嫉妬の対価 ⑨
アナフィラキシーショック。
一度は聞いた事があるだろう、たしか極端な免疫反応だったか。
有名なのがスズメバチの毒に対するアナフィラキシー、二度刺されたら命にかかわるほど重症化する。
今まさに俺が実演している通りに。
《マスター、マスター!! 聞こえますか、しっかりしてください!!》
ハクの呼びかけがぐわんぐわんと頭の中で木霊する、口から溢れる血が止まらない。
舌が痺れてのどに詰まりそうだ、呼吸がままならない。 炎に巻かれているというのに寒くて仕方がない。
「ワタシの毒は一度目は無害、だけど二度目でご覧の通りのありさまよ。 気分はどう?」
「最゛……悪゛、だな゛……!」
血だまりに倒れた俺を、蜂女が退屈そうな顔で見下ろしている。
感覚のない指は1ミリも動いてくれない、毒の回りが早すぎる。
「あー、えっと……誰だっけ、お前? どうでもいいけど、さっさと汚く醜く無様に死んでくれない?」
“存在の燃焼”は問題なく使えているはずだ、毒を受けた事実は傷口ごと薄まっている。
しかし薄まっているだけでは決して0にはならない、燃えカス程度に残った毒が体を蝕んでいく。
一度目で喰らった毒に反応しているなら二度目の毒をいくら薄めても意味がない、俺という存在を昨日まで遡って焼却しなければ……
「まあ、いいわ。 どの道お前がワタシの邪魔したって事よね」
刺すような鋭さで放たれた蹴りは、身動きできない俺の身体を吹き飛ばして壁に叩きつける。
蹴りの衝撃と自分で吐いた血に息が詰まる、視界からだんだんと色彩が消えてきた。
「あっつ、あっつ!? あーもう、ワタシの脚がコゲたらどうしてくれんのよ!」
《マスター、黒衣を解除します! このままじゃ熱傷で死にかねないです!!》
「駄目、だ……先゛に……毒゛で、死゛ぬ……!」
辛うじて意識を保てているのは、毒の進行を黒衣の副作用である程度相殺できているからだ。
解除すればその瞬間に毒で絶命する、それに黒衣の熱波もこの状況ではいい気つけだ。
ただハクの言うことも間違いではない、今の俺は先の見えない延命処置を続けているだけに過ぎない。
「……なかなかくたばらないわねェ、お前何かやってるでしょ?」
「…………さあ、な゛……」
流石自信家、自分の毒を過小評価していない。 なかなか死なない俺を見てこちらの絡繰りに勘付き始めた。
ゆっくりと俺へ向けられる蜂女の指先、その手頸から覗く砲口には既に次弾が装填されている。
熱も炎も届かない距離からトドメの一撃というわけか、こちらから近づくには俺に残された体力があまりにも少ない。
「さようなら、お前の事なんてすぐに忘れると思うけど」
「はっ……も゛っと、気の利いた嫌味言えねえのかよ……」
「――――あったとしても言わせないヨ」
聞こえるはずのない声が聞こえ、蜂女の目前に円筒状の何かが飛び出す。
―――そして次の瞬間、黒く沈んでいくはずの視界を強烈な光が覆い尽くした。
「ア……ギャアアアア!!? ぃ、づ……! 眼がァ……!?」
「ブルーム、今のうちに!!」
「ゴルド、ロス……?」
――――――――…………
――――……
――…
文字通り蜂女の目と鼻の先で炸裂したフラッシュグレネードの効果は絶大だった。
俺の肩を担いだゴルドロスが退避するまで、ただ悶えるばかりでろくな反撃も飛んでこない。
やはり表皮の堅さは相当だが、熱や光のような搦め手への体勢は薄いようだ。
「あっちちちち……ブルーム、ちょっと温度下げられないカナ……!?」
《駄目です、今のマスターはかなりギリギリな状況なんです……》
