賢者の本質 ⑧
はたして、一度目と同じ策がお兄ちゃんに通じるのか。
脳裏に過ぎった疑問を拭うにはもう遅い、既に賽は投げられた。
私の掌から離れたスマホは真っ直ぐにお兄ちゃんへと向かい―――そして、撃ち落とされる。
「っ……!」
閃光が止んだ後に見えたのは、幾重にも折り重なった使い魔たちを束ねて着こむお兄ちゃんの姿だった、
先ほどまでデフォルメされた動物のように振る舞っていた魔石の塊たちは、今は主の身を守る装甲のようにその形を変質させている。
これでは投げつけたスマホがお兄ちゃんの身体に触れる事はない。 装甲に弾かれたであろう端末は、一本の刀剣で串刺しにされてその足元に突き刺さっていた。
「はは、は……流石お兄ちゃん。 こっちも即興の割にはうまくやったと思ったんだけどな……」
「――――……」
「はは……ああ、悔しいなぁ」
乾いた笑いに返って来る言葉はない。
限界だ。 頼みの打開策は中身の存在ごと破壊され、無傷でお兄ちゃんを正気に戻す術は失われた。
私にできる事は……私に思いついた策は、ここまでだ。
「本当に悔しい……認めるよ、ここから先はあなたの手柄だ」
「いいえ、2人の協力あってこそです!」
私にトドメを刺そうと斧を構えたお兄ちゃん、その両腕が背後から現れた泥棒猫の手により羽交い絞めにされる。
ああそうだ、お兄ちゃんはこの場で一番の脅威である私「だけ」に意識を向けていた。
私が端末を投げつける前に実体化し、背後に回り込んだ戦力外の少女など気づくことも出来なかったはずだ。
「この距離なら装甲も関係ねえですよ、射程距離内d……あだだだだだ! 鎧に、鎧にめっちゃ噛まれる!」
「馬鹿、早くして! 悠長に待ってくれるほどお兄ちゃんは甘くないよ!!」
「分かってますけど介入に時間かかります! なんですかこれ、マスター私以外の女を心中に入れました!?」
「ハクー! 軽口叩いてる場合じゃないヨ!!」
羽交い絞めにされているとはいえ、お兄ちゃんは今魔法少女を超えた力が暴走している。
そのスペックからすればこの程度の拘束など紙切れ同然だ、何とか振り解かせないように動きを凍結させるが、長くは持たない。
「このぉ、こっちに……戻ってきなさいってのぉ!!」
「へっ?」
「ほわっ?」
こちらの妨害で動きが鈍くなったお兄ちゃんの体が……浮いた。
お兄ちゃんを拘束していた両腕を腰へと持ち替え、火事場の馬鹿力で持ち上げた泥棒猫が、そのまま自らの後方へと反り投げた。
何と見事なジャーマンスープレックス、魔力を伴わない物理攻撃は効かないという大原則すら忘れ、思わず見入ってしまうほどに。
「……はい、だいたい掴めました。 やっぱり私以外の何かが介入していますね、ならこちらは2人掛かりで取り戻しますよ、ゴルドロスちゃん!」
「あいあいさー! やっちゃってヨ、ハク!!」
「はぁい! ぶっつけ本番、灼火体起動ぉ!!」
――――――――…………
――――……
――…
「……う、ぐ……ぁ……」
頭が痛い。 今まで寝ぼけていた意識が鮮明に覚醒していく。
これまでの記憶を思い出そうとするが、何も覚えていない。 まるで天地がひっくり返ったかのように視界がぐるぐると揺れている。
……いや、これは視界が悪いのではない。 実際に俺がひっくり返っているのか。
《おはようございます、マスター。 気分はどうですか?》
「ハク、か……頭が痛い、なんで俺はひっくり返ったまま気絶していたんだ?」
「よかったぁ、お兄ちゃんだ……戻って来たんだね」
体を起こし、正しい視界を得て自らの状態を振り返る。
どういう訳か俺は灼火体に変身し、その上からゴルドロスの力を羽織っている。
そして当人はというと、俺たちから少し離れたところでうつ伏せに倒れていた。 外傷はない、灼火体の副作用で眠っているだけだ。
「癪だけど……感謝しなきゃね、私一人だけだと……お兄ちゃんを抑えられたか……っ」
力を失って倒れそうになるスノーフレイクの身体を、反射的に抱き支えてしまった。
その身体はボロボロだ。 純白の衣装は煤けてしまい、触れた肌からは人の温もりを感じない。
まるでガラスじみた手触りに、あらためて人間ではないことを認識させられる。
「はは、は……やっぱりお兄ちゃんは優しいなぁ……好き」
「冗談めかすな。 ……この怪我は俺がやったのか?」
「違う、ただの油断だよ。 ここまで手間取る前に本気を出しておけばよかったんだ」
「傷つけたのは俺だって事に変わりないだろ、悪かった」
スノーフレイクの負傷も問題だが、加えて周囲の魔力汚染も酷い。
下手をすれば雪が積もった街の中以上の惨状かもしれない。 この採石場は汚染が消えるまで魔法少女ですら立ち入れない危険区域と化している。
いくらゴルドロスの力を借りているとはいえ、灼火体にこんな真似ができる力はない。 俺はそれ以上の“何か”と化してしまったのだろう。
「これが、賢者の石の力だよ……お兄ちゃん。 最も恐ろしい、賢者の本質……」
「……無尽蔵限の魔力生成能力、か?」
「少し違うかな、無限なんかじゃない。 魔力を生み出す力にはある上限がある」
そう言うと、スノーフレイクはおもむろに足元の小石を拾い上げる。
そして彼女が軽く指先に力を集中させた途端、小石は大量の魔力を吐き出して霧散した。
「分子、電気、熱量、運動、光……この世界に満ちるあらゆるエネルギーを、魔力という最小の単位に分解して世界を侵す。 それが賢者の石が持つ最低の権能だ」




