「ワイズマン」 ⑨
「――――魔力とは何か、なんて聞き飽きたよね」
空にはぽつんと孤独な月が浮かんでいた。
たった一日だ、待つことは別に苦ではない。 あれから10年待ったのだから。
「それもお前が知っているってか? だけど悪いな、今日は他に聞きたい事が山ほどある」
「ふふふ、それは嬉しいなぁ。 山ほどお兄ちゃんと話せるって事だよね?」
削り取られた岩壁に囲まれた、かつては採石場だったもののなれの果て。
そこに転がる岩の一つに腰かけて待っていれば、雑木林をかき分け、愛おしい兄の姿が現れる。
「こんばんは、お兄ちゃん。 口説き文句は考えて来てくれたかな?」
「ああ、中指突き立てながら囁いてやるよ」
目深にかぶったパーカーの下から覗く、痛々しい火傷の痕。 ナイフのように鋭く研ぎ澄まされた冷たい視線。 どれをとってもゾクゾクするほどに素晴らしい。
嗚呼、きっとこの気持ちはどれほど素敵な罵倒を囁かれても変わる事はない。
「ふふふ……じゅるっ……や、約束通り来てくれたからね、あのお医者さんの疵は解いておくよ」
「……覚えておけよ、その言葉が嘘なら必ず報いは受けさせる」
「信用無いなぁ、ちょっとショック。 どうしてそこまで私を疑うのかな」
「人の妹の皮被った正体不明が語る話だ、そうそう信用できねえよ」
「――――……」
お兄ちゃんから向けられる視線は、本気だ。
妹が生き返ったなんて希望を微塵も持たず、目の前のいる私を赤の他人と断じている。
反応としては間違っていないのだが、流石にこれほど気の迷いも見せてくれないと……少しばかり傷つく。
「月夜は死んだ、蘇らない。 だからお前は月夜じゃない、誰なんだお前は」
「……私は七篠月夜―――だと、思いたかったなぁ」
あいも変わらず訝しむお兄ちゃんに向けて、私は身にまとったワンピースをおもむろにめくりあげた。
――――――――…………
――――……
――…
「ああもう、腹が立つ! どうなってんのよ……!」
苛立たしい足取りで足元の雑多なガラクタを蹴散らしながら、薄暗い廊下を進む。
この世界は異常だ、今までと違うイレギュラーが多い。
私一人では処理速度が追いつかない、とかくいま必要なのは情報整理のための報・連・相だ。
「創造主様! 今お時間よろしいかしら!?」
『――――おうおう、どうしたのかなぁ僕の可愛いネロ』
両開きの扉を乱暴に開き、ヅカヅカと踏み入ったのは殺風景な部屋、その床一面には精密な魔法陣が敷かれている。
これは現状唯一の連絡手段、そして我がマスターを縛り付ける忌々しい鎖である。
「予定通り、賢者の石の感染者と接触したわ。 けど……」
『なにかトラブルがあったんだね、聞こうじゃないか』
「……男だったわ、そいつ」
『ほほう?』
魔法陣越しに聞こえるエコーのかかった声に、子供のような無邪気さが加わる。
頭を抱えるイレギュラーの存在は、どうやらマスターの琴線に触れたようだ。
『基本的に魔力は女体にしか定着しない、それも常識に囚われないような幼い存在にのみ……その前提がひっくり返ったわけか、面白い!』
「面白くないのだけど! だけど賢者の石はしっかりと定着してるし、本当にあれで大丈夫なの!?」
『実物を目にしないと何とも言えないが、定着しているのなら問題はない。 君の仕事も問題なく遂行できるよ、ネロ』
「だったらいいけど……マスター、そちらはまだ時間がかかりそう?」
『ああ、“扉”を開くまでまだ時間がかかるよ。 せっかく開きかけたのにな、どこぞの誰かがまた扉を閉じやがったんだ』
「聞いたわ、何度も……マスターが来たらぜーんぶ片付くってのに」
『まあそう焦るんじゃないよ、ネロ。 興味深いのはこの扉を解析し、閉じた誰かがそちらの世界に存在するという事だ。 つまり……』
ああ、いけない。 マスターの話に熱がこもり始めた、こうなると早口でまくし立てるトークが数時間続いてしまう。
こんな何もない部屋で何時間もつき合わされちゃたまらない、どうにか話題を逸らさなければ。
「そういえばマスター、こっちの世界って結構そちらと違うのよ。 なんだっけあれ……ほら、東京タワーがなかったり――――」
――――――――…………
――――……
――…
「………………」
突然、月夜もどきが自らのワンピースをたくし上げる。
肌の上に一枚しか羽織っていない衣類、とうぜん捲りあげればその下からは一糸まとわぬ白い肌が―――見える事は、けっしてなかった。
「……お前、なんだ……それ?」
「さてね、何だと思う?」
ワンピースの下から現れたのは、水晶のように透き通った肉体だ。
辛うじて体の輪郭が見える程度で、殆どは透けて向こうの景色が見えてしまう。
「私はね、月夜だよ。 月夜で在りたかったんだ……お兄ちゃん」
そして……その中にひときわ輝く、赤い輝きを放つこぶし大の宝石が一つ。
心臓があるべき場所にぽっかりと、がらんどうの身体の中に浮かんでいる。
「これが賢者の石、私の中核。 七篠月夜に宿っていたものの残滓だよ」