俺を担ぎ上げたゴルドロスが苦悶の声を漏らす、耐火布で包んだ上からでも黒衣の熱波は防ぎきれないようだ。
耐熱グローブがブスブスと焼ける音が聞こえる、長時間の接触は危険だ。
「ゴル、ド……も゛う、いい……降ろ、せ゛……」
「嫌だネ、仲間死なすぐらいなら火傷ぐらい安いもんだヨ!」
「……逃げて゛も、俺゛は……助゛から……ない……」
魔物の手により生み出された毒なら、血清や治療法なんてあるわけがない。
俺が命を繋ぐ唯一の方法は、死ぬ前にあの蜂女を殺すことだけだ。 逃げ回ってるだけじゃ埒が明かない。
「雷親父とシルヴァが待ってるヨ! 外は魔物だらけだけど今より安全だからサ、ブルームを預けたら私があいつを倒す!」
無理だ。 ゴルドロスの武器じゃあいつの装甲は射貫けない。
しかし止めようにもいよいよ声すら枯れて来た、今にも意識が飛びそうだ。
《ゴルドロスちゃん、駄目ですよ! あの魔人は一人で敵う相手じゃないです、応援を……》
「サムライガールたちは外の魔物の相手で手一杯、こっちに人員を裂くと他の街まで被害が出かねないヨ! 今動けるのは私だけ!!」
「ゴル、ド……」
「黙っててヨ、お願いだから!! いつまでも守られるだけなんて思わないで、私だって魔法少女なんだヨ!!」
ゴルドロスが絶叫する、その瞳から零れる涙は地面に届かず蒸発していく。
本当は察しているはずだ、万が一単独で蜂女を倒せたとしても十中八九間に合わない。
蜂女の消滅よりも早く、俺は死ぬ。 それほどまでに残された時間は少ない。
「諦めないでヨ、私はまだ諦めたくないんだヨ! まだ、ブルームには何も返せていないのに……!」
ゴルドロスは絶対にあきらめない、俺がこのまま死んでも蜂女へ戦闘を仕掛けるはずだ。
余りにも無謀な突撃、その先に迎えるのは決して華やかな勝利なんかじゃない。
……呪いを背負ったゴルドロスの死体の上で、ほくそ笑んだ蜂女の姿が脳裏をよぎる。
《マスター……マスター、聞こえてますか?》
「…………あぁ」
《私もマスターが死ぬのは嫌です、絶対にごめんです。 ……なので、一つだけ賭けに出ます》
決意の籠ったハクの言葉と共に―――ゴルドロスの目の前に赤いアプリが灯ったスマホが召喚された。
――――――――…………
――――……
――…
「クソ、クソクソクソクソクソ……!! 許さない、絶対に許さない……!!」
ようやく戻ってきた視覚を頼りに、せまっ苦しい建物を破壊しながらあの忌々しい魔法少女共を探す。
よくも私を虚仮にしてくれたな、よくも私に不自由を押し付けてくれたな。
ワタシの眼を“奪った”ことを絶対に後悔させてやる、あの箒女もろとも内臓を引きずり出して魔物どもの餌にしてやる。
光が焚かれる瞬間に辛うじて見えた金髪、あいつだけは必ずこの手で殺す。
外はワタシが呼んだ魔物の大群、逃げ場なんてない。 それにまだ魔法少女らしい気配はこの建物中にある。
最初は逃げるつもりだったようだが、すぐにピタリと動きを止めてしまった。 お仲間の魔法少女が毒で
くたばって足を止めたのか?
「アッハ、バッカみたいよねぇ……すぐにお前も同じようになるのにさァ!!」
確実に仕留められる距離まで近づき、壁越しに針を構える。
こんなボロい遮蔽なんてあって無いようなものだ、轟音を鳴らしながら撃ちだした針が壁を吹き飛ばす。
ガラガラと音を立てて瓦解する壁の向こうには、案の定ぐったりとした死体を抱えた魔法少女の姿。
―――そして、空間を埋め尽くす銃口がワタシを睨みつけていた。
「………………は?」
「―――決めたよ、お前はハチの巣だ」
 




