有害汚染少女 ③
男の全身から紫焔が溢れ出す、しかしそれも一瞬の事だった。
ドーム内を満たさんばかりに放射された炎は熱も無く、ものの数秒で霧散する。
晴れた視界の後に残されたのは、白衣の男とは似ても似つかぬ少女だけだ。
「……魔力の扱いには女、それも出来るだけ若い体の方が適している。 この姿にもちゃんと意味があるんだよ」
「そうかよ……イカれた変態趣味かと思ったが」
「はははっ! たしかに半分は僕の趣味だ、いいだろう?」
犬歯をむき出しにして嗤う顔からは、元から持っていた性根の悪さが隠しきれていない。
振り乱したような濡れ羽色の長髪、錆びた金属の装飾があてがわれたくすんだ色合いのローブ。
バサバサと揺れる擦り切れたマントの端からは常に紫煙の火の粉が漏れ出ている、しかしあれは見た目こそ炎だが実体を持つほどの濃い魔力の塊だ。
だがそんな事はどうでもいい、今重要なのは……男が俺たちと同じような変身をして見せたということだ。
「あー……まだ不完全だなぁ、やはりこっちの世界だとまだ馴染まないか……まあ、今はこれでいい」
「何の話をして……カ、ハッ―――!?」
男が変身した魔法少女は何もしていない、ただその場に立っているだけだ。
何かを仕掛けるような仕草は一切関知できなかった。 それでも俺の喉は締め付けられるほどの苦痛に襲われ、肺からは限りある酸素が締め出されていく。
「お前の周りの大気を魔力に変えた、酸素がなけりゃ魔法少女でも苦しいだろ?」
「っ……ァ……!?」
限りない真空と異常な濃度の魔力に満たされたドームの中、いくら転げ回ろうと逃げ場はない。
口内の唾液が、傷口から零れる血液が、眼球の水分が、真空の中で沸騰する感覚に気が狂いそうだ。
「今からお前を殺す気で痛めつける、死ぬなら勝手に死ね。 賢者の石が使えるなら早くしろよ」
何かしらの細工をしているのか、意識も空気も薄れていく中で相手の声だけが苛立つほどはっきりと聞こえる。
脅しというわけじゃない、遠めに俺を見下す魔法少女の表情は心底“どうでもいい”と言わんばかりに冷めたものだ。
ああ、本当に……こんな絶体絶命の状況だというのに、腹が立って仕方ない。
「ふざ……け……な……!」
「おいおい、残り少ない酸素と時間はもっと有意義に使うべきだと僕は思うぜ?」
靴裏に踏みしめたアスファルトの破片を箒に変え、その勢いで動かない体を無理矢理射出する。
目標はあのクソッタレ。 なんとか殴り掛かれる距離まで飛び込んだ途端、飢えた肺へ新鮮な空気が送り込まれる。
予想通り、自らは酸欠に陥らないように周囲の大気だけは残していたようだ。
「ハ゛ァーッ……! ハ、ァ……!! お前が、全部の元凶で……10年前の悲劇を引き起こしただと……!?」
「おぉい、やめてくれよ。 服がシワになっちゃうだろ」
胸ぐらを掴みかかろうが、その涼しい顔は変わらない。
その気になれば拳を止めた時のように、掴みかかる腕なんてどうとでも出来るはずだ。
そうしないのは本当に俺という存在に興味がなく、この程度の事はどうとでも対処できるからに過ぎない。
「この世界の10年前に何があろうと知ったことかよ、僕の責任じゃない」
「この世界この世界って、お前は違う世界から来たとでも……」
「そうだよ、ようやく理解したかよ低能。 僕の世界は魔力で滅びた、だからこっちの世界でやり直すんだ」
悪びれもせず……いや、本当に悪気など欠片も感じていないのだ。
動機はただ、失敗したからやり直すというだけの話。
まるで崩してしまった積み木を作り直すように、あまりにも身勝手な振る舞いにそぐわない力を身に着けていたせいで実行できてしまった。
≪―――BURNING STAKE≫
喉元目掛け、殺す気で放った蹴りはやはり当たる寸前で停止する。
炎を纏った脚から急速に奪われる熱と魔力、それがもはや自分の消耗によるものなのか、相手が何か仕掛けたのも分からない。
「どうだ、これも魔力のおかげだ。 あらゆるエネルギーも、物質も、概念さえ紐解いていけば“魔力”という根源にたどり着く。 お前の原始的な暴力が僕に届くことは一生ないんだよ」
「うるせぇよ、だからどうした……! 魔力は有害だ、こんなもんが溢れた世界で人は生きられない!」
「有害なもんを有益に使うのが人間だろ? 制御してやりゃ良いんだ、僕がこの世界を使って証明して見せる」
「ふざけ――――」
言葉に代わりに口から溢れたのは、鮮やかな紅に満ちた喀血だった。
ジワリと滲む温もりに視線を降ろすと、俺の心臓を貫く形で薙刀が一本突き刺さっている。
「ぁ――――……?」
「面倒くせえなぁ、理解できないならお前はもういいよ。 石と端末回収するからさっさと死ね」
蹴り飛ばされた俺の身体が、力なく地面に転がる。
最後の力で呼び出したスマホの画面は真っ暗で、いくら触れても反応はない。
ハクの姿も見えず、黒衣への変身すら行えない状況だ。 呼びかけようと絞る喉からは笛のような音しか出ない。
「最初から仕込み直しかぁ? 面倒くさ……もうこの世界は潰して次行くか、それとも……」
無神経な元凶の声が脳内で反響する。 駄目だ、今だけは死ぬわけにはいかない。
あいつだけは止めないと駄目だ、この世界が終わってしまう。 しかしどうやって?
せめて外にいるはずのラピリス達を逃がしたいが、もはや俺に残された時間じゃそれすらも叶わない。
「……ハ…………ク……」
返答はない、すでに俺を見限って何処かへ逃げたのだろうか?
それならそれでいい、男の狙いにはハクも含まれている。 俺が死んでも、ハクが無事なら……
《…………マス、ター……?》
しかし、俺の希望とは裏腹にハクはまだスマホの中にいた。
画面は黒いままだが、彼女の震えた声だけが聞こえてくる。
《ごめ、なさ……私、私……駄目なんです、私が生きてちゃいけなかった……!》
男の登場から明らかに様子のおかしかったハクは、忘れていた何かを思い出してしまったのだろうか。
虚空に向けた懺悔を繰り返し、彼女は独り暗い画面の底に閉じこもっている。
《マスター、やだ……死んじゃやだ……生きて、私を殺して……!》
「いやだ」と言えない今の自分の身体が呪わしい。
切羽詰まってるのは分かっているがまずを事情を話せ、馬鹿。 文句も言いたいがそのための声が出ない。
どうにか振り絞ってあと一言が限界か。
《聞こえますか、まだ生きてますか……!? お願いです、まだ死なないで……!》
今まで暗転していた画面に薄い光が灯る。
それはハクが示した最期の希望か、それとも地獄への片道切符か。
いや、どちらだろうと関係ない。 覚悟は初めてハクと出会った時から決めていたはずだ。
《ごめんなさい、こんな手段でしか……私はあなたを救えない……》
「――――ゆる……す、よ……」
悪魔と相乗りする覚悟は最初から決まっていた。
だから泣くな相棒、お前を泣かす奴は今から俺がぶちのめすから。
……そして淡く輝く画面に触れた途端、取り返しのつかない力が俺の命を吹き返した。




