、今壁面に映った少女の名前を憶えているか?」
「えっと、ナナシノ…………あれ、なんだったカナ? アハハ……」
頬を掻きながら愛想笑いで誤魔化すコルト、別に彼女の記憶力が悪くなったわけではない。
ボクだって強く覚え続けないと何かの拍子に「七篠月夜」という存在を忘れてしまいそうになる。
それほどまでにこの魔法は強力なんだ。
「この文面はボクが挿し込んだカセットで常に修復され続けている、そうしないとすぐに自壊してしまうほどに脆いんだ」
「なるほど、それでドクターはずっと変身したままなんですね」
「そうだ、問題はこの七篠という苗字だが、そこまでありふれたものではないだろう。 それにボクたちはこの姓を知っている……だろう、葵?」
「……ええ」
ボクの問いかけに、少し考えて葵の肯定が帰ってくる。
この文面に書かれた少女とは違い、一度出会えばあの顔を忘れるはずもない。
そして同じ七篠という姓を持ちながら彼が無関係とはどうしても思えないのだ。
「葵、一つ教えてくれ。 七篠陽彩とは何者だ?」