Hack on STAGE ④
空には綺麗な満月が浮かんでいた。
モニター越しに眺めるよりもクリアな解像度は「美しい」と形容して間違いないものだ。
なるほど、こうしてじっと見てみると確かに表面の模様がウサギに見えなくもない。
「……白々木さん、掃除は終わりましたか? 風邪をひいてしまいますよ」
「あ、ごめんなさい! すぐに終わらせますね!」
ぼうっと月を見上げていると、その様子を訝しんだ葵ちゃんが扉の隙間から顔を出してきた。
いけないいけない、今の私は「ただのアルバイト」なのだ。 ボロを出してマスターに迷惑をかけていられない。
「よっと、終わりました。 片付けてきますねー」
店先に散らばった落ち葉やごみを集めたチリトリを抱え、葵ちゃんから逃げるように裏手のゴミ箱へ駆け出す。
どうもあの子からの視線がくすぐったくて仕方ない。 まあ、葵ちゃんからすると私はとんだお邪魔虫だろう。
「私だって悪いとは思っているんですよー。 けど……」
チリトリの中身をゴミ箱に投棄し、大きく背伸びをする。
ぴゅうと吹き抜けた風が首筋をくすぐる、夏とはいえ日が沈むとめっきり気温も下がって来た。
このまま秋が訪れ、すぐに冬となる。 その時には私も実物の雪を見る事が出来るだろうか。
「……楽しみだなぁ」
「何がですか?」
「ひょっわぁ!?」
いつの間にか背後に葵ちゃんが立っていた、音も気配もなく現れるものだから変な声が出てしまう。
「ああ、驚かせてすみません。 これもついでにお願いします」
「は、はい。 承りましたー!」
葵ちゃんが差しだしたのは店内で出た生ごみだ、彼女の身長だと踏み台がないと業務用ごみ箱に投棄するのは苦労する。
受け取った袋を生ごみ用の回収口に放り込むが、その間も葵ちゃんは後ろでずっと私の背中を見つめていた。
「……あ、葵ちゃん? 何か……?」
「いえ……白々木さんは、どうしてアルバイトを?」
歯切れが悪く葵ちゃんの口から出て来たのは当然の疑問だった。
確かに正直な意見を述べるならこの店で働くメリットは低い、店長の気まぐれで収入も安定しないので稼ぎたい学生はまず寄り付かない。
お客さんが少ないから仕事としては楽だが、普通の人なら退屈な時間が続くのも苦痛になる。
「そうですね……マスターの味に憧れたから、でしょうか?」
「むぅ……」
用意していた答えを唱えると、葵ちゃんが膨れてしまった。
愛らしい嫉妬につい頬が緩んでしまう、本当にこの子はマスターの事が好きなんだ。
いつかは薄れて移ろいでしまう感情なのかもしれない、しかしそれでも“今”マスターの事を慕い、覚えていることが嬉しい。
「ねえ、葵ちゃん。 マスターの事が好きですか?」
「……ふぇ!?」
私の思わぬ反撃に葵ちゃんが顔を赤く染めて狼狽える。
可愛いなぁ、マスターもどうしてこんな可愛い子を放っておくんだろうか。
「ど、ど、どどどど……な、なんでぇ……!?」
「見ていたら分かりますよそんなのー。 大丈夫ですよ、マスターには内緒にしておきます。 女の子同士の秘密ですね」
「……! ……!」
人差し指を立てて口元のチャックを閉めてみせると、葵ちゃんが千切れんばかりに首を縦に振る。
この子にとっては大事な初恋なんだ、私には分からない感情だけどそれはきっと気軽に踏みにじってはいけないものだ。
「……し、白々木さんは……その、お兄さんの事をどう思っているんですか?」
「えー、私は全然気にしてませんよ。 悪い人じゃないですけど恋愛感情となるとまた別ですね」
マスターの事は嫌いではない、しかしこの感情を表すならLOVEではなくLIKEのはずだ。
まあ、目を離せない人ではあるけどそれとこれとは別問題だ。
そして葵ちゃんは私の答えに嘘がないと判断してか、ほぅっと大きく息を吐き出した。
「……今度はこっちが聞いていいですか? 葵ちゃんはマスターのどこが好きなんです?」
「…………内緒ですよ? 内緒ですからね?」
「ふふふふ、もちろん分かってますよ。 女の子同士の秘密ですね!」
人差し指を口に当てる葵ちゃんの前にしゃがみ、視線を合わせながらこちらも人差し指を立てる。
ずっと気になっていたが、マスターからはまともな答えが返ってこないだろうからずっと聞けなかった話だ。
今さらな話ではあるがマスターの見目はそこまでよろしくない、ではどういう経緯があって葵ちゃんはマスターに憧れを懐いたのか。
「随分と面白い話をしているわね、私も混ぜてくれない?」
「「ひょっわぁ!?」」
2人揃って間抜けな声を上げ、空から降ってきた声を見上げると、窓を開けて電子タバコを吹かす店長がにやにやとこちらを見下ろしていた。
「お、お母さん!! そそそそんなところでタバコなんか吸って火事になったらどうするんですか!!」
「電子タバコだから平気よ、本物はあんたが生まれる時から辞めてるわよ」
下手な照れ隠しを振り回す葵ちゃんが鼻であしらわれて地団太を踏む。
悲しいことに歴戦の魔法少女も母親の前では形無しだ。
「話せるような雰囲気じゃなくなってしまいましたね……戻りましょうか」
「ええ、まったくお母さんは……」
魔人の私が風邪に罹るのかは分からないが、この寒風に当たり続けるのは毒だ。
未だ怒りを収めきれない葵ちゃんを連れて裏口の鍵を開ける。
「……ここだけの話ですよ。 昔、私は荒れてた時期があったんです」
「え……?」
「その時にお兄さんにこっぴどく叱られた……ふふ、続きはまた今度ですね」
「え、え、えっ!? ちょっと待ってください、続きを聞かせてください!」
とても気になる情報だけを残し、葵ちゃんがパタパタと早足で店の中に戻って行った。
疑問を解きほぐそうとしたのにまた1つ大きな謎が増えてしまった、それでも去り際の葵ちゃんは笑っていたようにみえたから……少しだけでも打ち解けられたのだろうか?




