皆底に沈む ②
「ネロちゃん……!」
聞こえてくる誰かの泣き声は、歩みを進めるほどにはっきりと聞こえて来た。
だからこそ声の主がネロちゃんであると確信できる、彼女は今も一人で泣いている。
「ネロちゃん――――!」
身体の痛みは既に忘れていた、一秒でも彼女の元に駆け付けるために。
やがてどこまでも続く闇の中に、ポツンと佇む人影が見えた。
やっと見つけたという安堵が零れ、駆ける足音がさらに逸る――――が、すぐにそれが間違いだと気づいた。
『よお、まんまとやってきたなぁバカが』
「っ!? あなたは――――グッ!!?」
勘付いた私が逃げるよりも早く、その男は瞬間的に距離を詰め、喉を掴んで持ち上げる。
何故、この男がいる? ありえないはずだ、この空間にはさほどの魔力が満ちていない。
それなのになぜ、ンロギ・グがここにいる?
『言っておくが、俺は本物のンロギじゃない。 この空間の防衛機構みたいなもんだ』
「ぼう、えい゛……っ!?」
『ああ、ネロが万が一俺に牙を剥く時に自動発動する呪詛だ。 発動しなけりゃそれでよかったが、どこかの誰かさんが焚きつけてくれたみたいでな』
どこかの誰かさん、というのは十中八九私の事だ。
私がネロちゃんを説得したから、彼女はこれほどひどい目にあっているのだと。
この男はこの後に及んでまだ戯言をほざく気か。
『お前のせいだよ、ポンコツ。 下らねえ仲間意識のせいであいつは苦しんでいるんだ、分かってんのか?』
「そん、な……はずが……ない、でしょう……ッ゛!!」
唇を噛み、薄れゆく意識を必死にこらえながらンロギを睨みつける。
私が彼女を説得したから? 違う、選んだのは彼女だ。
そして悲劇のタネを仕込んだのは紛れもなく、目の前にいるこの男に他ならない。
「あなたのせいです、何もかも……! ネロちゃんが泣いているのに、あなたは何も感じないんですか!?」
『ああ感じるよ、耳障りだってよ』
「く……ぁ……!!」
私の喉を締める腕にさらなる力が籠る。
もはや窒息どころの騒ぎではない、このまま私の首を握りつぶすつもりだ。
『壊れかけの道具が軋むノイズだろ、本当に使えない道具だったなぁお前もアイツもさぁ!』
「ち……が……ぅ……」
『どれもこれもなんで僕の役に立たねえんだよ、僕が何かしたか!? これほど努力しているってのに何の見返りもないってのかよ!!』
引き剥がそうと暴れても、私の力ではまるで抵抗出来ない。
いよいよもって死がそこまで迫ったその時――――何もない闇の中で、腹の底から揺れるほどの衝撃が走る。
『チッ、なんだぁ!?』
「っ―――ゲホッ、ゴホッ!!」
ンロギにとっても想定外の事態だったのか、私の喉を締める力が一瞬緩む。
その隙を逃さずに体を引き剥がし、間一髪でグロテスクな死にざまは避けられた。
『アァ!? 何勝手に逃げてんだよクソ―――』
「うる、さい……! 私達は、道具なんかじゃないんですよ!!」
今までのことから分かっていたが、あまりにもあんまりな言い草に腸が煮えくり返って来た。
感情のままに握りしめた拳を振り下ろせば、パカンと小気味いい音を立ててンロギの頭が揺れた。
「うわー!? 文字通りラッキーパンチ!!」
『テンメェ……! ぶっ殺す!!』
当然ながら、私の黄金の右がクリーンヒットしたというのに碌なダメージがない。
それでも不意打ちの一撃は逃げるために十分な隙を作ってくれた。
悔しいが今は勝ち目がない、私の戦闘力なんて一般人に毛が生えたか生えてない程度だ。
「ゲホ、ゴホッ……ああもうほんと、乙女になんて真似してくれてんですか……」
何度か咳き込むと、赤い血が口から零れ出た。 首にも痕が残っていると思う。
今のは相当危なかった、幸運な地響きがなければ今頃私は首なし死体になっていただろう。
「……いや、幸運ではないですね。 外でみんなが頑張っている証拠です」
あの黒い液体をゴルドロスちゃん達が放置しているはずがない、街に被害が出る前に行動を始めているはずだ。
「ゲホ……私も、頑張らないと駄目ですね……」
視界がぼやける、足元がふらつく、少しダメージを受けすぎたか。
魔人の私はどれだけ負傷したら死ぬののだろう、少なくとも心臓や頭を潰されれば死んでしまう。
スマホの中に戻った電子体ならもう少し長持ちするかもしれないが、今はそれも難しい。
背筋に冷たいものが走る。
私は今、確実に肉体の死へ近づいているはずだ。
「野垂れ死ぬ前に、もう一度アレに見つかっても終わりですね。 怖いなぁ……」
追ってくる様子はないが、ンロギの形をした防衛機システムは消えたわけじゃない。
再び出会えば今度こそラッキーパンチはない、待っているのは「死」だけ。
……ネロちゃんをこの闇から救い出すためには、外との連携が絶対に必要だ。




