「ワイズマン」 ②
初めに違和感を覚えたのは、ローレルを倒してこの街に帰って来た時だった。
いつも通りの調理したはずの食事が、酷く薄味に感じた。
その時は疲労のせいで身体が濃い味を欲していると思ったが、それから何日が過ぎても味覚に変化はなかった。
レシピは体が覚えている、調味料の調整は計量すれば問題ない。
ただ、細かな味の機微が分からないと、新しいメニューを創作することができなくなった。
何度も何度も、誰にも悟られない様に同じレシピと同じ味を繰り返す。 本当にあっているのか分からない味を確かめながら。
……ふと、自分は料理が好きだったのかと今さらになって気付いた。
――――――――…………
――――……
――…
「……何を言ってるのか分からないな」
「強がらなくていいよ、ここは私たち以外誰もいない。 唯一の邪魔者はおねんね中だもの」
一度充電が尽きたせいなのか、ハクはまだ起きない。
スマホの電源を入れて起こそうかと思案するが、この先の話は聞かせたくない。
悔しいが、月夜もどきの判断は正直ありがたかい。 ハクが聞いていたらきっと黙ってはいなかったはずだ。
「お兄ちゃん、変身中にその泥棒猫以外の声を聞いた事はあった?」
「いい加減その不快な呼び方をやめろ、こいつにはハクって名前がある」
「侵略か、皮肉な名前だね。 ワイズマンの感染源にはピッタリだ」
「……なに?」
月夜もどきが口の中で転がしていた飴をかみ砕き、大きく息を吐いて呼吸を整える。
グチャグチャにかき回される俺の感情とは対照的な、余裕ぶったその態度が癇に障る。
「……賢者の石。 ローレルはその手で創ろうとしたけどそもそも発想が違うんだ、あれは外の理から持ち込まれたものなんだから、この世界の法則じゃどう足掻いても届かない」
「何の話だ……ワイズマンって何だよ、賢者の石に何の関係がある! 一体お前はどこまで知っているんだ!!」
「全部だよ、私だって“同じ”だから」
月夜もどきは一瞬だけ、とても悲しそうに笑った。
「同じ」というのは俺に対しての台詞か、それともハクか。
どちらであろうと、今の言葉は……既に自分が人でも魔法少女でもないという自白に他ならない。
「賢者の石はこの世界を破壊する、お兄ちゃんも外に出たらすぐに意味が分かると思うよ。 これはこの世界にあっていい代物じゃない」
月夜もどきが俺の胸を……いや、その胸中にあるという賢者の石に人差し指を向けて語る。
「お兄ちゃん、二度と変身しないで。 これ以上化け物にはなりたくないでしょう?」
「断る」
「……ショックだなぁ、私の話は信じられない?」
「確かに半信半疑だよ、だけどそこは問題じゃない。 俺はこの戦うための力を手放したくない」
「それは誰のために?」
「…………」
二人の間に張り詰めた沈黙が流れる。
それは永い時間に思えた、しかし一瞬にも思えた。
ただどれだけの猶予があろうと、俺はその質問に答える事は出来なかったはずだ。
「……いいよ、今は本調子じゃないもんね。 混乱もあるだろうから、返事は今すぐじゃなくていい」
張り詰めた空気を砕き、月夜もどきが踵を返す。
軽い跳躍でガラクタの山を飛び越えたその背を追いかける事は叶わない、変身も出来ない俺の足じゃ不可能だ。
「一日あげる。 24時間後に……そうだね、町はずれの岩場まで来て。 それまで医者の子の命は握っているから」
「やっぱり、お前がドクターを襲ったのか」
「乙女の秘密に近づきすぎたあの子も悪いよ、お兄ちゃんが約束を守ってくれたら命だけは見逃すから安心して」
つまるところ、俺に拒否権はない。
こいつはドクター本人が予測した限界時間を超えて延命できるといった、ならば逆に今すぐ命を奪うことだってできるはずだ。
ドクターを生かすも殺すも俺の行動次第、指定された時間と場所を守らなければ、その瞬間にドクターは死ぬ。
「また明日ね、お兄ちゃん。 そろそろ体も動くと思うから、その意味も含めて良ーく考えてね」
「待て、お前にはまだまだ聞きたい事があるんだよ!」
「じゃあ素敵な口説き文句も考えてほしいな。 ふふっ、楽しみ」
ガラクタの向こうから聞こえてきた声と気配がぷつりと途切れる。
月夜もどきの言う通り、いつの間にか割れるような頭痛も消え、広げた掌には血色が戻っていた。
指一本動かせなかったはずの身体に力を籠め、何の不自由もなく起き上がることもできる。 自然回復と理由づけるには、あまりにも短すぎる時間だったはずだ。
「……クソ」
自分でも形容しがたい複雑な感情を収め、ガラクタの隙間から帰路を探す。
今は夜のはずだ、割れた窓から見える空の浮かんでいるのも、おそらく月だろう。
「……戻ろう。 店に、戻って……一度休んで、考えよう」
独り言を零しながら、やっと見つけた扉を開いた時に月夜もどきの言葉を思い出した。
―――賢者の石はこの世界を破壊する、お兄ちゃんも外に出たらすぐに意味が分かると思うよ―――
「…………なんだ、これ」
俺が気を失っていたのは、そこまで長い時間ではないはずだ。 少なくとも何日も過ぎるような、まして季節が1つ飛ぶような時間じゃない。
それでも目の前に広がっているのは、雪笠を被った見慣れた街並み。 しかしそこには道行くような人影も、街並みを賑やかす灯りや雑音もない。
むせかえるような魔力に満ちた雪景色の中、俺だけが一人取り残されてしまったかのように。




