協奏曲は鳴りやんで ③
「……うげっ」
「ん、どうしたんですかマスター?」
悲劇のマエストロ騒動から数日後、つかの間の平和が戻ってきた店内にマスターの苦い嗚咽が響く。
調理場の中を覗き込むと、出来立てのオムライスを前に顔を顰めるマスターがいた。
輝かしい金色の身にケチャップの赤が映えるオムライスは焦げ目一つない完璧な出来だ、何があったのだろうか。
「最っ悪だ、今気づいた。 塩と砂糖を間違えてやがる……」
「あーらら、ケアレスミスですねぇ」
マスターの手には青いキャップの小瓶が握られている、確かあれは砂糖の入った瓶だったはずだ。
となると目の前のオムライスは大変甘ったるい出来になっている事だろう、見栄えは完璧なだけにもったいない。
「悪いなハク、賄いにしようと思ったんだがこれは駄目だ。 疲れてんのかな……」
「最近激務でしたからね、お昼は遅くても構わないのでマスターも少し休んだらどうですか?」
「気持ち的に引きずりたくない、作り直すから少し待っててくれ」
目頭を押さえるマスターの表情には隠しきれない疲労の色が滲んでいる。
商売繁盛によるものなら嬉しい悲鳴だが、平日昼間の店内は相変わらず閑古鳥が鳴いている。
どう見ても先日の死闘から疲れが抜けきっていない、色の区別もつかないなんて相当だ。
「あ・と・で! ほらほら、どうせお客さんも来ないんですから座った座った、コーヒー淹れましょうか?」
「事実だけどもう少し言葉を選べ……思いっきり苦いやつを頼む」
料理人としてのケジメか、マスターは自作のオムライスを自分で消費するらしい。
食材を無駄にしない精神は立派だが、せめてご飯ぐらいはちゃんとしたものを食べてほしいから複雑だ。
「半分負担しますよ、甘ったるくて食べられたものじゃないでしょう」
「気にするな、他人に失敗作は食わせられないしな。 それに優子さんに比べればこの程度軽いもんだよ」
その言葉通りオムライスを掘る匙のスピードは良好だ、本当に味が悪いのか疑問に思う。
思わず横からスプーンを盗み、一口だけオムライスを自らの口に放り込む。 すると舌の上に広がるのは何とも言えない砂糖とケチャップの不協和音だった。
「あ、バカっ」
「う、うええぇぇ……よくこんなのパクパク食べられますね……」
「だから言ったろ、あとでまともな飯作るから少し待ってろって」
私の手からスプーンを奪い返し、またパクパクとオムライスの処理を続けるマスター。
よくもまあ顔色一つ変えずに食べ進められるものだ、その上これより酷い店長の料理とは一体……
「…………ん? 誰か来るな」
「へっ? でもドアベルも鳴ってないですけど……」
「―――ハァーイ! コルトちゃんがやって来たヨー!」
視線を表口へ向けると同時に、チリンチリンとドアベルを鳴らして見慣れた金髪少女が入店してきた。
「あららコルトちゃんですか、今日平日ですけど学校は良いんですか?」
「私は魔法局から教育受けているからネ。 休みも急な出動も融通が利くんだヨ、昼食中だったカナ?」
「いや、失敗作の処理だよ。 メニュー表でも見ながらちょっと待っててくれ」
「ふふーん、今日はご飯食べに来たわけじゃないんだヨ」
すると、コルトちゃんがぬいぐるみの中から一通の封筒を取り出す。
素人目でもかなり良質な紙が使われ、ご丁寧にロウで封印された代物だ。
「さて2人とも、これが何か分かるカナ?」
「金一封」
「いや、クオカードと見ました」
「ワーオ即物的……でもそんなチャチなものじゃないヨ」
コルトちゃんが開いた封筒の中から取り出したのは、豪奢なデザインのチケットが2枚。
チケットに映っているのは先日の魔人事件に巻き込まれたおじいさんと、キバテビが並んでポーズを決めた写真だ。
「今朝、魔法局に送られてきたんだヨ。 マエストロの復活コンサート、VIP席の予約チケットがネ。 これがブルームの分」
「ああ、あの爺さんですか! けどもしやそのチケットってかなりの価値じゃ……」
「異色のコラボだからネ、転売したらいくらになるか私にもわからないヨ」
途端に差し出されたチケットが札束に見えて来た、しかも2枚。
「……って、何で2枚あるんだ?」
「保護者用じゃないカナ? 私達の分も2枚ずつ送られてきたんだヨ、サムライガールの分は魔法局に置いてあるよ」
「なるほど……マスター、1枚はお小遣いにできますよ」
「バカ、そんな失礼な真似できるか。 礼って事なら有難く貰っておくよ」
「じゃあ代わりに私の懐に収めておこうカナ!」
「だーれが譲るって言った、下心が見え見えなんだよ!」
2人揃って軽く頭を小突かれた、まあマスターの性格ならそんな事をするはずもないか。
持て余すのももったいないが仕方ない。
「それじゃ、ちゃんと渡したからネ。 扱いは自由だけどもったいないからなくしちゃ駄目だヨー」
「おう、サンキュー。 今度はランチタイムにゆっくりしていけよ」
「ありがとうございますね、コルトちゃーん」
手をブンブン振りながらコルトちゃんがせわしなく店を後にする。
元気にふるまっているが彼女も魔法少女として多忙の身だ、この後もスケジュールが詰まっているのだろう。
「いやー、良いもの貰っちゃいましたねマスター。 開催はいつですか? お店もお休みにしないと」
「――――…………」
「……? マスター?」
「ハク、構えろ。 裏手だ」
コルトちゃんが退店した途端、今度は裏口に向かい鋭い視線を向けるマスター。
先ほどまでの和やかな雰囲気から一転、身に纏う気配は完全な臨戦態勢に切り替わっている。
≪Are You Lady!?≫
《……マスター、コルトちゃんを呼び戻しますか?》
「準備だけはしてくれ、だけどこの店でドンパチはしたくないな……」
素早くスマホの中に身体を映し、いつでも通話を掛けられるように備えておく。
マスターが何を感じ取ったのかは分からない、一体裏口の向こうに何が隠れているというのか。
「――――誰だ!?」
声を荒げ、勢いよくマスターが裏手の扉を開け……ようとして、何か重いものにぶつかって扉が止まった。
扉の隙間から滲みだしたのはケチャップよりも赤い水たまり、その正体が何かなんて考えるまでもない。
「…………ぅ、っ……」
「―――ハク、ゴルド……いや、シルヴァを呼んでくれ! 早く!!」
扉の向こうで倒れていたのは、胸に空いた風穴から鮮血を吹き出すドクターだった。




