修羅・抜刀 ⑤
ガソリンと肉が焦げる嫌な臭いが鼻を刺す。
胸がムカつく嫌な臭いだ、だがこのムカつきは臭いだけではあるまい。
『ギヒッ! ギヒヒヒッ! 会イタカッタァ、箒チャン!』
のっぺりとした黒い顔に唯一残された口を嬉しそうに綻ばせ、その場で何度も跳ねながら魔物が嗤う。
奴が跳ねる度に、足元に敷かれたスクラップの隙間から伸びる生気のない腕が揺れ、何度目かの着地でとうとうへし折れ、炭化した断面を剥きだした。
……騎士と同じくヒト語を介するようだが、会話の必要はないらしい。
『嬉シイナァ、俺ッテオ前ノファンナンダゼェ?』
袖口に常備してある小石を一つ、足元に落とす。
同時に虚空から呼び出したスマホの画面を強かに叩いた。
『ダカラサァ、箒チャン。 俺ト―――』
「――――死ね」
≪BURNING STAKE!!≫
踏みつけた小石を箒に変え、その勢いを利用した跳躍で騎士モドキとの距離を一気に詰める。
呆けた面に真横から黒炎混じりの蹴りを叩きこむと、面白い様に魔物の体が吹き飛んだ。
《ちょっ、マスター!? 飛ばし過ぎでは!?》
「油断するなハク、まだ終わってねえぞ」
無人となったジュエリーショップに突っ込んだ奴の安否は土煙に紛れてよく分からない。
だが恐らくは死んでいないだろう、蹴りつけた感触はまるで厚いゴムのようだった。
あれではほとんどダメージは無いはずだ、もう一度距離を詰めようと駆けだした瞬間―――
《――――! マスター伏せて!!》
「っ―――!?」
一瞬、土煙の向こうでキラリと光った何かが数本ほど飛来する。
ハクの警告で反射的に身を屈めたが、躱しきれなかった一つが肩の肉を掠め取った。
「ぐっ……!?」
『ギヒヒッ! 酷ェナ箒チャン!』
土煙が晴れるとほとんど無傷の騎士モドキが立っていた。
その手にはギラギラと緑色に輝くボウガンの様なものが握られていた。
《うっわ趣味悪っ! なるほど、今のは射出された矢ですか!》
「おそらくな、あれがアイツの武器か……」
『ギヒヒヒャハハ! コレダケジャネエゼ!!』
突っ込んだ衝撃でショーケースの中身が散らばったか、騎士モドキは足元に落ちた宝石を1つ摘まみ取る。
綺麗にカッティングされた青色の宝石―――それを顔の高さに摘まみ上げるまでに細長い棒状に形を変えた。
「なっ……!?」
『言ッタダロォ!? ファンダッテサァ!!』
騎士モドキは棒を派手に回して見せると地を蹴ってこちらと距離を詰める。
速い、咄嗟に小石で作った箒で受け止める……が、正面から突き放たれた棍はこちらの防御を容易く砕き、そのまま俺の体を弾き飛ばした。
『ヒヒヒッ! 軽イナァ、可愛イナァ!!』
「ゲホッ! こいつ……!!」
――――ブルームスターと同じような能力を持っている。
しかもボウガンに棍棒、2種類も扱えるとかこちらの上位互換じゃないか。
『2種類ダケジャナイゼェ?』
するといつの間に拾っていたのか、騎士モドキは新たに紫色の宝石を取り出して見せる。
棍棒を投げ捨て、宝石を握り締めるとそれは紫に輝く大剣へと形を変えた。
「3つ、かよ……!」
異形とも言える腕のリーチを生かし、振り下ろされる剣の威力は凄まじい、当たれば一たまりも無い。
……回避に徹しながら周囲を見渡す、見渡す限りに生きている人間は居ない。 車の下敷きやガソリンに引火した炎に呑まれて動かなくなった人間はもう、“駄目”だ。
「……だったらこれでどうだ!」
≪IMPALING BREAK!!≫
羽箒を取り出し、乱雑に振り回される剣を掻い潜って空へと逃げる。
そして騎士モドキのリーチの外を高速で飛び回る、このまま速度で攪乱して死角から攻撃を加えれば……
『ンー……』
剣は届かないと見て、騎士モドキは得物をボウガンに取り換える。
射貫く気か? 馬鹿な、射程は足りるだろうがこの速度で当たってたまるか。
『――――ソコダ!』
騎士モドキが引き金を引き、翡翠に輝く矢が放たれる。
見事な偏差射撃によって放たれた矢は、箒に乗った俺の二の腕へと正確に突き刺さった。
「ぐあっ!?」
その衝撃で箒を握る腕が緩んでしまい、高速で飛び交う箒から振り落とされる。
熱された路面に叩きつけられ、転がる身体。 痛みはないが振り回された三半規管が頭を揺らした。
「ク、ソ……!」
《マスター、立ってください! 避けて!!》
吐き気を堪えて体を起こす、遠くの方で照準を合わせるボウガンと目が合う。
装填の必要もないのかと、舌打ち混じりに心中罵るがそれで状況が好転するわけでもない、無情にも放たれた矢は寸分も狂いもなく額へと吸い込まれる。
「―――――そこまでですっ!!」
―――だがその寸前、矢を遮るように蒼い影が割り込んだ。
硬いものを叩くような音を立て、真っ二つに割れた矢がその足元に落ちる。
「魔法少女ラピリス、ただいま参上しました! 大丈夫ですかブルームスター!?」
「ラピリス……おま、どうして!?」
「勘違いしないでください、貴女のためではないです。 私は魔物を倒しに来ただけですから」
そういって矢を叩き切った人物、ラピリスは魔物へと向き直る。
対する魔物はラピリスの姿を確認すると先ほどよりも更に口角を釣り上げて下卑た笑みを浮かべる。
『ギヒッ! ギヒヒッ! 今度ハ侍チャンダ! ツイテルナァ、俺ッテ!』
「……下郎が」
舌打ちを鳴らしたラピリスの横に立ち、箒を構える。
あの騎士モドキは強敵だ、だが勝算がない訳ではない。 二人掛かりなら尚更だ。
「ラピリス、あいつは俺みたいになんでもボウガンや剣・棍棒に変えてくる。 何か握ったら気を付けろ」
「……それは心底厄介ですね」
『ギヒヒッ! 光栄ダネェ……デモ1vs2は分が悪いダナァ?』
その時、騎士モドキの背後に何が凄まじい速度で落下……いや、着地した。
もうもうと上がる土煙をかき分け、現れたのは目の前のクソ野郎とうり二つな騎士モドキ。
「2体目……だと!?」
『ギヒヒッ! 遅カッタナ兄弟!』
『……フンッ』
いや違う、よく見れば細部の模様が異なるし1体目と比べるとこいつは腕の代わりに足が長い。
……こいつも1体目と同じぐらいの強敵だとしたら。
「ブルームスター、何を呆けているんですか! 来ますよ!」
「っ……!!」
脚長の魔物が目一杯に力を溜め、コンクリを砕きながら跳躍する。
速いなんてもんじゃない、瞬きの間に目の前まで距離を詰めたそいつは鞭のようにしなる蹴りを俺の懐へと打ち込んだ。
嫌な音を立て、胸の内にある何かがひしゃげる。 痛覚だけが目の前の出来事に追いついてこない。
ただ蹴り跳ばされる自分の体を、俺はどこか他人事のように眺めていた。
「ブルームスター!!」
『……お前の相手は俺だ』
ラピリスと、その前に立ちふさがった脚長野郎の姿がどんどん遠ざかっていく。
手を伸ばす、届かない。 声を吐き出す、血だけが零れた。 箒を取り出そうとして、腕が動かないことに気付いたのはビルを何個かぶちぬき、どこかの壁に叩きつけられたときだった。
「っ……ぁ゛……!」
《マスター、動かないで!! やだ、血がとまらな……!》
痛みすらどこか遠い、壊れた蛇口のようにこぼれる血が止まらない。
寒い、太陽を遮るビルのせいで日差しが届かないせいか。 ……それとも、俺が血を流し過ぎたせいか。
『ギヒヒッ! 大丈夫カァ箒チャン!』
俺が開けた穴を潜って、手長の魔物が現れる。
……倒さなきゃいけないのに、身体は言う事を聞いてくれない。
『アー駄目ダ、コリャ死ヌネェ。 モッタイナイ……血、美味ッ!』
何を思ったか騎士モドキは俺から噴き出した血だまりに指を突っ込み、一匙掬って舐めとって嗤う。
気色が悪い、今思えばあの黒騎士には何処か気高い志の様なものがあった。
だがこいつらにはそれがない、下衆で下劣で、ただ喋る知能があるくらいで他の魔物と変わりがない。
『楽シミダァ! キット侍チャンモ美味シインダロナァ!』
「…………ぁ゛?」
今、なんて言った?
事もあろうにこいつは今なんて言った?
『箒チャントグッチャングッチャンニ混ゼテ、一緒ニ食ベタイナァ! アア、涎ガ……』
≪―――Over heat!!≫
『…………ウン?』
いつの間にか虚空から現れたスマホの画面が光る。
そこには今まで何の反応も示さなかった、あの透明アプリが輝いていた。
『何ィ? 今ノ音、ネエ箒チャン?』
「ぅる……せぇ……ょ……」
強張る腕を無理矢理動かし、目の前のスマホへ手を伸ばす。
動け、動け、動け、動かなくちゃ駄目だ。 だって俺はそのために魔法少女になったんだ。
≪Warning!! Warning!! Warning!! Warning!! Warning!!! ……OK、GOOD LUCK≫
焦燥感を煽る警告音の後、いつもと違う音声が聞こえた。
冷たくなったはずの体にはいつの間にか熱が戻ってきている。
「決め、たよ……お前は――――」
そうだ、これだ。 この力があれば戦える。
俺は魔物を根絶やしにするために戦えるんだ。
「――――消し炭だ」
スマホが虚空へと消え去り、俺を包み込むように大地から黒炎の旋風が巻き上がった。
ハッピークリスマス